hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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関宿・関地蔵院  2013.09.06

2013年09月10日 17時19分50秒 | 神社・寺院


  所在地  関地蔵院     三重県亀山市関町新所1173―2

 東海道47番目の宿場町として栄えた関の町。ここにわが国最古の地蔵菩薩で知られる地蔵院(通称・関のお地蔵さん)が所在します。天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。

 鐘楼(附:棟札、三町普請鐘楼堂修覆記) - 寛永21年(1644年)建立のようです。この鐘楼の形はちょっと珍しいかもしれませんね・・・境内の本堂、鐘楼、愛染道の3棟の建物は国の重要文化財に指定されています。

 お地蔵様は、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩です。この本尊は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々の信仰も集め、多くの人々に敬愛されてきました。

 これは、地蔵院愛染堂です。愛染堂大修理のときに,有名な一休和尚が東海道を旅していたそうな。地蔵の開眼供養をしてほしいと考えていた村人たちが、関宿を通りかかった一休和尚に頼んだところ快く引き受けてくれました。しかし、一休和尚は「釈迦はすぎ、弥勒はいまだ出でぬ間の、かかるうき世に目あかしの地蔵」と詠み、立小便をして立ち去ってしまいました。これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じました。あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、地蔵の首にかけるようにと古びた下帯(ふんどし)を手渡され、言われたとおりにしたところ、高熱は下がったといいます。

 当寺は天平十三年(741)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため、行基菩薩によって創建されたと伝えられる古刹で、本尊である地蔵菩薩坐像は、わが国最古の地蔵菩薩と言われています。元禄十三年(1700)、五代将軍・徳川綱吉公の手によって新しい本堂ができ、地蔵尊はそちらへ奉安されることになりました。

 お地蔵様は、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから私達を救ってくださる菩薩で、奈良東大寺で知られる僧・行基が天平十三年(741)諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この関の地にお地蔵様を刻んで安置されたのが、始まりといわれています。
「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろう」と歌われたほど円満な顔だちのお地藏様です。
 次回をお楽しみに  では またね



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