蛙が考え違いをしているのかも知れないが、「明治」以前、民衆の命がけの抵抗闘争はいくらでもあった。
むしろ旗を掲げての百姓一揆などなど、首謀者は死を覚悟の上で闘ったのだろう。
「明治」以降、大衆的な闘いもあったにはあったが、この「死を覚悟の上」ということは一度もなかったのではないだろうか。
例えば「60年安保」にしたところで、指導部にそんな「覚悟」はなかったし、あの「血のメーデー事件」などでも、そもそも「指導部」などというものがなかったようにさえ思われる。
「明治」以降は、大衆の抵抗闘争の牙が打ち砕かれる時代だったのだ。
「それ」は「何によって」可能となったか。
あきらかに「学校教育」がその役目を果たしたのだ。
戦前では「教育勅語」を筆頭に、教育とはおよそ似つかわしくない「身体そのもの」を含めての「洗脳」が行われたのだったし、戦後にしたところで、「民主教育」とは名ばかりの「画一化」が目指されてきただけのことだったのだ。
どこの世界に子どもたちに「軍服」を着せてする「学校教育」などというものがあっただろう。
「学生服」とか「セーラー服」とは「軍服」に他ならなかったのに、おおよそ「そのこと」に疑問を挟む教育者はいなかったのではないか。
「丸刈りは厭だ」とか「服装の自由化」とか、部分的にはそういうこともなかったわけではないが、それは全体化することはなかったし、第一、「それ」が国家の教育統制への反抗と考えられることは殆どなかった。
「8月15日」を「終戦記念日」と呼び、天皇と軍部と民衆の「戦争責任」をはぐらかしてきた結果という外ない。
蛙は、現実的展望など皆目無いけれど、これまで、「学校は解体されなければならない」と言ってきたことは、そういうことだ。
そのような「学校教育」のなかで、小中高と、蛙はどこでも「トップクラス」の成績を修めてきたことを苦渋の想いをもって振り返っている。
自分にはそんなつもりはなかったように思うのだが、どうしても「他者を見下ろす」ような姿勢が自身の内に培われてきたように思えて仕方がない。