Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

韓国の市場にて

2005-03-02 | East Asia
2005.03.02.Wed
*もう少し韓国に滞在する妻子を残して僕だけ一足先に日本へ。妻が釜山までクルマで送ってくれた。洛東江(ナクトンガン)のたおやかな流れは相変わらずだけど、それにしても僕が最初に韓国を訪れた15年前と比べて信じがたいほど高層マンションが増えた。雄大な金海デルタもこれじゃ終わりだな。

*帰りの機内で読んだ雑誌記事(6 Tips for Picking an Educational Program, By Katherine Weddle, Special Section: Executive Education, nwa World Traveler, Feb. 2005, p.59-68):アメリカの大学の役割として、社会人の再教育が重要なウェイトを占めていること。アメリカは転職も多いから、新たなスキルを身につけようとする人も多いのだ。それに対応してフレキシブルなカリキュラムやスケジュールの設定が不可欠となる。日本の大学も大きくはこういう流れにあるんだろうな。少子化だし。

2005.03.01.Tue
3.1独立運動を記念する祝日で韓国はお休み。この日、韓国では、独立運動や竹島(韓国では独島(ドクト))問題についてTVで念入りに報道されていた。ノ・ムヒョン大統領は、国民の感情を考慮してか、(日本の)戦後補償問題が未だ解決していない旨の見解を明らかにした。こうした国民感情は、韓国の普通の市民にとって、無関係と言わないまでも、別段どうってことのないこと、と僕はみている。少なくとも、そういう報道を前に、地方都市のド下町の市場(シジャン)で僕が日本人であることを知っていても、後ろ指さされたり、身の危険を感じる(笑)ようなことは今の韓国では決してない。

2005.02.28.Mon
早起きして、高速道路でポハンヘ。竣工したばかりの高速を使って東海(トンヘ。日本海のことだが、韓国ではこう呼んでいる。妻も日本海というと怒る)へ。片側3車線の広々とした高速道路で、時折目につく中央分離帯は驚くほど広く、修景にも気を遣っている。巨大な切り通しは日本と同様であるが、土層はほとんどなく、すぐに岩盤である。緑化やコンクリの吹きつけはほとんど行われず、削った岩がそのまま露出している。斜度のあるところでは崩落防止用のネットが張ってある。ネットの色が緑色なのは愛嬌。

昼食で名産のカニ(デゲーと呼ばれていたが、日本で言うズワイガニであろう)をいただく。専門の食堂ではなく、一般の漁師宅でカニを食わせてくれる。味は確かだが、一般の民家ということで、サービス精神はゼロ。座布団は足りないし、我々の料理と一緒に、家族の料理も準備するし、アジュンマ(おばさん)が途中でどこかに行っちゃって、調理中の鍋が吹きこぼれるし、じつにアットホームだ。それにしてもこれだけの量のズワイガニをたらふく食えるなんて、日本じゃ考えられない。昼食後、東海に面した初日の出の名所、「日出公園」と一大観光地「三思海上公園」、カニタウンを見学して、帰宅の途に。

2005.02.27.Sun
たっぷり睡眠をとり、日中は妻の実家で仕事。夕食は義父と妻子、義妹とその子供達と一緒に外食。息子の言語OSが素早く韓国語にスイッチしている。息子の韓国語力はとうに僕の上を行っている。鳳徳市場(ポンドク・シジャン)にほど近い専門店で、カムジャ・タン(ジャガイモ鍋)とカルビ・チム(カルビ蒸し)をいただく。美味い。帰宅後、また仕事。

2005.02.26.Sat
イミグレーションは女性の審査官のほうが処理が早い。この傾向は概ねどの国でも同じとみた。だから、順番待ちは、女性審査官の列に並ぼう。釜山(プサン)から高速道路で妻の実家のある大邱(デグ)へ。途中のサービスエリア(韓国では休憩所(ヒュゲソ)という)で焼き芋(ジャガイモ(カムジャ)の鉄板焼き)とうどん(韓国でもウドンとそのまま発音)を食う。このカムジャがしこたま美味い。一口サイズのジャガイモを鉄板で焼いたもので、塩をまぶして食うのだが、柔らかくて香ばしくて休憩所に来ると必ず食べることにしている。韓国のうどんもうまい。日本占領時代から定着し、そのまま韓国でも「うどん」と呼び習わされている、韓国人にとっても人気のファストフードだ。

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