弘前にある「バカヤローカーブ」をご存知だろうか?
弘前大学文京町キャンパス裏手にある細道(大学を挟んで富田大通りと並行)にある4連続カーブの俗称で、今は分からないが、1990年代の弘大生には抜群の知名度があった。
goo地図を貼付けてみます。
大学周辺の地図は以前の記事も参考にしてください。
城下町弘前では、細い道や鍵型の道は珍しくないが、S字カーブが“2文字分”あるここは特別。見通しが悪く狭いのに車が結構通るので、あまり通りたくない道だった。
実際に画像で紹介すると、
文京町キャンパスを横断する1番地と3番地の境目の道との交点(教育学部や第1体育館の裏、大学生協本部前)から100メートルほど南へ進むとカーブが始まる。
一般住宅と学生向けアパートが多い
左の電柱があるのが第2カーブ
2番目のカーブがいちばん急角度のようだ。
電柱付近から
振り返ると岩木山
約100メートルで連続カーブは終わり、ほぼ直線の約200メートル先に弘南鉄道大鰐線の西弘前駅改め「弘前学院大前」駅周辺の学生向け飲食店街、サンクス(昔はサークルKだった)の交差点がある。
振り返って西弘側のカーブ入口
第2カーブも岩木山ももう見えない。
「午砲台跡」昔、ここに軍隊があり、時報の大砲があったらしい
※1912年の地形図にはここが「号砲台」として記載されていた。この記事後半。
【2018年9月11日追記】西弘側の最初のカーブの右方向には、砂利道があり、途中から舗装されて農学生命科学部1号館(昔からの校舎)正面につながる。そのカーブと砂利道の角には、夏の間だけ花火を販売する、民家のような店が20年前は存在した。店名は不明で、通称「花火屋」。2017年頃でも、建物は変わらず存在するようだが、今も花火を売っているのだろうか。
昔は歩くのがもっと怖かった気がしたが、今回はそれほどでなかった。一般車、タクシー、商用車、通る車がことごとくかなり減速していたのと、昼間で積雪・凍結時、交通量の多い時間帯でなかったからかもしれない。
ともかく、歩くのなら、大学内の理工学部から農学生命科学部前を通り、小路を抜けた方が、より安全ではあるだろう。特に暗い時間帯や冬は。
ところで、「バカヤローカーブ」の由来はなんだろう。
僕は「ここで転倒したバイクの人(弘大生?)が、ヤケクソになって『(こんなカーブの)バカヤロー』と叫んだから」という説を信じて(?)いた。
弘前大学に「学園だより」という、学内向け広報紙がある。現在は分からないが、昔は各学部から教官(先生)が1名ずつ編集委員として選出され、執筆していた。
我ながら物持ちがいいけど、保存していた1994年12月22日発行「学園だより第106号」の大学周辺の風物を紹介する「連載・弘大かいわい」に「第2回『学生のつけた新地名バカヤローカ~ブ』」というのがあり参考になる。
学生から聞き取った内容を対話風にした記事なので、その内容を以下にまとめさせてもらう。( )は僕の補足やコメント。
・文京町4~5番地にある
・弘大に入ってバカヤローカーブを知らないなんて、モグリって言われる
・2段カーブ(?っていうのだろうか。カーブが4回あるのだけど)
・弘大生の間では「このやろうカーブ」とか「こんにゃろカーブ」とか「バカヤローカーブ」と5~6年前(つまり平成初期)ごろから言われていたらしい
・最近('94年当時のこと)、生協の「Apple Coop」新入生歓迎号(入試合格者に送付されていた、大学生協の情報誌)で紹介されて、「バカヤローカーブ」に定着したらしい【2019年6月7日補足】少なくとも1995年と1996年の入学者向けApple Coopには、バカヤローカーブが掲載されているのを確認。
・由来は、4回続けてカギ型に曲がるので車を運転する人が「なんだこのカーブは、バカヤロー!」と言いながら通るからという説と、すれ違うときにぶつかりそうになって、思わず「バカヤロー」と叫ぶからという説もあるが、本当のところはわからない
・子供の頃から文京町に住んでいる地元出身学生でも、大学に入るまでこの名称は知らなかった
・学生以外の地元住民、タクシー運転手は「S字カーブ」「S字クランク」などと呼んでいる
・(管轄の弘前警察署の)枡形交番によればスピードを出せないので直線道路より交通事故は少ない。「バカヤローカーブ」の名称は聞いたことがない
・(付近住民の話では)雪道でバイクがカーブを曲がりきれずに転倒するような小さな事故が結構ある
・1898(明治31)年に設置された陸軍第8師団の跡地が弘前大学(文京町キャンパス)の敷地だが、この場所も軍用地で、その頃の道がそのまま公道となって残ったと考えられる
以上
学生の間で発生したいくつかの類似名称があったが、その中から、「バカヤロー」が大学生協の冊子で採用されて定着したようだ。
この冊子は、生協に関与する学生が編集したもので、僕の入学時にもらったものにも記載があったが、現在はそのオンライン板があり、バカヤローカーブのページもある(http://www.hirosaki.u-coop.or.jp/schop/apple_coop/ac07w_kyosai.html)。それによれば「由来は迷惑な歩行者に対してトラックの運ちゃんが『バカヤロー!』と叫んだことが始まりらしい」とあり、由来に関しては微妙に違っている。
諸説に共通するのは、尋常でない道で事故が起きる危険性を「バカヤロー」の言葉に託していること。学生には免許取り立ての者も多いので、車両も人も気をつけて安全に通行してくれることを願って名付けられた地名なのかもしれない。と言っては強引でしょうか…
近くに“スキー場”もあるので後で紹介します。
※積雪時の様子はこの記事後半
※2014年のJR東日本「駅からハイキング」のコースにここが「三連続カーブ」として登場。「3」連続でなく「4」連続だと思うのだけど…
弘前大学文京町キャンパス裏手にある細道(大学を挟んで富田大通りと並行)にある4連続カーブの俗称で、今は分からないが、1990年代の弘大生には抜群の知名度があった。
goo地図を貼付けてみます。
大学周辺の地図は以前の記事も参考にしてください。
城下町弘前では、細い道や鍵型の道は珍しくないが、S字カーブが“2文字分”あるここは特別。見通しが悪く狭いのに車が結構通るので、あまり通りたくない道だった。
実際に画像で紹介すると、
文京町キャンパスを横断する1番地と3番地の境目の道との交点(教育学部や第1体育館の裏、大学生協本部前)から100メートルほど南へ進むとカーブが始まる。
一般住宅と学生向けアパートが多い
左の電柱があるのが第2カーブ
2番目のカーブがいちばん急角度のようだ。
電柱付近から
振り返ると岩木山
約100メートルで連続カーブは終わり、ほぼ直線の約200メートル先に弘南鉄道大鰐線の西弘前駅改め「弘前学院大前」駅周辺の学生向け飲食店街、サンクス(昔はサークルKだった)の交差点がある。
振り返って西弘側のカーブ入口
第2カーブも岩木山ももう見えない。
「午砲台跡」昔、ここに軍隊があり、時報の大砲があったらしい
※1912年の地形図にはここが「号砲台」として記載されていた。この記事後半。
【2018年9月11日追記】西弘側の最初のカーブの右方向には、砂利道があり、途中から舗装されて農学生命科学部1号館(昔からの校舎)正面につながる。そのカーブと砂利道の角には、夏の間だけ花火を販売する、民家のような店が20年前は存在した。店名は不明で、通称「花火屋」。2017年頃でも、建物は変わらず存在するようだが、今も花火を売っているのだろうか。
昔は歩くのがもっと怖かった気がしたが、今回はそれほどでなかった。一般車、タクシー、商用車、通る車がことごとくかなり減速していたのと、昼間で積雪・凍結時、交通量の多い時間帯でなかったからかもしれない。
ともかく、歩くのなら、大学内の理工学部から農学生命科学部前を通り、小路を抜けた方が、より安全ではあるだろう。特に暗い時間帯や冬は。
ところで、「バカヤローカーブ」の由来はなんだろう。
僕は「ここで転倒したバイクの人(弘大生?)が、ヤケクソになって『(こんなカーブの)バカヤロー』と叫んだから」という説を信じて(?)いた。
弘前大学に「学園だより」という、学内向け広報紙がある。現在は分からないが、昔は各学部から教官(先生)が1名ずつ編集委員として選出され、執筆していた。
我ながら物持ちがいいけど、保存していた1994年12月22日発行「学園だより第106号」の大学周辺の風物を紹介する「連載・弘大かいわい」に「第2回『学生のつけた新地名バカヤローカ~ブ』」というのがあり参考になる。
学生から聞き取った内容を対話風にした記事なので、その内容を以下にまとめさせてもらう。( )は僕の補足やコメント。
・文京町4~5番地にある
・弘大に入ってバカヤローカーブを知らないなんて、モグリって言われる
・2段カーブ(?っていうのだろうか。カーブが4回あるのだけど)
・弘大生の間では「このやろうカーブ」とか「こんにゃろカーブ」とか「バカヤローカーブ」と5~6年前(つまり平成初期)ごろから言われていたらしい
・最近('94年当時のこと)、生協の「Apple Coop」新入生歓迎号(入試合格者に送付されていた、大学生協の情報誌)で紹介されて、「バカヤローカーブ」に定着したらしい【2019年6月7日補足】少なくとも1995年と1996年の入学者向けApple Coopには、バカヤローカーブが掲載されているのを確認。
・由来は、4回続けてカギ型に曲がるので車を運転する人が「なんだこのカーブは、バカヤロー!」と言いながら通るからという説と、すれ違うときにぶつかりそうになって、思わず「バカヤロー」と叫ぶからという説もあるが、本当のところはわからない
・子供の頃から文京町に住んでいる地元出身学生でも、大学に入るまでこの名称は知らなかった
・学生以外の地元住民、タクシー運転手は「S字カーブ」「S字クランク」などと呼んでいる
・(管轄の弘前警察署の)枡形交番によればスピードを出せないので直線道路より交通事故は少ない。「バカヤローカーブ」の名称は聞いたことがない
・(付近住民の話では)雪道でバイクがカーブを曲がりきれずに転倒するような小さな事故が結構ある
・1898(明治31)年に設置された陸軍第8師団の跡地が弘前大学(文京町キャンパス)の敷地だが、この場所も軍用地で、その頃の道がそのまま公道となって残ったと考えられる
以上
学生の間で発生したいくつかの類似名称があったが、その中から、「バカヤロー」が大学生協の冊子で採用されて定着したようだ。
この冊子は、生協に関与する学生が編集したもので、僕の入学時にもらったものにも記載があったが、現在はそのオンライン板があり、バカヤローカーブのページもある(http://www.hirosaki.u-coop.or.jp/schop/apple_coop/ac07w_kyosai.html)。それによれば「由来は迷惑な歩行者に対してトラックの運ちゃんが『バカヤロー!』と叫んだことが始まりらしい」とあり、由来に関しては微妙に違っている。
諸説に共通するのは、尋常でない道で事故が起きる危険性を「バカヤロー」の言葉に託していること。学生には免許取り立ての者も多いので、車両も人も気をつけて安全に通行してくれることを願って名付けられた地名なのかもしれない。と言っては強引でしょうか…
近くに“スキー場”もあるので後で紹介します。
※積雪時の様子はこの記事後半
※2014年のJR東日本「駅からハイキング」のコースにここが「三連続カーブ」として登場。「3」連続でなく「4」連続だと思うのだけど…