hasyan の 旅の散歩道

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新緑の姫路古刹圓教寺を訪ねて  2011.05.16

2011年05月17日 19時12分45秒 | 神社・寺院


  所在地   書写山圓教寺   姫路市書写2968

 姫路市街の北西部に位置する書写山は、標高371m。ロープウェイは、山麓駅と山上駅の高低差210mを約4分間で結んでいます。山上駅を下りれば、「西の比叡山」とも呼ばれる書写山圓教寺の境内に入ります。

 山上にある西国三十三観音霊場第27番札所書寫山圓教寺(円教寺・えんぎょうじ)は、康保3年(966年)、性空(しょうくう)上人によって開かれた天台の古刹です。

 しばらく歩くと最初に仁王門が現れます。明治維新までの書写山は女人禁制だったため、女性が仁王門をくぐることは叶わなかったそうです。

 圓教寺会館(金輪院跡)です。ラストサムライの撮影時には、ここで俳優さん達が休憩をされていたようです。

 十妙院の入口の、手前の松は、昭和天皇 お手蒔きの松があります。

 十妙院の庭です。落ち着いた雰囲気ですね。

 昔、この石の上に乙天、若天の二人の童子がこの石に降り立ち、寺門を守ったと言う伝説が残っています。 また別名「弁慶のお手玉石」と呼ばれ、この大きな護法石を弁慶はお手玉にしたと言われています。

 湯屋橋を渡ると摩尼殿(まにでん)が見えます。この石段をあがります。マニとは梵語の如意のことで、天禄元年(970)創建。 本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。

 摩尼殿(本尊如意輪観世音菩薩)は西国第二十七番の霊場として、今も全国から参詣者多く、その信仰の中心であるようです。

 秋の紅葉は摩尼殿から見たいものですね。

 秋の石灯籠と摩尼殿の欄干が美しいでしょうね

 左側、大講堂は、圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場です。室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三つの堂」を形成しています。アメリカ映画ながら、日本を舞台に日本人と武士道を偏見なく描こうとした意欲作で、多数の日本人俳優が起用されたことも話題を呼ぶ「ラストサムライ」の撮影したところです。

 大講堂、寛和2年(986年)に花山法皇の勅願により創建され、このときに、圓教寺の寺号を賜ったといわれています。

 新緑のモミジ越しに常行堂が見られ、常行三昧のための道場で、堂の北側、大講堂に面して舞台がつけられており、釈迦如来に奉納するために舞や雅楽が行われたといわれます。

 境内には、新緑のモミジが綺麗で心が休まります。

 姫路城主だった本多家の墓所。墓石の上に屋根があります。5軒建っています。

 左に進むと鐘楼が、袴腰(はかまごし)付で腰組を持つ鐘楼で全体の形もよく整っています。鎌倉時代後期の様式(国重要文化財)だそうです。

 金剛堂は三間四方の小堂で、元は普賢院という塔頭の持仏堂でした。内部には仏壇を設け、厨子を安置しており、天井には天女などの絵が描かれています。性空上人は、この地に於いて金剛菩薩にお会いになり、密教の印を授けられたと言われています。

 境内を歩いていると、何処からか「鹿」の子供が出てきました。可愛い小鹿です。

 こんな所に松平直基の墓所が徳川家康の孫にあたり(家康2男・秀康の第5子)もとは出羽国の山形城にいましたが、播磨国の姫路城主に命じられましたが、山形から姫路へ移封の途中、江戸で発病し姫路に入らず亡くなり直基の子・直矩が姫路城主になったとき分骨して書写山に墓所を造りました。

 ここが瑞光院、秋の紅葉は綺麗でしょうね。

 ロープウェイ山上駅附近の公園には、つつじの花が咲き誇っています。

 ロープウェイ乗り場に「ニセアカシア」の花が咲いていましたよ。

 ロープウェイが来ましたので、乗車して下山します。
次回をお楽しみに  では またね

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