takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

屋久島

2017年09月26日 | 福岡

 この記事は、以前アップしていたブログからの引用です。ベトナムへ移住する3週間前です。

  

屋久島へ

2013-03-16 | 日記

 4月の第1週、ベトナムへ移住しますので、出国まであと3週間になりました。屋久島へ独りであいさつに行くことにしました。

 家は宮之浦港から歩いて20分ほどの海を見下ろせる高台にあります。天神を夜23:30発、鹿児島高速船ターミナル行きの夜行バスで、鹿児島には翌朝6:30につきました。途中、宮原サービスエリアで運転手の仮眠時間が3時間もありました。夜行バスは安全のために休憩時間をたくさん取っています。

 

 

 鹿児島本港(南埠頭)から8:30発の「フェリー屋久島2」に乗り、宮之浦港に12:30分に着きました。フェリーは往復7,900円。佐賀大学SUWVの時に、3年生の春の合宿で初めて屋久島に来て、この宮之浦港に着いた頃のことを思い出して感無量でした。

 記憶では、宮之浦港から楠川までバスで行き、楠川のバス停で「オープンサンド」(私たちが勝手に付けた名前で、要するに食パンにハムやチーズ、トマトなどいろいろな具材をはさんで作ったもの)を食べたのを思い出しました。うまかった。

 残念ながらワンゲルの写真はほとんど捨ててしまったので、ここからは、32年前の記憶をたどって書いています。白谷雲水峡、夫婦株、ウィルソン株、縄文杉、トロッコ道などを上りつめ、高塚小屋、新高塚小屋をとおり、永田岳の別れから永田岳に登り、引き返して九州最高峰の宮之浦岳に登った。春とはいえ、雨が多く永田岳の鞍部でしばらく沈殿したような。「沈殿」・・ワンゲル用語だな・・。

 荷物は確か「キスリング」だったと思う。キスリングを置いて沢で休憩して戻ると、たくさんのカラスがキスリングにたかって、頑丈に紐で縛っているのに、くちばしでこじあけて中の貴重な食料を食い荒らされていた。確か「釜飯の素」だったような。

 何分に32年前の記憶なので不正確とは思うが、宮之浦岳に登ったあと、ローソク岩、淀川小屋を経て、尾之間集落に下りました。その間、雨にたたられて、恥ずかしい話、股ずれになり、びっこをひいてかろうじて尾之間に着いたことを思い出しました。尾之間に着いて一番嬉しかったことは、尾之間温泉に入り、10日間の汗を流すことができたことです。山登りの楽しみの一つは下山後の温泉です。

鹿児島港から屋久島に向かうところです。背景は桜島

 

 宮之浦港に入港。宮之浦港県営待合所。大学生が春休みに登山に来ていて、これからが世界自然遺産「屋久島」のシーズンイン。

  

 

 宮之浦港の近くにある「屋久島環境文化村」です。

 

 

 屋久島からの帰り、鹿児島本港に着きました。

 

 今日の泊まりは「東横イン天文館Ⅰ」です。東横インはWi-Fiのネット環境がありますので、ブログのアップができて便利です。


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