続・蛙独言

ひとりごと

その十

2013-08-24 10:58:33 | 日記
この後の予定ですが、まず初めに「現在という時期」における「解放同盟」の存在意義について考えたいと思います。
次には「解放の道筋」についての蛙の考えを、更には「同盟中央」や「全国連」、共産党など、もろもろの「考え方」の批判を、という風に続けていこうと思っています。

「同対審答申」では「同和問題の解決」は「国」なり「地方行政」なりの「責務」であり、「国民的課題」であるとされたのでしたが、それ自体は間違ってなどいなかった。
ただ、「答申」を武器に闘われた取り組みは、「解放の道筋」を明らかにしていく、そういう作業からかけ離れて、「なんでも行政に要求すればよい」という風に進んでいったのでした。
行政側の対応も問題だったと思いますが。
40年ばかり前の話になりますが、例えば、蛙の取り組みとして若い人たちを何年か続けて「キャンプ」に連れて行く企画を実施していたことがありました。
中学を卒業した後、よい仕事にもありつけず荒れていた子どもたち、シンナーに走るようなこともあった「その子」たちを職安に連れて行ってといったことをやっていたのです。
なんとかそれなりな就職ができた子たちはしっかり立ち直ってくれたと思います。
なによりも「仕事がある」ということは大切なことだったなぁと今でも思います。
このキャンプですが、神戸市に対して「企画書・予算書・会計報告」など、書類がきちんとそろっておれば問題なく全額支給をされました。
後から考えれば、蛙やスタッフの「日当」を請求しても出ていたと思いますが、「実費」請求が正しいと考えていました。
ウチの支部では、共産党が支配しておりましたが、「スキーバス」を何年にもわたって続けていて、それらも全額、個人負担無しで実施されていました。
支部の「スキーバス」参加者の家族には「赤旗」の購読依頼がされていました。
今にして思えば、まったく馬鹿げた話だったとおもいます。
それらの取り組みが「差別解消」とどう結びつくのか、そんなことは省みられることはありませんでした。
蛙もまた、その罪を負うのでしょう。
「子どもたちがしっかりしていってくれたら」とそれだけを考えていました。
こんなことでは「法期限切れ」で運動がポシャッてしまうのは当然のことでした。

この時期、いくつもの「差別事件」にも取り組むことがありました。
おおきなものは「郵政採用差別事件」で、これは「統一応募用紙」を定着させていく重要な成果をあげることができたのでしたが、当事者から、後して「ウチは晒しもんになっただけや」という感慨を受けたことがありました。
この経験から以降、蛙の「差別事件」についての取り組みは「当事者を中心に据えて」というスタイルになったのです。
同盟の主流は「差別事件を全体化していくこと」であったようですが、蛙の場合、本人の意向を中心に考えていましたから「事件解決主義」という批判は免れないと思います。
けれども、間違いだったなどとは思わない。
これまでも、そしてこれからも蛙の考え方は揺るがない。

現時点での同盟の「存在意義」は、いつでも「窓口が開かれていること」、差別に出会ったときに必ず「君を支え続けてくれる仲間はたくさんいるのだよ」ということを伝え続けていくことなのだと思います。
に限らず、労働の現場や生活の現場で「当然知っておかなければならない知識」は実は普通、教えられることがありません。
蛙の場合、「個人商店」的スタイルですから、その分、融通もつき、狭い範囲に限られるけれども、たくさんの人の力になってこれたと思います。

運動の蓄積があるわけだし、協力的な弁護士や税理士・司法書士もまわりにたくさんいるのですから、同盟には力があるのです。
それに対役所との交渉のノウハウもある。

同盟は「生協」的な生活互助機能をもっと発揮することができるはずです。
それに、持っている「資金」など銀行などに預けるのではなく、「自前」の「金融機関」を設立すべきだっただろうと思うし、それが難しくてもせめて「労金」に預けるべきでしたでしょう。
まして「運用」などと称して「外債」や「公債」・「株式投資」などなど、馬鹿げた行為を行っていることは許されることではありません。

たいへん苦しい状況にはあるけれど、高く荊冠旗を掲げ続けていくことは大切なことなのです。