【5日記事タイトル変更・初回アップ時「旧・新川橋の今」だったタイトルを、「旧・新川橋'22.3」に変更しました。】
あまりお伝えできずにいてしまっていた、新川橋の話。※最後は2021年2月。
秋田市の川尻と新屋(勝平・割山)との間の、秋田運河(旧雄物川)に架かる、秋田市道 川尻新屋線「新川橋」。
1963(昭和38)年に造られた(当時は県道)トラス橋(一部桁橋)の、上流側すぐ隣に、新たな桁橋が架けられ、2021年3月27日から供用されている。ちょうど1年経った。
新しい橋の川尻側
新橋完成後の工事の流れとしては、先代の橋の撤去・解体をすることになるが、増水など川の季節変化に合わせて施工する必要があるそうで、進みは遅いのが通例。
2022年11月30日まで。「上部工」だから、橋脚など下部工はこの後行なうようだ
現時点でも、上の写真の通り、トラスがそのまま残っている。のだが…
先代橋の川尻側たもと
橋の桁の部分が、とてもスカスカしている。自家用車で通ると見えないかもしれない。
かつて「道路」というか「床」だった部分がそっくりなくなっていて、橋桁そのものがむき出しになっている。
上の写真右手前にあるコンクリートの塊が、親柱。親柱の左側にすぐ歩道、そして車道があったのだが、今では桁との間に距離ができて、ぽつんとたたずんでいる。
以前も書いたが、新川橋の構造は、長さのすべてがトラス橋ではなかったようだ。
橋脚は、川の真ん中ではなく、川尻寄りに1つだけ。川尻側の岸(橋台)から橋脚までは、トラスがない桁橋だと思われる。橋脚から勝平側橋台までが、トラス橋。したがって、上写真は桁橋部分。
川尻側橋台を真横から
橋桁がむき出しなると、それが水色~青色なのがやけに目立つ。道路があった状態でも、横のほうから見れば、水色であるのは確認できた。
上写真で、桁の橋台近くに、四角いものがある。
銘板
「1963年9月 秋田県建造」「建示(1955)二等橋」「製作 汽車製造株式会社」
いちばん下の数字と記号の羅列は、鋼材の種類のようなもの、「二等橋」は当時あった耐えられる重さの基準のようで、県道・市道は二等橋が基本だった。
メーカーの「汽車製造株式会社」。蒸気機関車から新幹線0系電車まで製造した大手鉄道車両メーカーで、ほかにも橋梁なども手がけていたとのこと。1972年に川崎重工業に吸収合併された。
川中央方向へ進んで、橋脚。
ここから先・勝平側がトラス橋
トラス橋部分も、道路が撤去されて、桁がむき出し。
現役当時↓は、歩道のアスファルトの中にトラスが埋もれており、トラスの下辺は見えなかったのが、今は露出。
(再掲)現役当時。左が今の新川橋
橋脚とトラスの接続部
勝平側は橋台にトラスが接続
桁の色は、川尻側の桁橋が水色、勝平側のトラス橋部分は濃くて青。日当たりによる色あせや、途中の塗り直し作業の違いだろうか。下流側から見た限り、勝平側には銘板はなかった。
旧橋は、道路がなくなって、身軽なったわけでもなく…
トラスの上辺の一部に足場が組まれている
緑色の新たな橋桁のようなものが、勝平側からトラスの半分ほどの辺りまで置かれている。
勝平側から。かなり大きく長い
また、桁橋部分や橋脚の接続部のすき間にも、小さな緑色の鉄材らしきものが置かれていた。
ここから素人の憶測。
橋というものは、橋全体でバランスを保って、その重さに耐える構造のはず。解体する時、テキトーな場所をバキッと壊したら、そのバランスが崩れて、全部が一気に崩落してしまうことさえ、ありそうな気がする。
だから、丁寧に道路を撤去しているのかと思ったが、あえてまた重いものを載せてしまうとは?
調べたら「架設桁工法」という橋の解体方法(架橋でも使う?)があるようだ。緑のが架設桁か。
橋のもともとのトラスや桁が担っていた重さを、架設桁が受け持つことで、解体の安全性を高めたという感じかな。橋の下に、支えの仮の橋脚などを造る必要がなくなるメリットもあるようだ。
川尻側上流側から。雪融けで若干水量が多いかな
この後、いつかはトラスも姿を消してしまう。
あまりお伝えできずにいてしまっていた、新川橋の話。※最後は2021年2月。
秋田市の川尻と新屋(勝平・割山)との間の、秋田運河(旧雄物川)に架かる、秋田市道 川尻新屋線「新川橋」。
1963(昭和38)年に造られた(当時は県道)トラス橋(一部桁橋)の、上流側すぐ隣に、新たな桁橋が架けられ、2021年3月27日から供用されている。ちょうど1年経った。
新しい橋の川尻側
新橋完成後の工事の流れとしては、先代の橋の撤去・解体をすることになるが、増水など川の季節変化に合わせて施工する必要があるそうで、進みは遅いのが通例。
2022年11月30日まで。「上部工」だから、橋脚など下部工はこの後行なうようだ
現時点でも、上の写真の通り、トラスがそのまま残っている。のだが…
先代橋の川尻側たもと
橋の桁の部分が、とてもスカスカしている。自家用車で通ると見えないかもしれない。
かつて「道路」というか「床」だった部分がそっくりなくなっていて、橋桁そのものがむき出しになっている。
上の写真右手前にあるコンクリートの塊が、親柱。親柱の左側にすぐ歩道、そして車道があったのだが、今では桁との間に距離ができて、ぽつんとたたずんでいる。
以前も書いたが、新川橋の構造は、長さのすべてがトラス橋ではなかったようだ。
橋脚は、川の真ん中ではなく、川尻寄りに1つだけ。川尻側の岸(橋台)から橋脚までは、トラスがない桁橋だと思われる。橋脚から勝平側橋台までが、トラス橋。したがって、上写真は桁橋部分。
川尻側橋台を真横から
橋桁がむき出しなると、それが水色~青色なのがやけに目立つ。道路があった状態でも、横のほうから見れば、水色であるのは確認できた。
上写真で、桁の橋台近くに、四角いものがある。
銘板
「1963年9月 秋田県建造」「建示(1955)二等橋」「製作 汽車製造株式会社」
いちばん下の数字と記号の羅列は、鋼材の種類のようなもの、「二等橋」は当時あった耐えられる重さの基準のようで、県道・市道は二等橋が基本だった。
メーカーの「汽車製造株式会社」。蒸気機関車から新幹線0系電車まで製造した大手鉄道車両メーカーで、ほかにも橋梁なども手がけていたとのこと。1972年に川崎重工業に吸収合併された。
川中央方向へ進んで、橋脚。
ここから先・勝平側がトラス橋
トラス橋部分も、道路が撤去されて、桁がむき出し。
現役当時↓は、歩道のアスファルトの中にトラスが埋もれており、トラスの下辺は見えなかったのが、今は露出。
(再掲)現役当時。左が今の新川橋
橋脚とトラスの接続部
勝平側は橋台にトラスが接続
桁の色は、川尻側の桁橋が水色、勝平側のトラス橋部分は濃くて青。日当たりによる色あせや、途中の塗り直し作業の違いだろうか。下流側から見た限り、勝平側には銘板はなかった。
旧橋は、道路がなくなって、身軽なったわけでもなく…
トラスの上辺の一部に足場が組まれている
緑色の新たな橋桁のようなものが、勝平側からトラスの半分ほどの辺りまで置かれている。
勝平側から。かなり大きく長い
また、桁橋部分や橋脚の接続部のすき間にも、小さな緑色の鉄材らしきものが置かれていた。
ここから素人の憶測。
橋というものは、橋全体でバランスを保って、その重さに耐える構造のはず。解体する時、テキトーな場所をバキッと壊したら、そのバランスが崩れて、全部が一気に崩落してしまうことさえ、ありそうな気がする。
だから、丁寧に道路を撤去しているのかと思ったが、あえてまた重いものを載せてしまうとは?
調べたら「架設桁工法」という橋の解体方法(架橋でも使う?)があるようだ。緑のが架設桁か。
橋のもともとのトラスや桁が担っていた重さを、架設桁が受け持つことで、解体の安全性を高めたという感じかな。橋の下に、支えの仮の橋脚などを造る必要がなくなるメリットもあるようだ。
川尻側上流側から。雪融けで若干水量が多いかな
この後、いつかはトラスも姿を消してしまう。
銘板などははずして保管したりオークションに出してほしかったり。
ちなみに、旧橋の川の名称表示は「旧」が付かない「雄物川」になってしまっています。