Sketch of the Day

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公園は切実か!

2006-01-31 | Japan
公園への転居は認められたけど、公園の占有権が認められたわけではないという点が先の判決のミソだ。誤解を恐れずにいえば、ボクは公園へのホームレスの「居住」が常態化してよいと思っているわけでは決してない。例えばこういうことだ。かつて阪神大震災の時に、大量の仮設住宅が家屋を失った被災者のために公園に建設された。救助にあたる自衛隊の基地も設営された。炊き出しをするNPOの飯場しかりである。だけど、復興が終わるとそれらは撤去された。ちょっと遡って、戦中戦後の公園は避難民はもとより、食糧難の時代にあって畑に姿を変え人民の命をつないだ。さらに明治時代に遡ると、公園は、路上から追い出された居住人たち(江戸時代の路上生活者)を受け容れるいわば「遊水池」として機能した。こういう「使われ方」がまさに公園ゆえの機能なんだと思われる。その意味で、「公園の占有は常に認められない」という前提は普遍的なものでない、といいたい。

事実上、他施設に完全にホームレスを収用することが難しい以上、一定期間、公園で受け入れるくらいの寛容さがあってもよい。計画し尽くされたタイトな近代都市空間にあって、公園はそのような「あいまいな機能」をもった数少ない空間といえるだろう(それ以前に当然パブリックスペースである)。であればこそ、公園は「ホームレスを受け入れる」ということによって、他では代え難い役割を担っていると認識したい。むろんそれが法的には認められないとしても。。。近代都市といえどこのようなルーズな空間が少しぐらいあってもよい。

ただし、である。周辺住民が、利用者が、力づくでホームレスを排除したい、となれば話は別だ。そんなにホームレスに公園を占拠されるのがいやなら、コミュニティが一致団結して力づくでホームレスを追い出せばいいのである。ここで、「それは行政の仕事だ」、というのは無効だ。行政が手をこまねいている以上。行政にできないことは我々市民1人1人が草の根からやるしかないのである。もしそれができないというのであれば、そういうことだからホームレスなんぞに公園をハイジャックされるのだ、とボクはいいたい。西欧の公園史をながめれば(公園は近代西欧が生んだ文明装置であると同時に文化のゆりかごであった)、公園とは本来これくらい「切実」なものであるはずなのだが、日本の公園はいまだになんだかよそよそしい。そんなことだから、ホームレスに獲られちゃうのである。(つづく)