聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




民数記 11:16 主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。
11:17 わたしはそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。
11:18 民に告げなさい。明日のために自分自身を聖別しなさい。あなたたちは肉を食べることができる。主の耳に達するほど、泣き言を言い、誰か肉を食べさせてくれないものか、エジプトでは幸せだったと訴えたから、主はあなたたちに肉をお与えになり、あなたたちは食べることができる。
11:19 あなたたちがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではない。
11:20 一か月に及び、ついにあなたたちの鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる。あなたたちは、あなたたちのうちにいます主を拒み、主の面前で、どうして我々はエジプトを出て来てしまったのか、と泣き言を言ったからだ。」
11:21 モーセは言った。「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一か月の間食べさせよう』と言われます。
11:22 しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか。」
11:23 主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」
 11:31 さて、主のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。うずらは、宿営の周囲、縦横それぞれ一日の道のりの範囲にわたって、地上二アンマほどの高さに積もった。
11:32 民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも十ホメルは集めた。そして、宿営の周りに広げておいた。

詩篇 107:1 「恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに」と
107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
107:3 国々の中から集めてくださった 東から西から、北から南から。
 107:33 主は大河を荒れ野とし 水の源を乾いた地とし
107:34 住む者の悪事のために 実り豊かな地を塩地とされた。
107:35 主は荒れ野を湖とし 砂漠を水の源とし
107:36 飢えていた人々をそこに住まわせ 人の住む町を固く立てられた。
107:37 彼らは野に種を蒔き、ぶどう畑を作り 作物を実らせた。
107:38 主が祝福されたので彼らは限りなく増え 家畜も減らされることはなかった。
107:39 不毛、災厄、嘆きによって 彼らは減って行き、屈み込んだ。
107:40 主は貴族らの上に辱めを浴びせ 道もない混沌に迷い込ませられたが
107:41 乏しい人はその貧苦から高く上げ 羊の群れのような大家族とされた。
107:42 正しい人はこれを見て喜び祝い 不正を行う者は口を閉ざす。
107:43 知恵ある人は皆、これらのことを心に納め 主の慈しみに目を注ぐがよい。

エフェソ 4:17 そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、
4:18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。
4:19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。
4:20 しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。
4:21 キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。
4:22 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
4:23 心の底から新たにされて、
4:24 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。


かつてエジプトで奴隷の状態から救い出されたイスラエルの民は、荒野での生活に耐えきれず、エジプトにいた頃は肉をたらふく食べることが出来たといって神につぶやいている。
人間とは、かくも身勝手で、欲深い生き物であるかということと同時に、いとも簡単に神を忘れてしまうものであることを思う。
神を忘れるというより、神に憐れんでもらっていることや、神から恵みを頂いていることを忘れてしまうのである。
そもそも、私たちが生きていくために必要な食べ物や全ての物は、神から与えられた恵みに他ならない。
いくら工場でものを作ったとしても、それらの原料はみなこの世界から得られたもので、神が造られたものを加工しているに過ぎない。
全ては神の恵みであり、私たち人間は、神の恵みのなかに生きているのである。
ところが、主なる神様は、そんな恵みを忘れ、自分勝手に生きている罪深い人間を愛し、救おうとされ、御子イエス様をこの世に送り、人を救うための贖いの代価としてイエス様の命を捧げて下さったのである。
これもまた恵み、いや、これぞまことの恵みと言えるだろう。
私たちは、神の恵みなしには生きていられないのである。
愛と憐れみに満ちた立派な人になれるに越したことはないが、まずはその前に、神の愛と憐れみによって救われている者であることを感謝しよう。
全てはそこから始まるし、救われた者であることを知る事こそが私たちの全てであると言っても過言ではないのだから、キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んでいきたいものである。


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