所在地 無動寺 神戸市北区山田町福地新池100
神戸六甲山系の北側にある山田町福地、途中までは車で行き駐車場に止め、若王山無動寺の参道を進みます。
新緑豊かな道をしばらく歩くと、本堂に続く石階段が、
高台にある無動寺、その石垣周辺は、今、新緑が綺麗で秋には紅葉が素晴らしいでしょうね。
少し見にくい所に、「椿句碑」が、~椿落ち苔に浄火を點じけり~ 細見しゅこう作
石段を上がると本堂が、寺伝によると飛鳥時代に、聖徳太子が物部氏と崇仏論争の際、仏教の普及をこの地で祈願し、仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)に造らせた大日如来など数体を安置したことが始まりとされています。若王山浄慶院福寺と称し、亨保十年(1725)当時無住で縁起もわからなくなっていた福寺の再興を発願。救ったのは高野山の高僧・真源和尚でした(山田の出身)。本尊は国の重要文化財。桧の一本造りで像高は2.8mもあります。その両脇には釈迦と阿弥陀の両如来です。この三体で真言密教系の三尊形式を成しています。
無動寺は、神戸十三仏十二番霊場で本尊は大日如来座像です。開運大日如来 桧材一木造 像高 2.785m制作年代は藤原初期を下らないとされています。力強い刀法を示す特異な作風が注目されています。本堂の前には、一願大師もあります。
一願大師の後ろには、茅葺の庫狸があり、右側に鐘楼が、
無動寺の境内の西側、一段高い所に鎮座する神社です。明治初年までは無動寺の鎮守社で、若王子権現と呼ばれていましたが、神仏分離令によって、無動寺から分離しました。
若王子神社の社殿へ行くには、岩肌の道を登ったところにあります。
社殿は、永仁5年(1297)橘長綱の建立によるもので、応永5年(1408)に橘光綱が新たに建築したと考えられます。
三間社流造の小さな社殿ですが、屋根には竪板葺を残し、手挾の彫刻も精巧です。覆屋内にあることから、保存状態も良く、当時の特徴をよく伝え、室町前期の建築技法を知る上で貴重な社殿です。無動寺、若王子神社を中心として数多くの祠が点在する一帯を、神戸市の文化環境保存区域に指定しています。帰りは無動寺の本堂前を通り参道へ
来た道の参道には、たくさんの石の祠の仏様があり、今は新緑で秋には紅葉で綺麗でしょうね
次回をお楽しみに では またね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます