「みみきかんじ」という言葉が、たまに頭をよぎる。
初めて聞いたのは、幼稚園か小学校入学直後頃。クラスメイトが使っていた。
※以下、誤解を招く表現があるかもしれませんが、差別する意図はないことをご承知おきください。
意味は「耳が聞こえない人・状態」。
当時の周囲では、生まれながら、あるいは加齢等により、聴力が低いとか耳が遠い人はいなかったから、そうした人を指すものではなかった。
話が通じない相手だとか、言うことを聞き入れない人に対して、使っていた。「お前の母さんデベソ」みたいな口喧嘩の文句としても使っていたか。
「みみきかんじん」という子も一部にいたし、語呂からわざと「みみ機関銃」と言う子もいた。
学年が上がるにつれ、耳にする機会は減っていった。
中学校では、とある理科の先生が、授業中に騒がしい時【24日訂正】先生の話を聞くべき時なのに、騒いでいる生徒がいる時「ん? みみきかんじがいるぞ」とたまに言っていたのが、久々かつ最後だった。
その中学生の頃に疑問だったのが、「みみきかんじ」の漢字表記や語源。
「耳聞かん」は想像に難くないが、「じ」は?
「耳聞かん児」で、だから子どもにしか使わないのかなと思ったりもしたが、違いそう。
【23日追記・余談だがリポビタンDの「肉体疲労時の栄養補給に」を「肉体疲労児の~」だと勘違いしたことがある人は、けっこういる。】
我が家の大人は、使わないばかりか言葉自体を知らなかった。だから、秋田弁でもなさそう。
じゃあ、幼児語なのかと思っていた。
最近、また頭に浮かんだので、ネットで調べると、意外なことが分かった。
「みみきかんじ」は幼児語ではなく、方言。しかも青森県のものだそう。
以前から触れているように「青森弁」という方言は存在せず、エリアで津軽弁、下北弁、南部弁の3つに大別されるが、いずれにも存在するようだ。「みみきかんず」と言うことも、「耳」がない「きかんじ」とするものもあった。
「秋田弁である」との記述もわずかに存在するが、圧倒的に青森の各方言とするものが多い。
秋田でも一部地域では使うのかもしれないが、もともとは使わず、近年(明治以降とか)になって秋田へ伝わったのかもしれない。それが、回り回って秋田市の子どもも使うようになったのだろうか。
青森での「みみきかんじ」の意味としては、「耳が聞こえない人」、そして「話が通じない/他人の言うことを聞かない人」。我々の子どもの頃と大きくは違わない。さらに転じて「強情な人」という意味(秋田弁の「肩っぱり」相当?)の場合もあるようだ。
ただし、地域や人によって、ニュアンスや解釈は微妙に違うようだ。特に「耳が聞こえない人」については、差別的な意味あいを含むこともあるようだ。
差別的な意味があることを知らずに使う人も多くいる感じ。(繰り返すが、僕たちが子どもの頃も、そのような意図はなかった。バカにする意図はあったけど)おおっぴらに使うには、注意が必要な言葉かもしれない。
では、「じ」(または「ず」)の由来。※素人の憶測です。信憑性はありません。
「負けじと」みたいな否定を意味する「じ」もあるが、そうだとしたら、「聞かん」と既に否定されているのを再度否定しているから違う。
「聞かじ」の間に「ん」が入ったとしても、「じ」は厳密には「否定推量」だから、ここで推量する必要もなさそうだから、違うのでは?
東北の方言であることを踏まえれば、「じ」よりも「ぢ」のほうが適切な気がする。
「ぢ」は「やぢ」、すなわち「やづ(奴)」の短縮かも。
つまり、「耳聞かん奴」が転じて「みみきかんぢ」になったというのは、いかがでしょう。
【2020年1月12日追記】2018年に、弘前市内のとある飲食店で、津軽地方在住と思しきの中年女性2人の会話が耳に入った。そこで、「わ、みみかんじだはんで…」と、大人どうしの会話でみみかんじが使われているのに遭遇できた。この場面では、自虐的に「わたしは耳が遠いから…」というニュアンスだと受け取った。
※似たような青森でよく使われ、秋田でも多少通じる「(テレビ番組が)入る」という言葉について。
初めて聞いたのは、幼稚園か小学校入学直後頃。クラスメイトが使っていた。
※以下、誤解を招く表現があるかもしれませんが、差別する意図はないことをご承知おきください。
意味は「耳が聞こえない人・状態」。
当時の周囲では、生まれながら、あるいは加齢等により、聴力が低いとか耳が遠い人はいなかったから、そうした人を指すものではなかった。
話が通じない相手だとか、言うことを聞き入れない人に対して、使っていた。「お前の母さんデベソ」みたいな口喧嘩の文句としても使っていたか。
「みみきかんじん」という子も一部にいたし、語呂からわざと「みみ機関銃」と言う子もいた。
学年が上がるにつれ、耳にする機会は減っていった。
中学校では、とある理科の先生が、授業中に
その中学生の頃に疑問だったのが、「みみきかんじ」の漢字表記や語源。
「耳聞かん」は想像に難くないが、「じ」は?
「耳聞かん児」で、だから子どもにしか使わないのかなと思ったりもしたが、違いそう。
【23日追記・余談だがリポビタンDの「肉体疲労時の栄養補給に」を「肉体疲労児の~」だと勘違いしたことがある人は、けっこういる。】
我が家の大人は、使わないばかりか言葉自体を知らなかった。だから、秋田弁でもなさそう。
じゃあ、幼児語なのかと思っていた。
最近、また頭に浮かんだので、ネットで調べると、意外なことが分かった。
「みみきかんじ」は幼児語ではなく、方言。しかも青森県のものだそう。
以前から触れているように「青森弁」という方言は存在せず、エリアで津軽弁、下北弁、南部弁の3つに大別されるが、いずれにも存在するようだ。「みみきかんず」と言うことも、「耳」がない「きかんじ」とするものもあった。
「秋田弁である」との記述もわずかに存在するが、圧倒的に青森の各方言とするものが多い。
秋田でも一部地域では使うのかもしれないが、もともとは使わず、近年(明治以降とか)になって秋田へ伝わったのかもしれない。それが、回り回って秋田市の子どもも使うようになったのだろうか。
青森での「みみきかんじ」の意味としては、「耳が聞こえない人」、そして「話が通じない/他人の言うことを聞かない人」。我々の子どもの頃と大きくは違わない。さらに転じて「強情な人」という意味(秋田弁の「肩っぱり」相当?)の場合もあるようだ。
ただし、地域や人によって、ニュアンスや解釈は微妙に違うようだ。特に「耳が聞こえない人」については、差別的な意味あいを含むこともあるようだ。
差別的な意味があることを知らずに使う人も多くいる感じ。(繰り返すが、僕たちが子どもの頃も、そのような意図はなかった。バカにする意図はあったけど)おおっぴらに使うには、注意が必要な言葉かもしれない。
では、「じ」(または「ず」)の由来。※素人の憶測です。信憑性はありません。
「負けじと」みたいな否定を意味する「じ」もあるが、そうだとしたら、「聞かん」と既に否定されているのを再度否定しているから違う。
「聞かじ」の間に「ん」が入ったとしても、「じ」は厳密には「否定推量」だから、ここで推量する必要もなさそうだから、違うのでは?
東北の方言であることを踏まえれば、「じ」よりも「ぢ」のほうが適切な気がする。
「ぢ」は「やぢ」、すなわち「やづ(奴)」の短縮かも。
つまり、「耳聞かん奴」が転じて「みみきかんぢ」になったというのは、いかがでしょう。
【2020年1月12日追記】2018年に、弘前市内のとある飲食店で、津軽地方在住と思しきの中年女性2人の会話が耳に入った。そこで、「わ、みみかんじだはんで…」と、大人どうしの会話でみみかんじが使われているのに遭遇できた。この場面では、自虐的に「わたしは耳が遠いから…」というニュアンスだと受け取った。
※似たような青森でよく使われ、秋田でも多少通じる「(テレビ番組が)入る」という言葉について。
子供しか言わないような、大人は言うのがはばかられるような幼稚な悪口のイメージですなあ。「お前の母ちゃんデベソー」みたいな。
この記事、意外に好評(?)らしく、多くのアクセスをいただいています。
みみきかんじこの~・・・子供の頃、よく言われてました。漫画本をうだうだ読んで、いつまでもお使いに行かないときとか。そうか、秋田でも(一部)使ってたんですね。今は耳にすることもなくなってきました。子供の頃は差別的な思いはなかったですが、だんだんそういう言葉は使わない流れもあって、おまけに方言自体廃れてきていますから、このまま消えていきそうです。
ところで方言関係で広く浅くさんならどう思うか、ということが少しあったので、お時間がある時にでも、ぜひ感想をお聞かせください。
①青森県で家庭教師のトライのCMをそれとなく聞いていたら、違和感が。
何と津軽弁バージョンではないか。(検索すると見つかります。)これは秋田は秋田弁バージョンが流れているのか。このごろはまた標準語の夏期講習が流れているけど、一連のハイジのCM,ふざけてるんだか何だか何の狙いが?、と思ってきたが、耳には引っかかるよなあ~。
②青森県では東テレの番組は、県関係のものが取り上げられていた場合、時期がずれて土曜午後などに放送されることが多いが、(秋田はどうなんでしょ)GW前に放送されたのを見て、びっくりこいた!(昨年12月末に放送になっていたらしい。)
これはすごいです。もしご覧でなかったら、ぜひ見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=7xciA_Hykc8
(この56分のあたりから、30~40分ぐらいなので、お時間のある時にでも)
たった1年半でネットだけでマスターしたらしいですが、可能なもんなのでしょうか???
おまけ・・・毎年10月に青森で開かれている「津軽弁の会」が今年30回をもってひとまず終了というニュースがありました。メンバーの高齢化とか、なんとか・・・。
高齢化、人口減少・・・毎年末RABでも放送されるのですが、確かにやる方も見るほうもみんな年いったなあ、という感じでわびしくなります。
長々と失礼しました。
津軽も秋田も、方言の単語は減りつつあるのかもしれません。一方で、各地独特のイントネーションや発音は、根強く残っているように感じます。
僕が弘前に行った当初も、津軽独特のイントネーションには、けっこうなカルチャーショックを受けました。
トライのCMは、全国放送のはずです。秋田でも津軽弁バージョンでした。その前には、沖縄弁も見ました(他に京都弁、博多弁もあったとか)。
ハイジのキャラクターたちの前の、長いフレーズの方言部分は、別の声のようですが、津軽弁は黒石八郎さんではないでしょうか。おそらく。
以前からハイジを使うこと自体、よく分かりませんが、たしかに気を引く効果はありますね。
昨年だったか、ジャパネットの夏のエアコンのCMがいくつかの方言で放送されていましたが、よそ者が聞いても、ヘタクソな方言でした(これも狙い?)。それと比べると、トライの方言は本格的だと思いました。
テレビ東京の放映は、秋田も同じようなものです。「開運なんでも鑑定団」で秋田からの依頼があった場合、順番を入れ替えて先に放送することもあります。
オランダの高校生の津軽弁。若いから吸収が早いし、好きで熱意があればこそ、習得できたのでしょう。
でも、ネイティブの人と直接接することなくネットだけというのは、本人の特異な能力かもしれません。たくさんある言語から津軽弁というチョイスはすごいですね。
「津軽弁の会」はCDやカセットが売られているのしか見たことがありません。伊奈かっぺいさんのトークは他の場面で見ていますが。かっぺいさんも70歳ですか。
方言を後世に伝えていくことも、難しい時代なのでしょう。