takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

友人の家に

2015年06月30日 | サイゴン生活

 最近ではめったに行かなくなりましたが、今教えているH大学とV大学(V大学は6月いっぱいで辞める予定)の授業がない時間に、J大学に行って日本語を教えるボランティアをしていました。

 その時に知り合った友人Lさんは、市内の工科大学を卒業後、7年前に愛知県の会社で3年間技能実習生として働いていました。帰国後、サイゴンにある日系企業で品質管理の仕事をしていました。

 Lさんの奥さんは泌尿器科の女医です。10か月になる男の子がいます。そして、3か月前に家を購入したばかりです。

 でも、どうしても再び日本に行って、今度は技能実習生ではなくて、日本の会社で正社員として働きたいという夢を持っています。

 その夢がかなえられるかどうかはわかりませんが、もし、かなえられたら奥さんと子供を呼び寄せて、日本で3人で生活したい、子供に日本の教育を受けさせたいと願っています。

 Lさんは明日、ハノイに行きます。2ヶ月間、日産の関連会社で働いた後、その会社の紹介があれば日本に行こうと思ってます。

 今日は、Lさんから渡された住所を手にして、一人でバスに乗りました。

 初めて乗るバスです。サイゴンの市内から郊外に向かうバスで、車内はがらんとしています。このバスはワンマンなので、乗った時に運転手にLさんから手渡された降りるバス停の名前が書かれた紙を見せて、「ここで降ろしてください」というジェスチャーをすると、「ОK」とうなずいたように感じました。

 

  ところがこれが大きな間違いでした。運転手がここというところで降りると・・

  バス停を降りて、Lさんに電話すると「すぐにそのバス停に行きます」とのこと。15分、30分ごとに何度もLさんと電話で、そのバス停を確認しようとするけど、私はここがどこなのか全くわからない。Lさんが「近くにベトナム人はいませんか。いれば電話を替ってください」というので、バス待ちをしている人に替ってもらったけど、どうもバスの運転手が全く違ったところで私を降ろしたみたいで、Lさんは困り果てました。

 そうこうして、私がそのバス停に着いてから1時間10分後にやっとLさんと出会えました。

 下の写真は電話を替ってくれた親切なベトナム人

 本当に知らない土地に行くのは大変。しかも言葉が全く通じない。

 日本ではバス停にはその名前が書いてあるけど、運が悪いことにこのバス停にはその表示がない・・・。

 そうこうしてやっとLさんの自宅に到着。

 Lさんは、3か月前にこの家を購入したそうです。金額は10億ドン(日本円で600万円)。夫婦で貯金したお金とそれぞれの実家から少々の援助をもらって購入したそうです。

 

 この家は奥さんが勤める病院からバイクで10分と近くて便利だからこの土地を選んだそうです。

 Lさんの10か月の男の子

 Lさん

奥さん。今日は夜勤明けで、午前中まで仕事で午後は休み。

 奥さんのご両親はベトナムの中部に住んでいますが、孫が生まれてしばらく子守のために一緒にくらしています。

 


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街で見かける日本

2015年06月28日 | サイゴン生活

 街歩きをしていると日本の企業の看板などに出会います。ベトナムは親日の国。

 電通が世界20カ国を対象に親日度(日本に対する好意度)を調査したところ、ベトナムが世界第1位。

 ベトナムニュース→http://www.viet-jo.com/news/nikkei/150622090303.html

 6月下旬から7月上旬にかけて私が勤めているH大学では期末試験が行われています。先日、2年生の会話のフリートーキングで、ある学生が「私が日本語を専攻したのは、日本人の勤勉さ、日本の伝統文化、世界をリードする科学技術などに興味があったから」という答えがありました。

 これは電通の調査結果と同じで、こんな答えを直に聞いて本当にうれしくなりました。

 今日はいつものおしゃべりボランティアの日。

 H大学からバスに乗ってバスセンターで降りて、会場の文化会館まで街歩きをしました。

 「街の中の日本」の一部を紹介します。

 日本食のレストラン

 「コマツ」製

住友重機

公文式教育はここでも

サロンパス

 


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おしゃべりボランティア

2015年06月28日 | サイゴン生活

 毎週日曜日、楽しみにしているおしゃべりボランティア。

 1975年4月30日に、当時の南ベトナムの首都サイゴン(戦後、ホーチミンと改称された)が陥落してベトナム戦争が終結しました。

 おしゃべりボランティアの会場となっているのは、戦争が終結した40年前に建築されたサイゴン中心部にある「文化会館」。

 今日は、その文化会館の開館40周年を記念して、利用しているサークル(日本語、英語、中国語など)を紹介するビデオ撮影会がありました。

 日本人のボランティア

 

 

 

 ガジュマル

 戦争博物館

 私は、現在の「ホーチミン」という名前より「サイゴン」のほうが好きだ~。

 100年間ものフランス統治下にあった影響で、サイゴンの中心部に「パスツール通り」がある。

 会場の文化会館の近くにある公園。日曜日は市民の憩いの場所。写真の奥は聖マリア教会。

 その公園の近くにあるデパート。おしゃべりボランティアの会場はその横

 


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ベトナムへ来るきっかけとなったのは・・

2015年06月28日 | サイゴン生活

 鹿児島に単身赴任していた2010年のある日、ネットサーフィンしていたら「ベトナムの障害児支援」をしているNPО法人のホームページに偶然出会いました。

 それまではまさか私が海外で生活しようなんて、職場を早期退職しようなんて微塵にも思っていませんでした。

 本当に偶然の出会いです。そのホームページに書いてある代表者に連絡をすると、その方は20年前にサイゴンの大学で日本語を教えていたそうです。家族の事情があってやむなく帰国したのですが、ベトナムに対する思い入れは募るばかりで、その後、外務省やゆうちょ銀行の支援事業を活用して、ベトナムの「障害児」の支援活動をしておられる方です。その代表者は現在も障害児の支援をしておられます。

 昨日、ベトナム人の支援者や障害児、その母親達と会ってきました。

 ベトナム戦争時にアメリカ軍が散布した枯葉剤は戦後40年が経った今も土壌深く浸透していて、その汚染された水を飲んで聴覚障害等になった子供たちです。

 両端はサイゴンに住んでいる姉妹、私の左はベトナムとカンボジアの国境に近い「アンザン省」(サイゴンからバスで8時間もかかるところ)に住んでいる小学2年生。

 


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今日のおしゃべりボランティア

2015年06月21日 | サイゴン生活

 今日のおしゃべりボランティアは日本人が多かった。常連はいつものとおり少ないけど、飛び込みで参加された方で、「現地で暮らす弟の結婚式のために来ました」、「出張で月に1回来ています」などなど・・。

 最初は「すかいらーく」でバイヤーをしているという人。「ベトナムでえびやパプリカなどの買い付けをしている」と自己紹介していました。下の写真の一番左の男性です。

 仕事を通じてベトナム人女性と知り合いになり、今日の午後4時から結婚式を挙げるそうです。私が「ここに来てていいんですか?」と尋ねると、「男性はすることがありませんからね。」

 左から二番目はその男性のお兄さん。「弟の結婚式のために、妻と娘と一緒に初めてサイゴンに来ました。福島県に単身赴任しています」。

 左から三番目はその男性の奥さん

 左から三番目はその娘さん。「日本の会社で事務をしています」

 左から二人目は「オリンパスの社員です。毎月出張で来ています。」

 同じくオリンパスの社員

 左から二人目の方の自己紹介。

 「60歳で定年退職してサイゴンで生活を始めたばかりです」。「どうしてベトナムを選んだのですか」というベトナム人の質問に「ただなんとなく・・、これからどんな生活が始まるのか心配もあります」

 今日は久しぶりベトナム人も日本人も多かった。

 

 

 


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