田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

とても書けない曽野綾子さんについて

2015年02月21日 | 日記
 懐かしいお名前です。ご主人の三浦朱門さんも作家で、国務大臣を務められましたねぇ。曽野さんが人種差別を容認したとか、騒ぎになっています。曽野さんの発言を読み、納得せざるを得ない部分が少なからずあります。だけど、擁護などしようものなら袋たたきでしょう。困った時代なことです。

 
 批判の一つが「外国人と同じところに住みたくない」など、アパルトヘイトを是認するような発言は人種差別であるとの批判です。反論しますが、私も曽野さんと同じ気持ちが少しあります。この気持ちは感覚的ではなく私の経験です。

 
 昔、公営住宅に住んでいました。公営住宅法が改正され、戸数の5%は外国人に居住させることなり、我が団地は、当時多かった中国の方が、多数入居されました。自治会は交流の一環として「餃子の作り方を教わろう」を企画しました。

 
 でもねぇ~、食の環境はその人たちの人生を物語ります。日本の言い伝えでも「餅は貧乏人に、魚は大名に焼かせろ」とあるように、料理は育った環境で変わるのです。中国人だから誰でも餃子が作れるわけではありません。日本人が皮から作った餃子を「美味しい、美味しい、こんな美味しい物始めて食べた」と無邪気に言う人達を哀れに思い、知っていて当然と考える私達の傲慢さを恥じました。

 
 ほどなく中国人の家庭に親戚縁者達が多く訪れるようになり、長期滞在から定住する人も現れました。一戸70㎡に十四、五人が住むようになりました。中国では当たり前の環境が、日本では当たり前ではありません。ついには、話し声と物音に耐えられず、退去する日本人が出る始末でした。このことから曽野さんは、決して的外れなことを言っていないと思うのです。

 
 次に曽野さんは「外国人労働者をめちゃめちゃ見下している」と批判されています。また「介護従事者はものすごい待遇が悪いということで度々話題になっているのに。そんな国にだれがしたのか」とも批判が続きます。

 
 母を介護した経験がある私と妻は少しばかり違った考えです。私と妻の介護は、介護とは言えないほど軽い介護だったかもしれません。介護の度合いなど、比較は出来ません。施設の方々は口をそろえて、私達夫婦の介護を褒めてくださいましたが、依頼する者と雇われた者の関係での発言だと思います。

 
 母がお世話になった施設のヘルパーさんに、ブラジル女性がいました。かたことの日本語でしたので、入居老人からも家族からも疎まれていました。ある日、母がお気に入りだった部屋履きの靴底が剥がれかかっていたので、持ち帰り、ゴム糊で修繕し、翌日母に履かせていたら、ブラジル女性が母の名を呼び「○○サン、ヨカッタネ、ヨカッタネ」と何度も言いながら涙をこぼしました。私はまったく状況が飲み込めませんでした。

 
 母が言うには「この人は、お母さんに服も靴もカバンも全部作ってもらい、破れたら直してもらったそうだ」と言うのでした。日本語のつたない二人に、なぜこのような複雑な意志の疎通が出来たのでしょうね。それまでの私は、母との会話が表面的だったのを大いに反省しました。そして、介護従事者の待遇を悪くしている一部には、私達の過大な求めがあるのではないかと思うようになりました。

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