続・蛙独言

ひとりごと

葉書をいただいて

2013-09-18 20:56:20 | 日記
吉田智弥さんからお葉書をいただいた。
蛙からのメールと「蛇行社通信」購読カンパの受領という内容で、こういうのって大概メールで済ましてしまうものなんだろうと思うけれど、「昔人間」なんだなぁって思う。
蛙は年賀状は勿論、一切、「私信」として郵便など使うことがないのは「無精者」なんだからだろうね。

葉書には二つのことが書かれていた。
ひとつは、「独自の解放論」を蛙が展開しようとしているようだが、「いつも途中で尻切れトンボになっている印象」という話。
それは自分でもよく分かっていることなのだけど、基本的には「総体としての『歴史』或いは『世界』の根本的変革」が可能であるか、そういう中でしか「人間の解放」はあり得ないのではないか、そのような「たいそれた枠組み」で考えていこうとしているということもあるからだ。
これまでの「ブログ」でフーコーの「監獄の誕生」についてふれたことがあったが、「被支配」の側の「身体」が「支配」の側に迎合していくように「構成」されていくメカニズムこそ、決定的に重要なことなのだろうと思っている。
「いじめ」などについて考えてみても、「明治」以来、「学校教育」の果たす役割の持続性の故であるのであるから、これはもう「解体」或いは「破壊」をおいてほか脱出の術はないのではないかなどと、できもしないことを主張していたりもするわけだ。
また、世界史的現段階は「ブルジョアジー対プロレタリアート」という構造を突き抜けて、「新しい時代」ということになったのではなかろうかという想いもあって「アントニオ・ネグリとマイケル・ハート」の仕事を理解しようと努めているところでもある。
というわけで、「尻切れトンボ」は今後も当分続くことになる。

またひとつには
「の子ども達の中から医者や弁護士を生み出すことは高名な解放理論家であるO氏の『夢』でしたが、実際に弁護士になった橋下の『裏切り』をどう捉えておられるのか。どこに間違いがあったのか。そういうことを蛙氏に解明してほしいな、と前から思っていた..」
という話もあった。
O氏って大賀さんのことなのかと思うが、蛙はその「夢」が「どのように語られたか」を知らない。
朝田善之助の3C(教師・弁護士・医師)運動を随分以前に批判したことがあったのだけれど、の子どもたちがそのような力をつけていくことに反対するわけではない。
そのように力をつけても「差別を無くしていこう」とする側に立ちきることがなければ何の意味もないということだね。
ウチの支部の貞ちゃんは言っていた。「識字識字ゆうても字ぃ覚えて字ぃ知らんもんを馬鹿にするようになるんやったらやらん方がましや」と。
それだから蛙は橋下が「裏切った」とか「間違った」とかは思っていない。
出身の国会議員とか各級議員、政令指定都市の首長、大学教授等など、「世間」で言うところの「エライ人」はこれまでもたくさんいたし、これからもそうだろうと思う。
問題は「どっちゃ向いてるねんッ!」って話でしかない。
例えば狭山弁護団の中山さんだが、氏は自身の生い立ちを語られる中で、ご両親の生活と解放運動にかける姿について話されている。
問題は「どんなところでどんな風に生きてきたか」ということなのだろう。
橋下の「憎し」は実は「そこのところ」に鍵がある。
ヒトラーがユダヤの血を受け継いでいるのではないかと疑念をもった話は有名だ。
多分、ヒトラーをモデルにしていると思うけれど、ハリーポッターの敵役、ボルデモートもまた、マグル(人間)との「混血」であることを激しく苦にして「純血主義」を貫いた。
このファンタジーはあまり注目されないが、蛙には「反差別」の物語なのだと考えている。
橋下は「」を否定的に捉えているのであるから、これまでの経緯は必然だと蛙は考えている。

そんなことを言った覚えはないと今では言うかも知れないが、橋下が初めて府知事になった折には、宝塚のある支部では最大級の祝辞があげられたことがあった。
「世間」は知らないが、の側では「その人」が出身かそうでないかは早くから知り得る位置にある。
「」出身者の「出世」は「おめでたいこと」と受け止められることは多いが、「問題」は中身なんだけどなぁ。