マララさんがノーベル平和賞を受賞しました。おめでとうございます。彼女は勇気があります。国連での演説も素晴らしいものでした。『マララさん国連演説全文』は素晴らしいものでした。彼女がこれからも暗殺の標的になるのを恐れます。そして、イスラム原理主義者が彼女を殺そうとしたのか真の理由を理解できません。同じように、次々と人質を処刑する映像を公開するのも理解できません。それが宗教、信じ込めば悪魔も神なのでしょうか。ま、こんなことは理解できないほうが普通の人なのでしょうね。
さて、今回の平和賞では、日本国憲法第9条が何かと取り沙汰されていました。平和賞は政治的意味合いが強いとも言われ、選ばれた人を守ろうとする意識を芽生えさせる力を期待しているのかも知れません。そんなことを考えながら、第二次世界大戦後の受賞者を調べました。
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1945年 - コーデル・ハル(アメリカ合衆国)
1946年 - ジョン・モット(アメリカ合衆国)
エミリー・ボルチ(アメリカ合衆国)
1947年 - 米国フレンズ奉仕団、英国フレンズ奉仕団
1949年 - ジョン・オア(イギリス)
1950年 - ラルフ・バンチ(アメリカ合衆国)
1951年 - レオン・ジュオー(フランス)
1952年 - アルベルト・シュバイツァー(フランス)
1953年 - ジョージ・マーシャル(アメリカ合衆国)
1954年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1957年 - レスター・B・ピアソン(カナダ)
1958年 - ドミニク・ピール(ベルギー)
1959年 - フィリップ・ノエル=ベーカー(イギリス)
1960年 - アルバート・ルツーリ(南アフリカ)
1961年 - ダグ・ハマーショルド(国連事務総長、死後受賞)
1962年 - ライナス・ポーリング(アメリカ合衆国)
1963年 - 赤十字国際委員会、国際赤十字赤新月社連盟
1964年 - マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(アメリカ合衆国)
1965年 - 国際連合児童基金
1968年 - ルネ・カサン(フランス)
1969年 - 国際労働機関
1970年 - ノーマン・ボーローグ(アメリカ合衆国)
1971年 - ヴィリー・ブラント(ドイツ)
1973年 - ヘンリー・キッシンジャー(アメリカ合衆国)
1974年 - 佐藤栄作(日本)、ショーン・マクブライド(アイルランド)
1975年 - アンドレイ・サハロフ(ソビエト連邦)
1976年 - ベティ・ウィリアムズ、
マイレッド・コリガン=マグワイア(北アイルランド)
1977年 - アムネスティ・インターナショナル
1978年 - メナヘム・ベギン (イスラエル)
アンワル・サダト (エジプト)
1979年 - マザー・テレサ(インド)
1980年 - アドルフォ・エスキベル(アルゼンチン)
1981年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1982年 - アルバ・ミュルダール (スウェーデン)
アルフォンソ・ロブレス(メキシコ)
1983年 - レフ・ワレサ(ポーランド)
1984年 - デズモンド・ムピロ・ツツ (南アフリカ)
1985年 - 核戦争防止国際医師会議
1986年 - エリー・ウィーゼル(アメリカ合衆国)
1987年 - オスカル・アリアス(コスタリカ)
1988年 - 国連平和維持軍
1989年 - ダライ・ラマ14世(チベット亡命政府)
1990年 - ミハイル・ゴルバチョフ(ソビエト連邦)
1991年 - アウンサンスーチー(ミャンマー)
1992年 - リゴベルタ・メンチュウ(グアテマラ)
1993年 - ネルソン・マンデラ、フレデリック・デクラーク(南アフリカ)
1994年 - ヤセル・アラファト(パレスチナ)、
シモン・ペレス (イスラエル)、
イツハク・ラビン(イスラエル)
1995年 - パグウォッシュ会議、 ジョセフ・ロートブラット(イギリス)
1996年 - カルロス・ベロ、ジョゼ・ラモス=ホルタ(東ティモール)
1997年 - 地雷禁止国際キャンペーン 、
ジョディ・ウィリアムズ(アメリカ合衆国)
1998年 - ジョン・ヒューム、デヴィッド・トリンブル(北アイルランド)
1999年 - 国境なき医師団
2000年 - 金大中(韓国)
2001年 - 国際連合、コフィー・アナン(国連事務総長)
2002年 - ジミー・カーター(アメリカ合衆国)
2003年 - シーリーン・エバーディー(イラン)
2004年 - ワンガリ・マータイ (ケニア)
2005年 - 国際原子力機関 、ムハンマド・エルバラダイ(エジプト)
2006年 - グラミン銀行、ムハマド・ユヌス(バングラデシュ)
2007年 - 気候変動に関する政府間パネル、アル・ゴア(アメリカ合衆国)
2008年 - マルッティ・アハティサーリ(フィンランド)
2009年 - バラク・オバマ(アメリカ合衆国)
2010年 - 劉暁波(中華人民共和国)
2011年 - エレン・ジョンソン・サーリーフ(リベリア)、
レイマ・ボウィ(リベリア)、タワックル・カルマン(イエメン)
2012年 - 欧州連合
2013年 - 化学兵器禁止機関
2014年 - マララ・ユサフザイ(パキスタン)、
カイラシュ・サティーアーティ(インド)
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佐藤栄作さん金大中さん、懐かしいお名前ですが、若干首が傾く私です。
さて、今回の平和賞では、日本国憲法第9条が何かと取り沙汰されていました。平和賞は政治的意味合いが強いとも言われ、選ばれた人を守ろうとする意識を芽生えさせる力を期待しているのかも知れません。そんなことを考えながら、第二次世界大戦後の受賞者を調べました。
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1945年 - コーデル・ハル(アメリカ合衆国)
1946年 - ジョン・モット(アメリカ合衆国)
エミリー・ボルチ(アメリカ合衆国)
1947年 - 米国フレンズ奉仕団、英国フレンズ奉仕団
1949年 - ジョン・オア(イギリス)
1950年 - ラルフ・バンチ(アメリカ合衆国)
1951年 - レオン・ジュオー(フランス)
1952年 - アルベルト・シュバイツァー(フランス)
1953年 - ジョージ・マーシャル(アメリカ合衆国)
1954年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1957年 - レスター・B・ピアソン(カナダ)
1958年 - ドミニク・ピール(ベルギー)
1959年 - フィリップ・ノエル=ベーカー(イギリス)
1960年 - アルバート・ルツーリ(南アフリカ)
1961年 - ダグ・ハマーショルド(国連事務総長、死後受賞)
1962年 - ライナス・ポーリング(アメリカ合衆国)
1963年 - 赤十字国際委員会、国際赤十字赤新月社連盟
1964年 - マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(アメリカ合衆国)
1965年 - 国際連合児童基金
1968年 - ルネ・カサン(フランス)
1969年 - 国際労働機関
1970年 - ノーマン・ボーローグ(アメリカ合衆国)
1971年 - ヴィリー・ブラント(ドイツ)
1973年 - ヘンリー・キッシンジャー(アメリカ合衆国)
1974年 - 佐藤栄作(日本)、ショーン・マクブライド(アイルランド)
1975年 - アンドレイ・サハロフ(ソビエト連邦)
1976年 - ベティ・ウィリアムズ、
マイレッド・コリガン=マグワイア(北アイルランド)
1977年 - アムネスティ・インターナショナル
1978年 - メナヘム・ベギン (イスラエル)
アンワル・サダト (エジプト)
1979年 - マザー・テレサ(インド)
1980年 - アドルフォ・エスキベル(アルゼンチン)
1981年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1982年 - アルバ・ミュルダール (スウェーデン)
アルフォンソ・ロブレス(メキシコ)
1983年 - レフ・ワレサ(ポーランド)
1984年 - デズモンド・ムピロ・ツツ (南アフリカ)
1985年 - 核戦争防止国際医師会議
1986年 - エリー・ウィーゼル(アメリカ合衆国)
1987年 - オスカル・アリアス(コスタリカ)
1988年 - 国連平和維持軍
1989年 - ダライ・ラマ14世(チベット亡命政府)
1990年 - ミハイル・ゴルバチョフ(ソビエト連邦)
1991年 - アウンサンスーチー(ミャンマー)
1992年 - リゴベルタ・メンチュウ(グアテマラ)
1993年 - ネルソン・マンデラ、フレデリック・デクラーク(南アフリカ)
1994年 - ヤセル・アラファト(パレスチナ)、
シモン・ペレス (イスラエル)、
イツハク・ラビン(イスラエル)
1995年 - パグウォッシュ会議、 ジョセフ・ロートブラット(イギリス)
1996年 - カルロス・ベロ、ジョゼ・ラモス=ホルタ(東ティモール)
1997年 - 地雷禁止国際キャンペーン 、
ジョディ・ウィリアムズ(アメリカ合衆国)
1998年 - ジョン・ヒューム、デヴィッド・トリンブル(北アイルランド)
1999年 - 国境なき医師団
2000年 - 金大中(韓国)
2001年 - 国際連合、コフィー・アナン(国連事務総長)
2002年 - ジミー・カーター(アメリカ合衆国)
2003年 - シーリーン・エバーディー(イラン)
2004年 - ワンガリ・マータイ (ケニア)
2005年 - 国際原子力機関 、ムハンマド・エルバラダイ(エジプト)
2006年 - グラミン銀行、ムハマド・ユヌス(バングラデシュ)
2007年 - 気候変動に関する政府間パネル、アル・ゴア(アメリカ合衆国)
2008年 - マルッティ・アハティサーリ(フィンランド)
2009年 - バラク・オバマ(アメリカ合衆国)
2010年 - 劉暁波(中華人民共和国)
2011年 - エレン・ジョンソン・サーリーフ(リベリア)、
レイマ・ボウィ(リベリア)、タワックル・カルマン(イエメン)
2012年 - 欧州連合
2013年 - 化学兵器禁止機関
2014年 - マララ・ユサフザイ(パキスタン)、
カイラシュ・サティーアーティ(インド)
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佐藤栄作さん金大中さん、懐かしいお名前ですが、若干首が傾く私です。
読みました。タリバンにはタリバンの主張がありますね。
理解はできますが納得はできませんねぇ。
でも、タリバンの言う現実を見つめたら、
きっと私は納得してしまう・・・・・と思います。
幹部の手紙を何度も読んでみます。サンクス!!
失礼しました。
正しくはこちら
『タリバーン幹部からマララへの手紙』
http://earclean.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-bf6a.html
彼女の生きて来た今までを思えば、受賞おめでとうと心から言いたいのですが、グッチさんも書かれていたように、政治的意味合いを考えると、手放しで喜ぶのは誰かの思惑通りなんてことになるのかしらと、うすら寒い気もするのは、きっとこんな記事を読んでしまったからでしょうか?
「タリバーン幹部からマララへの手紙」http://blog.goo.ne.jp/tagami610/e/65a99290e8a62533a8ff43883756692d#comment-list
平和賞、与える側批判する側。
どちらがどちら、と言うつもりはないけれど、物事を多角的に見る事の難しさそして、知らぬうちに思考を誘導されてしまう自分の浅はかさを、思い知る今日この頃です。
華やかな物の陰に、隠されたり葬られた真実が有る事も。