hasyan の 旅の散歩道

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津山市・城東むかし町家(梶村邸)  2013.05.26

2013年06月01日 13時19分02秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   城東むかし町家(梶村邸)   岡山県津山市東新町40

 今から310年前の元禄時代(江戸時代)に建てられた町家です。この梶村家は、茂藤籐右衛門(しげとうとうえもん)が、1767年(明治4年)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。

 入口を入った右に、津山松平藩主所乗物(大名かご)がありました。この乗物は、対馬藩主が参勤交代の道中に用いたもので、江戸市中では、将軍や御三家などしか使用できない最高級の仕様です。参勤交代の道中では、普段より格の高いものを使用する例もあったようです。

 奥の「かまど」には、「せいろ」が乗っかっています。だけどちょっと近年修復されたようですね。

 井戸と昔の消防ポンプがありました。

 中庭に入り、そこには大正期に建てられたという座敷が、

 蔵が2戸並んでいて、向こうは昭和初期の西蔵で、こっち側は大正期の東蔵です。古い方の蔵は展示室になっています。

 「郷土の誇り久米土人形展」が城東むかし町家の旧梶村家住宅東蔵で開かれています。また、「全国各地の雛展」も同時開催で珍しい格好をした土雛が沢山あり可愛いしぐさの素朴なお雛様に思わず心を微笑みます。

 東蔵の展示場には、棟方志功の足跡は津山にとって貴重な財産であり歴史です。津山を愛してくれていた棟方志功の作品を中心に展示を行っています。

 郷土の誇り久米土人形。江戸期の昔から津山市久米宮尾の里で五代目の作者岸川武士妻、留代さんに依って作り続けられて来ました。特に天神は面長で気品のある顔立ちは日本一の美男子天神様と人気がありました。(津山郷土玩具愛好会)

戦後間もない昭和20年代、棟方志功が津山や岡山県北をたびたび訪れていたことはあまり知られていません。 

 前方のくぐり戸を抜けて旧土蔵跡に

 このお茶室は、明治時代に、梶村平五郎という人は県会議員でしたが、短歌が大変得意で、この茶室で短歌の勉強をしていたそうです。明治42年には「歌会始」に入選しています。またこの茶室は「千草の舎」(ちぐさのや)と言われています

 中庭には、町屋敷のなまこ壁の蔵、泉水のある庭、茶屋風の風流な屋敷など、見どころががいっぱいです。

 なんだか落ち着くような座敷です。天井には屋久杉が使用されているそうですね。

 今から310年前の元禄時代(江戸時代)に建てられた町家です。この梶村家は、茂藤籐右衛門(しげとうとうえもん)が、1767年(明治4年)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。

 建具もちょっと違うね

 ちょっと「窓ガラス」を覗いて見ると、ゆがんで見えます。これは手作りガラスで今では大変めずらしいものです。出雲街道を歩いていると、この様なガラスがありますので探してみてはいかがですか。

 津山の代表的商家だった、梶村家の住居は一般公開して無料で見ることが出来ます。増改築を繰り返したことから江戸後期~昭和初期の建物があり、さまざまな時代の商家の暮らしぶりが偲ばれますので一度入られてはいかがですか。
 次回をお楽しみに  では またね