Wednesday, Dec.27, 2006
■ ほとんど徹夜で韓国行きの準備。今年生まれた次男を連れて一家4人で大邱(デグ)の妻の実家へ。昨年暮れの観光地プロジェクト以来ほぼ一年ぶり、かつ全くのプライベートでの韓国訪問。市川松戸道路の大渋滞を抜け、高速で成田空港へ。渋滞で時間をロスし、やむなくメルセデスだらけの空港駐車場に駐車。
■ 釜山(プサン)で義父母が出迎え。釜山から大邱への移動は、民間資本による建設の新高速道路(釜山~大邱)で時間短縮。ああ、インフラ建設のなんたる早さよ、韓国。清道(チョンド)のPAで休憩。公設の高速道路に比べPAの質が高い。
■ 2時間強で大邱到着。一年ぶりの大邱は高層マンションが益々増え、ちょっと様変わりしていた。ソウル資本による投機的性格の強い不動産開発で、地元市民の手に渡る頃には不当な高値につり上がっている。明らかな過剰供給でバブルの崩壊が懸念される。それより何より、これでは空の広い盆地都市大邱の景観が台無しだ。
Thursday, Dec.28, 2006 寒波到来
■ 叔父夫婦と昼食後、三星(サムソン)と英 TESCO(テスコ)の合弁による複合ショッピングセンター Home plus を訪れる。日本では苦戦・撤退を強いられている欧米系メガスーパーマーケットが、韓国ではすんなりと受け入れられているよう。クルマでやってきてどでかいカートにガバガバ食料品・日用品を買い込むアメリカ型消費スタイル。それでいて町中の伝統的な市場(シジャン)や小売店もちゃんと生き残っている。どうも消費者は使い分けをしているようだ。義父と合流し大邱観光協会へ。日本語の「大邱観光案内」をもらう。こいつが後日大いに役立つことに。
■ 一旦帰宅し、念願の home SPA world (公衆浴場兼蒸し風呂兼スポーツジム兼プール)再訪。チムチルバンでたっぷりと一年分の汗と疲れを流す。夕食。この施設、何種類もの蒸し風呂の中でゆっくり寝転がれるのが特徴。おまけに24時間営業で、深夜12時を回るとブランケットが配られオンドルの広間でみんなでゴロ寝。ロッカーに収まるほどの荷物なら、宿泊施設としても使える。レストランやパソコンルーム(インターネット)、DVDルームも完備されており、至れり尽くせり。ちなみに蒸し風呂は男女共用で、汗をかいても型くずれしない分厚いコットンの専用着を男女とも身にまとう。韓国人というのは意外とオープンで、若いカップルや夫婦が蒸し風呂でチチクリあっている。家族連れや子供達も多いが互いにべつだん気にとめる様子もない。ああ、儒教の教えは何処へ。いいけど。
■ 長男と一緒にレゴ Knights' Kingdomシリーズの ‘Lion Castle’ を完成。
Friday, Dec.29, 2006 零下8度
■ 妻と一緒に2回目の home SPA world。ゆっくりと3時間汗を流す。大の男達が3時間も4時間も湯につかり、蒸し風呂で汗を流し、垢を落とす。書物を数冊持ち込んでゆっくりと読みふける者。ゆっくりとTVやDVD鑑賞にひたる者。子供とプレイルームで遊びに興じる者。パートナーと二人だけの時間にひたる者。スタイルはいろいろだが、これがコリアンスタイルである。たいていの日本男子なら温泉でも30分程度がいいところだろう。しかも、湯から上がると女性顔負けの念入りな肌のお手入れ。ヘアスタイルや整髪料はもちろん、スキンクリーム等を全身に塗りたくる。いや、そうでもしないと外に出れば凍える外気で肌はガサガサになってしまう。今度来るときは本を持ってきてゆっくり読むことにしよう。
■ 東亜百貨店寿城支店のARDEN HILLS(人気のバイキングスタイルのレストラン)にて叔母と義妹と夕食。西洋料理や中華が中心だが、お味は???。韓国に限らないことだが、料理はご当地のものがやはり一番うまい。しかし、そのことは意外にも地元の方々にはわからないらしく、30分以上の順番待ち。
Saturday, Dec.30, 2006 快晴
■ 先日、観光協会でいただいた観光案内から情報を得て、大邱市内屯山洞の漆渓村(オッゴル・マウル)を訪れる。慶州崔氏一族が住む集落で、朝鮮時代の特徴を良く残す両班(ヤンバン)の家屋が残る。とくに宗家の屋敷は大邱地域で最も古い建築物(約400年前)で、なおかつ現役の住宅でもある。マダン(中庭)から座敷に上がらせてもらい温かいコーヒーをごちそうになった。家屋保存や維持管理のための行政からの資金援助はとくになく、あるのは全国に散らばる一族・子孫からの支援のみ。それでも見事に維持管理(一部復元も)されている。日本ではあり得ない話だ。
■ 達城側柏樹林見学。側柏(そくはく)とはコノテガシワのことで、当地は自生地としては南限とのこと。市街地にほど近く、天然記念物第一号であるにもかかわらず、あまり宣伝がかんばしくなく、せっかくの資源がもったいない。断崖にへばりつくようにして鬱蒼と茂っている。樹林を眺めるのにちょうど良い位置に公園と駐車場が整備されている。韓国の公園には古風な四阿がつくられているのをよく目にするが、好感が持てる。
■ 不老洞古墳群見学。3~5世紀頃のこの地域の支配階級の墳丘群で、現在では古墳公園として整備されているにもかかわらず、敷地の境界線にフェンスや壁などの物々しい構造物等もなく、周辺の市街地や農地と自然に融合している。先の集落もそうだが、韓国の歴史的遺産というのは、観光資源や観光地として現代の生活から切り離されて存在しているのではなく、生活と一体化している印象を受けるものが多い。妙にこぎれいに整備されていないところが逆にリアルである。
Sunday, Dec.31, 2006 大晦日 晴れ
■ 大学院時代の友人Pさん一家とショッピング&食事。COSTCO で子供向けのEdu.系本、洋書等をまとめ買い。安い。買い物後、一緒に昼食。それにしても韓国の料理はどの店もボリュームが半端じゃない。日本の習慣で「残さず」食べようとすると、とてもじゃないが胃腸が持たない、というか不可能。韓国滞在中、胃袋は常に飽和状態で、出しては食う(←失礼)、という表現がぴったり。韓国初心者の頃はその辛さも手伝って胃腸をよく壊したものだ。
■ 帰宅し、午睡をむさぼる。夕方起き出して、大邱プラザにて洋服を新調。ここ数年、衣類はほとんど韓国で購入というパターンが定着している。同じ品質のものが日本より安く手に入るというのがその理由。デザインのバリエーションが豊富で、気に入るものを確実に見つけられるのも嬉しい。さらに驚きだったのは、ボクが買いたいカラーとサイズの品物を(その店には在庫がなかったので)市内の本店からあっという間に取り寄せてくれたこと。「30分で用意するからそのへんを見ててくれ」と言うのだ。日本であれば、「お取り寄せに1週間程かかります」の一言で片づけられていたはず。韓国は融通の利く国である。
■ 韓国は旧暦の正月を祝うので、西暦の年末年始はそれ程盛り上がらないと思いきや、実際には日本以上の盛り上がり方でびっくり。韓国人というのはお祭りごとへの熱の入れ方やその演出の仕方が実に派手である。TVでは、再生された清渓川(ソウル市)と野外ライブ会場、スタジオの三元生中継で新年のカウントダウンを盛り上げる市民の熱狂を伝えていた。日本の「行く年来る年」の、ボクの大好きなあの風情は、韓国のどこのTVプログラムを探しても見つけることはできない。(まあ、日本でもあの番組が「いい」という人は少数派だということぐらい知ってるがな)
Monday, Jan.1, 2007 元旦 晴れ
■ ゆっくり起き出して遅い朝食をとり、3回目の home SPA world。時間が余りなかったのでチムジルバンのブルガマ5連発で新年初汗。したたる汗。最高。。。今回、場化っ力(←誤変換ではなく「ばかっちから」と読む。空間を使いこなす、つまり場所化する能力を表すボクの造語)は、民族によって差があることを実感した。中国人の場化っ力にも相当びっくりさせられたけれど、韓国人もなかなかどうして。屋内だろうが屋外だろうが、どんなところでも、2~3人も寄り集まれば、飲み物や軽食を囲んで座り込みの話し合いが始まる。日本人と空間の関係というのはもうちょっとなんというかよそよそしい。中国人、韓国人と比べたら、ほとんど「無力」と言ってよい。
■ 叔父一家と刺身の夕食。韓国では家族や親類と顔を合わせる機会が本当に多い。「家族」は人生の基本要件である。TV等を見ていても、日本では、「家族」それ自体がドラマのテーマになったりするが、韓国ではそういうことはない。歴史物だろうが、恋愛物だろうが、ギャング物だろうが、どんなTVドラマにおいても「家族」は基本プロットとして刷り込まれており、それ自体がテーマになったりすることは決してない。「家族」がちゃんと生きている証拠であろう。
Tuesday, Jan.2, 2007 晴れ
■ 帰国。釜山への高速道中、義父から興味深い昔話を聞くことができた。トラの話である。義父の祖母が幼少の頃、山菜採りに入った山でトラの子に遭遇しその愛くるしい姿に見とれていたところ、近くに親トラと思われる成獣の鳴き声を聞き、あまりの恐ろしさに荷物を放りだして逃げ帰った。翌日、起きて家の前を見ると、山にうち捨ててきたはずの荷物が整然と置かれていたという。韓国では、トラに関するこの手の民間説話には事欠かない。日本の植民地時代に乱獲され絶滅するまでは、トラはごく普通に見られた身近な獣であったらしい。それはともかく、義父の話については、その真偽よりも、トラが霊験あらたかな聡明な獣として人々に認知されていたことを物語っている点を重視すべきだろう。韓国では、非常に稀な数奇な運命のことを称して「トラに食われるような運命」と形容することがあるという。つまり、トラがヒトを食らうのはごくごく稀なことであったということだ。恐怖する存在というよりは崇めるに値する獣として認識されていたということになるが、義父の話には続きがある。義父の祖父は上背のある体格豊かな大男で、なんとトラの背中に乗ったことがあるというのだ。で、ボクはわけがわからなくなるのである。
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