田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

安全保障関連法案はいつ成立?

2015年09月17日 | 日記
 朝から雨、妻を職場まで送りました。道路には大きな水たまりができていました。歩行者に水をかけないように、スローダウン走行で帰宅。

 昨夜、公聴会が横浜で開かれました。デモ隊が、出席する国会議員の足止めを呼びかけていたそうですが、方向を誤っています。それは、決してあってはならないことです。
 
 デモ隊のシュプレヒコールも、綺麗ではない言葉を、どうしても馴染めないリズムで腰を折って叫ぶ姿が私の目には醜く映ります。この法案に賛成だからうがった見方や感じ方になってしまうのかもしれません。しかし、私達の環境は40年前とは明らかに違っています。
 
 こんな私ですが、'70年安保時は学生でした。地方でしたのでデモはありませんでしたが、心情的には学生側でした。政治の真似ごとをしていた父に対する理論武装で『自民党政権の安全保障』『社会党政権の安全保障』『公明党政権の安全保障』なる書物を購入しました。内容はすこしも記憶していません。批判できるほど、理解はできませんでした。父が言う『蜜蜂でさえ毒針を持つ』の考えに対して、当時の社会党が言う「自衛隊違憲」「非武装中立論」の方が受け入れやすかったのは事実です。それが今の「戦争法案」「だれも殺したくない」「9条守れ」「国民徴兵制度」のスローガンと似かよっています。
 
 日本を取り巻く環境は年を追うごとに厳しくなりました。私は幼いころに『李承晩ライン』を毎日のように見聞きしました。そもそも竹島が日本の領土でなかったのならば、講和条約後の李承晩ラインなど必要なかったでしょう。尖閣諸島においても、地主がいたのですから、かなり古くから定住者がいたのでしょう。この日本国内に地主がいなくて、なおかつ国有地でもない土地など実際あるのでしょうか?。
 
 私たちに、もう少し国土を守ろう、他国の侵略を許さない防御の姿勢があったならば、善良な国民が拉致されるなどの事件は起こらなかったでしょう。大好な日本海の海岸を歩きまわった我が身、いまさらながら恐怖を感じます。
 
 恥ずかしながらこの歳になって、ようやく父の言う『蜜蜂でさえ毒針を持つ』を支持できるようになりました。「変節」と言われようが、一般人の私は、己で考え、決めることに何の躊躇もいたしません。参議院議員の方々もぜひ己の頭で考えてください。あなた方は、私たちに代わって、世界を見て、経済を考え、世の未来を考えて決める人達です。長々と討論するのが仕事ではありません。
 
 選挙で選ばれた今の政府です。どれだけ大声で騒ごうが、法案の阻止は不可能です。それは野党の皆さんは分かっているはずです。つまらないメンツは捨て、再びの政権奪取のために力を蓄えてください。今からでは遅いですが、法案の肉付けをすべきでした。例を上げれば、速やかな邦人保護に対応できる組織、難民保護活動組織、災害救助派遣隊、感染症医療部隊、外国語通訳部隊等など、平和維持のための軍事活動を考えれば切りがありません。どうぞよろしくお願いします。

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