Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

'histroic'補記

2006-09-19 | Japan
’歴史的'とは、ただたんに古いだけではなく、ある時代の特徴をよく表していることに価値が求められるのであって、現代の価値観や利用形態に適合していることは(適合しているにこしたことはないが)、必ずしも具備すべき条件とはならない点に留意すべきである。このことから、いま、使い勝手が悪いからといって、それを破壊(再整備)するにはあたらないということが言える。むろん、月並みな公園であれば再整備は免れないが、'歴史的である'というまさにそのことによって再整備を免れ得るし、今日的なレベルから見て必ずしも十分な空間性能を満足していない、ということが許されるのである。これは例えば、「桂離宮」をバリアフリー化せよ、とか、姫路城にエレベーターを付けよ、などというバカなことは誰も言わない、ということを想起すればよいだろう。

'historic'の条件

2006-09-19 | Japan
連休中に息子にせがまれて久しぶりにおっぱい公園(川萩公園、松戸市三矢小台)に行ってきた。昭和40年開園の齢41歳を迎える古い公園だ。イギリスでは歴史的(historic)庭園・公園と称される基準を最低でも開園後30年を経過していることと定めている。あの歴史が積層したような国イギリスを思い浮かべた時、これは決して多い数字とは言えない。むしろ、たった30年でいいのか、という感じだ。しかし、これは、戦後の作品、近代の作品も歴史的遺産として積極的に評価していこうとする姿勢の表れであり、変化の速度の速い現代社会にあってむしろ妥当な数字と言えるかもしれない。

翻って、我が国はどうか。公園の歴史の浅い我が国ではあるが、デザイン、事跡ともに歴史的遺産と呼んでよい公園は数多く存在すると僕は確信する。それが、再整備という名の下にどんどん失われている。実に驚くべきことである。再整備時に評価されるものはせいぜい成長した樹木がいいところである。もちろん、拙いデザインは修正されなければならない。しかし、維持管理の不備とデザインの善し悪しの問題を取り違えているケースが実に多いような気がする。その陰で、数多の歴史的公園が姿を消していく。

公共事業が先細りを見せる中、公園の再整備は公共造園業界にとって重要な活路の一つといえるが、過去のデザインをいとも簡単に変更するのは自らがやってきたことを否定するようなものである。住民の言いなりにならないで、むしろ歴史的なデザインの重要性に気づかせ、説得するくらいの気概が欲しいと思う。歴史的公園を評価する基準やしくみづくりも研究レベルでほとんど未着手であり、自分も遅ればせながら取り組み始めたところである。