秋田市に「一乃穂(いちのほ)」という菓子店がある
「秋田粢(しとぎ)菓子 一乃穂」が正式で、粢とは、「水に浸して柔らかくした生の米をついて粉にし、それを水でこねて丸めた食べ物(一乃穂ホームページより)」。
扱い商品は、その粢を使った5種類(+後述の限定品)だけのラインナップ。
ロゴ「穂」右の赤い落款印は「粢菓子」と刻印
店舗も商品も高級そうで、かつ風格があるようにも感じられ、長い歴史をもつ店に見えるかもしれないが、そうでもない。
「二〇世紀ひみつ基地」2022年11月14日「「木内デパート」食品売場廃止と「一乃穂」誕生秘話(https://20century.blog.fc2.com/blog-entry-1176.html)」の通り、1993年4月オープン。
当時百貨店だった「木内」が食品売り場を廃止したことにより、テナント店舗の売り上げ減少に危機感を抱いた、秋田市の菓子店「かおる堂」が立ち上げた新ブランド。
今まで、かおる堂の別ブランドが一乃穂、つまり運営企業は同一なのかと思っていたが、よく分からない。それぞれの本社は「川尻町大川反170」と「川尻町大川反180-82」で、少し違う。
扇屋開運堂、杉山壽山堂も、今はかおる堂系列。「ポンドール【2020年8月29日の記事】」という店もある。

上記の通り、一乃穂の「本社」は大川反だが、別に「本店」がある。上の2つの写真の店。
一乃穂の店舗は、秋田市内を中心にいくつもあるのだが、それもかおる堂などの店舗と同居というか渾然一体となっていて、全貌がよく分からない。確実に一乃穂単独の店なのは、本店だけだったのではないだろうか。
その本店が、2025年5月21日で店を閉じた。
場所は、中通二丁目4番15号。
秋田駅西口から、大屋根下に下りて、仲小路をちょっと進んだ、ゆうちょ銀行秋田店の交差点角。ホームページでは「アトリオン交差点角」としていたが、あそこをそうは呼ばないでしょう。
1993年3月築の「秋田朝日生命丸島ビル」の1階角に入っていた。ビル竣工時からのテナントだったことになる。
右・仲小路に面した側が店舗出入口
本店は「移転」する。5月23日から移転先で営業。
ホームページでは所在地(大町四丁目3-11)しか示していないが、店舗掲示のご挨拶では、移転先が「かおる堂大町店」であるとしている。
旭川を越えた大町通り、赤れんが郷土館の隣の隣である。かおる堂に「本店」はないようだが、大町店が本店的位置付けの店舗だと思う。
実は、かおる堂大町店と同じ場所に「一乃穂大町店」がすでに存在する。電話番号はかおる堂大町店と別。移転後どうなるかは不明。
本店が移転してくるからには、店舗改装でもするのかと思ったが、特になさそう。
かおる堂大町店&一乃穂大町店。「しとぎ菓子」ののぼり旗と、ドア左のガラスに「一乃穂」の表示があるにはある
ということは、「1店舗廃止」が実態ではないだろうか。
テナント料や人不足が原因かもしれない。
あとは、旧本店前の人通りが減り、かつ、かおる堂各店や駅・空港で(一部商品はスーパーなどでも)一乃穂商品を購入できるので、単独店舗の存在意義が低くなったのも理由だろうか。
5商品以外に、一乃穂の本店だけで購入できる商品があるようだ。
毎月(月初め?)の1日だけ限定で、月替りの「粢大福」が売り出される。弘前のラグノオや伊勢の赤福でも、同じような商品がある。
6月からは、移転先で販売するとの掲示が出ていた。
「大町本店」と表記
旧本店西面のショーウインドウ
左のガラスの写真は、上が「しとぎ豆がき」、下が「しとぎ餅」。5種の中で、この2つが一乃穂の主力商品。
「しとぎ豆がき」は黒豆入りおかき。
日持ちがして(60日)、個包装で、米どころらしいお菓子なので【22日訂正・個包装、米どころらしいという点は他の4商品も同じか。「おかき」の無難さはあるかも】、一定の知名度と人気がある。帰省シーズン後に、アトリオンの秋田県産品プラザの売れ行きランキングが報道されることがあるが、毎回、しとぎ豆がきが上位ランクインする。
秋田市内の人や企業どうしでも、進物で使うこともある。
「しとぎ餅」は、あん入りの、細長くて平べったい焼き餅。すぐ硬くなって日持ちしないのが欠点。
秋田の素朴なお菓子「おやき【2011年12月4日の記事】」があり、それと同じものを津軽では「しとぎ餅【2014年8月28日の記事】」と呼ぶので、そこからの着想だと思うが、こういう形状は秋田では他にない。
しかし、三重県四日市市の「なが餅/永餅」、桑名市の「安永餅」という、江戸時代からある餅に酷似しており、形状はこちらを意識したと推測する。
それ以外は洋菓子寄りの「しとぎ紗舞玲(サブレ)」、黒豆なしで秋田味噌をつかった「しとぎ味噌がき」、あん入り餅が入った「しとぎ最中」で、どれもおいしいのだが、ほとんど食べる機会がない(←食べたきゃ買え)。
思い出。
一乃穂ができた当初は、テレビCMを流しており、県民に認知されるようになったのだと思う。
「粢」という言葉は一乃穂ができるまでは知らなかった。
1998年だと思うが、弘前の関東地方出身の後輩が、しとぎ餅のこと、それがおいしいことを知っていた。交友関係が広い人だから、もらったことがあったのだろうが、創業5年ほどで、県外でもそれなりに認知されていたのだろう。
「秋田粢(しとぎ)菓子 一乃穂」が正式で、粢とは、「水に浸して柔らかくした生の米をついて粉にし、それを水でこねて丸めた食べ物(一乃穂ホームページより)」。
扱い商品は、その粢を使った5種類(+後述の限定品)だけのラインナップ。

店舗も商品も高級そうで、かつ風格があるようにも感じられ、長い歴史をもつ店に見えるかもしれないが、そうでもない。
「二〇世紀ひみつ基地」2022年11月14日「「木内デパート」食品売場廃止と「一乃穂」誕生秘話(https://20century.blog.fc2.com/blog-entry-1176.html)」の通り、1993年4月オープン。
当時百貨店だった「木内」が食品売り場を廃止したことにより、テナント店舗の売り上げ減少に危機感を抱いた、秋田市の菓子店「かおる堂」が立ち上げた新ブランド。
今まで、かおる堂の別ブランドが一乃穂、つまり運営企業は同一なのかと思っていたが、よく分からない。それぞれの本社は「川尻町大川反170」と「川尻町大川反180-82」で、少し違う。
扇屋開運堂、杉山壽山堂も、今はかおる堂系列。「ポンドール【2020年8月29日の記事】」という店もある。

上記の通り、一乃穂の「本社」は大川反だが、別に「本店」がある。上の2つの写真の店。
一乃穂の店舗は、秋田市内を中心にいくつもあるのだが、それもかおる堂などの店舗と同居というか渾然一体となっていて、全貌がよく分からない。確実に一乃穂単独の店なのは、本店だけだったのではないだろうか。
その本店が、2025年5月21日で店を閉じた。
場所は、中通二丁目4番15号。
秋田駅西口から、大屋根下に下りて、仲小路をちょっと進んだ、ゆうちょ銀行秋田店の交差点角。ホームページでは「アトリオン交差点角」としていたが、あそこをそうは呼ばないでしょう。
1993年3月築の「秋田朝日生命丸島ビル」の1階角に入っていた。ビル竣工時からのテナントだったことになる。

本店は「移転」する。5月23日から移転先で営業。
ホームページでは所在地(大町四丁目3-11)しか示していないが、店舗掲示のご挨拶では、移転先が「かおる堂大町店」であるとしている。
旭川を越えた大町通り、赤れんが郷土館の隣の隣である。かおる堂に「本店」はないようだが、大町店が本店的位置付けの店舗だと思う。
実は、かおる堂大町店と同じ場所に「一乃穂大町店」がすでに存在する。電話番号はかおる堂大町店と別。移転後どうなるかは不明。
本店が移転してくるからには、店舗改装でもするのかと思ったが、特になさそう。

ということは、「1店舗廃止」が実態ではないだろうか。
テナント料や人不足が原因かもしれない。
あとは、旧本店前の人通りが減り、かつ、かおる堂各店や駅・空港で(一部商品はスーパーなどでも)一乃穂商品を購入できるので、単独店舗の存在意義が低くなったのも理由だろうか。
5商品以外に、一乃穂の本店だけで購入できる商品があるようだ。
毎月(月初め?)の1日だけ限定で、月替りの「粢大福」が売り出される。弘前のラグノオや伊勢の赤福でも、同じような商品がある。
6月からは、移転先で販売するとの掲示が出ていた。


左のガラスの写真は、上が「しとぎ豆がき」、下が「しとぎ餅」。5種の中で、この2つが一乃穂の主力商品。
「しとぎ豆がき」は黒豆入りおかき。
日持ちがして(60日)、個包装で、米どころらしいお菓子なので【22日訂正・個包装、米どころらしいという点は他の4商品も同じか。「おかき」の無難さはあるかも】、一定の知名度と人気がある。帰省シーズン後に、アトリオンの秋田県産品プラザの売れ行きランキングが報道されることがあるが、毎回、しとぎ豆がきが上位ランクインする。
秋田市内の人や企業どうしでも、進物で使うこともある。
「しとぎ餅」は、あん入りの、細長くて平べったい焼き餅。すぐ硬くなって日持ちしないのが欠点。
秋田の素朴なお菓子「おやき【2011年12月4日の記事】」があり、それと同じものを津軽では「しとぎ餅【2014年8月28日の記事】」と呼ぶので、そこからの着想だと思うが、こういう形状は秋田では他にない。
しかし、三重県四日市市の「なが餅/永餅」、桑名市の「安永餅」という、江戸時代からある餅に酷似しており、形状はこちらを意識したと推測する。
それ以外は洋菓子寄りの「しとぎ紗舞玲(サブレ)」、黒豆なしで秋田味噌をつかった「しとぎ味噌がき」、あん入り餅が入った「しとぎ最中」で、どれもおいしいのだが、ほとんど食べる機会がない(←食べたきゃ買え)。
思い出。
一乃穂ができた当初は、テレビCMを流しており、県民に認知されるようになったのだと思う。
「粢」という言葉は一乃穂ができるまでは知らなかった。
1998年だと思うが、弘前の関東地方出身の後輩が、しとぎ餅のこと、それがおいしいことを知っていた。交友関係が広い人だから、もらったことがあったのだろうが、創業5年ほどで、県外でもそれなりに認知されていたのだろう。
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