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Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Wk 41

2006-10-15 | Japan
火曜日。研究生のミゾグイさんと今後の研究打合せ。夕方の環境情報科学センター論文集委員会は欠席。

水曜日。環境デザイン実習Vの2回目(現地見学)。夏の面影の残る利根運河と新川耕地を3年生の学生さんと久しぶりに訪れた。東武野田線運河駅では利根運河の無料リーフレットが配布されていた。利根運河観光地づくり検討委員会の編集により、流山市観光協会の発行とある。なかなか良くできたリーフレットで、旅情を誘う。近代土木遺産として保存するだけでなく、ぜひ運河の再生にこぎ着けて欲しいものだ。新川耕地では、早稲の収穫が終わった後の株から再び芽吹いていて、季節はずれの面白い風景が展開していた。自然活用型土地利用ゾーンは休耕田が増えたとは言え、やはりまだまだ「田んぼ」という印象が強い。ここを自然活用、有効活用とは言えわざわざ開発すること自体が何かナンセンスのような思いを改めて強くした。それにしてもものすごい数のコサギである。ふと足下に目をやるとザリガニがそこかしこに潜んでいてサギの多さに納得した。流山北高校のところで台地上に上がる坂の途中、愛宕神社の鳥居の手前に、それは見事なケヤキの大木がある。周辺には庚申塔やら祠やらがやたらと目に付く。僕はこういうところを historic corner(歴史的辻)と呼んでいる。豪壮な農家の高生け垣を眺めながら江戸川台駅まで歩いた。

木曜日。午前中、病院。午後一で、中国内モンゴル自治区からの留学生と顔合わせ。学内を一通り案内する。JABEE中間審査実地審査の日程が概ね決まる。終了後、科学研究費補助金説明会に出席。

金曜日。修論、卒論の連続ゼミ。むろん教えるほうの責任ではあるのだが、最近の学生さんを見ていると、利用者を見て公園を見ていない、制度を見て現実を見ていない、樹を見て風景を見ていない、なんだかそんな傾向が感じられる。また、卒論修論のテーマは自分の「興味」で選ぶという。結構なことだが、その「興味」とやらは、えてして社会的な関心事の埒外にあることが多い。テーマ=問題とは、探すまでもなくそこに転がっているものなのだが。

土曜日。柴又再訪。街並み景観重点地区の調査。何よりも柴又の魅力は空が広いことと帝釈天という歴史的資源の存在。加えて、映画といういわば架空の事跡がその場の価値を高めているという点。他にも草だんごや、江戸川および矢切の渡し、野菊の墓(千葉県松戸市)と連携した観光資源のネットワーク等々。

日曜日。地元和名ヶ谷の旧「御成道」の歴史的痕跡の現地踏査。下須台、吉兵衛屋舗、平次郎屋敷と歩いてみるが、目に付く痕跡のようなものは全く確認できなかった。せいぜい、吉宗(8代将軍)とお供の大行列が今から約280年を遡る大昔に「この道」を通ったのだという歴史的事実に思いを馳せるしかない。

Wk 40

2006-10-10 | Japan
月曜日。後期の授業開始。月曜日は午前が「地域環境管理論」、午後が「環境デザイン実習I」で、朝から夕方6時までぶっ通しで授業。実習は60名強の受講者数ながら今年は「デザイン」に関心のある学生さんがかなり少なめ。この人数をいかに上げるかが頑張り所となる。特に、システム系、植物系への分属を志望している学生諸君で「オレ、デザインなんて関係ないね!」「単位のため!」なんて思いこんでる連中の観念を根底からひっくり返す(ことができればいいな←弱気)。いったん帰宅し、夕食を済ませた後、再び大学に引き返し、学生さんと深夜までグリーンアートフェスタの打合せ。

水曜日は主担当の「環境デザイン実習V」。今年は一昨年と同じ対象地に戻し、流山新川耕地を扱うことにした。それが良かったのか、今年は8名も受講してくれることになって気合いが入る。ちなみに、昨年は、「グリーンアートフェスタ'05 in すがも・おおつか」への参加を課題としたが、受講者数は過去最低だった(なぜなんだろうか、よくわからない)。今年はフェスタの時季が早まり実習に間に合わなかったので、流山を扱うことにしたのだが、結果的にそれがよかったのか???。

木曜日。午前中、研究室の卒論ゼミ。午後一でM2のヤマネ君と公園緑地の外部経済効果に関する修論の打合せ。終了後、「技術士会講演会」。社団法人日本技術士会から講師の先生をお招きし、「技術者と技術士制度」に関するレクチャー。夕方から環境造園学プログラム会議。実習のエッセンスについて集中的に討議。

日曜日。矢切の渡し経由で柴又帝釈天に行くつもりが、週末の豪雨の影響で江戸川が増水、高水敷まで水浸し。土手でススキとノギクを少々頂戴してから(ちょっと遅れた中秋のお供えのため)、やむなく葛飾橋に迂回し(これがえらい遠回り)土手沿いを柴又へ。庭園や木彫等を拝観し、参道にある亀屋さんにて草だんごとそばの昼食(←うまかった)。ほかに佃煮(←これがまた激ウマ)なんぞを買い込んで帰宅。風は強かったが清々しい秋の一日であった。

月曜日(体育の日)は、所用でつくばへ。国総研松見公園に遊ぶ。連休中のさぼりがたたって、翌朝方まで仕事。環境情報科学センターの環境研究発表会論文の最終審査結果報告を午前4時頃までかかって仕上げ、メイルにて返答。目が覚めたら、妻は既に仕事に出た後だった。ボォ~っとしながら朝食を済ませ、次男を母に預け、長男を保育所に送り届け、その足で大学へ。

和名ヶ谷庚申塔付近の「円弧」について

2006-10-08 | Japan
我が家のすぐ近くになんのことはない5差路の交差点がある(空中写真のほぼ中央部参照)。この写真をよく見ていただくと、南(画面下部中ほど)からきれいな円弧を描いて交差点に至る細い道路がある。ここで、さらによく見ていただきたいのだが、この道路自体は交差点にて東西に走るバス通りに合流して終わっているけれど、道路の描く「円弧」については交差点を通り過ぎて北西方向へと続いているのにお気づきいただけるであろうか。大きな畑とその南側、長方形の白屋根の建物の宅地との境界部分にきれいな「円弧」を確認できよう。わかりやすいように、同じ空中写真に「円弧」をプロットしてみるとこのようになる。赤色の実線が道路で波線が円弧の延長線である。道路の描く円弧が途中から敷地境界線が形づくる円弧となって明らかに連続しているように見えるわけだが、これはたんなる偶然なのか。。。

試みに60年前の空中写真(1948)を見てみたところ、「円弧」の謎はあっさり解けてしまった。60年前のこのあたりは一面の畑。だが、円弧を描く道路は60年前に既にあった。おそらくもっと前から存在したものであろう。その西側のほぼまっすぐな道路も既に確認できる。現在、交差点を東西に走っている二車線の道路は、今でこそデカイ顔をしているが、60年前には存在しなかったことがわかる(ごく細い道は確認できる)。「円弧」の謎解きがまだであった。この円弧、写真を見ておわかりのとおり、やはり一本の連続した道路であり、60年前は交差点を過ぎてさらに北西方向へと続いていたのだ。この円弧の道路と現在のバス通り(東西方向の広い道)に挟まれた土地(現在、白屋根の建物ほかのある宅地)は60年前はすべて畑だった。後にこの畑は宅地化されたが、その敷地境界線として「円弧」は残存した、というわけだ。

地上ではこの「敷地境界線の描く円弧」は全くうかがい知ることはできない。1万分の1地形図を見てもやはりわからない。敷地境界線(いわゆる筆界)は通常、地形図には表示されないので、地積図(公図)に頼ることになるがこれはなかなかに入手が面倒である。よって、よほどの(こんなローカルな場所の空中写真を好きこのんで見るような)物好き(←オレ)でもなければこうした事実は知り得ない(←こんなこと知ってどうする?)。でも、「過去の形態」がその機能や意味を変えて現在にも存続しているというのはとても面白い、というか貴重なことだと思う(中谷氏はこれを「先行形態」と呼んだ)。「過去」は実ははっきりと目に見える形でこのように人知れずひっそりと身を潜めていることがある。こうした「かたち」を発掘、発見することは現代に生きる我々の空間体験を実に豊かにしてくれると思うのだが、どうも「歴史」というと文化財級のものに世間は目が行きがちで常々納得できないものを感じている。

Wk 39

2006-10-02 | Japan
月曜日、大学院生とJR山手線大塚駅前のグリーンアート設置箇所の実測。水曜日、新川耕地有効活用計画に関わる流山市との打合せ。木曜日、来年の日本造園学会全国大会研究発表論文の投稿締め切り。徹夜明けの目を擦りつつ締め切り間際の17時10分前に渋谷の事務局へ。松戸にとんぼ返りで研究室の飲み会。金曜日は終日ゼミ(午前中4年生、午後は修士2年生)。日本造園学会関東支部大会の会場設営など。

土曜日、日本造園学会関東支部大会にて研究発表。タイトルは「イングリッシュ・ヘリテッジによる歴史的公園の保存とその基準」(平成18年度日本造園学会関東支部大会事例・研究報告集 Vol.24, p.15-16)。研究発表4件の座長を仰せつかる。会場で農大のスズキ先生から、昨年10月に農大にて開催されたシンポジウム「モダン・ランドスケープデザイン国際会議2005」の報告書をいただく(嬉)。ポスターセッション会場に立ち寄り、ランドスケープ現代史研究会の発表「ランドスケープ現代史-1950~60-」を拝見、主催者のアワノ君、コバヤシ君らと雑談。よくできていました。午後のイベント、ランドスケープコンバージョンのデザインワークショップと、シンポジウム「造園資産とは何か-その在庫目録を考える-」に出たかったが,巣鴨へ。「第2回グリーンアートフェスタ'06 in すがも・おおつか」の打合せ。ツジノさん、ナカヤマさん、ツルシマ君、学生諸君らと夕食をすませ帰宅。

Wk 37-38

2006-09-24 | Japan
先々週は、水曜日、日建設計のネモトくんが久しぶりに大学に来たほか、木曜には大学院生のイシイさんと修論打合せ。金曜、環境造園学プログラム会議。

先々週末から先週の前半にかけて体調を崩してしまい、自宅にて大学院生の投稿論文を集中的にチェック。メイルにてやりとり。木曜日の学科会議にようやく顔を出す。JABEE中間審査受審準備依頼。金曜日、「グリーンアートフェスタ'06 in すがも・おおつか」説明会@高岩時十福苑。現場視察後、大塚会場にも回り現場をチェック。土曜日は午前中大学で論文執筆、夕方、プレイスメディアのシモダくんの結婚披露宴に出席@ニューオータニ。懐かしい面々と顔を合わせる。未来風景舎テシマさんの司会は板に付いたものだった。最後、新郎新婦も参加してのバンド演奏もなかなかよかった。大学時代恩師という立場で出席させていただいたが、思うにシモダ君にはこれまで逆にお世話になりっぱなしだった。日曜日、弟が東京に引っ越してきたので息子と一緒に新居を訪ねる。

ミタライ会長さんへ(Sept.7の記事加筆)

2006-09-23 | Japan
Thursday, September 7, 2006
産学連携FD講習会。経団連のミタライ会長のスピーチが紹介された。大学のていたらくをずいぶんとアジってくれたようだ。こういう認識が社会一般のものだと言うことはボクも理解できるし大学も努力が必要であることに異論はない。だけど反論もある。「大学は社会のニーズにもっと応えろ」って言うけど、社会のニーズっていつも正しいものか? 経済原理や経済活動っていつも正しいもんか? 社会のニーズに応える前に社会に対して文句言いたいことだっていっぱいある。それを棚に上げて、社会や経済に安易に尻尾を振るわけにはいかない。それこそ大学の本分を踏み誤ることになりかねないというものだ。差し当たって二つだけ言っておこう。1)経済問題を教育問題に安易にすり替えるな! 2)日本の教育の将来を案ずるならカネ(研究ではなくて教育のための)を出せ!

野菊野団地の竣工時のプラン

2006-09-21 | Japan
野菊野団地の竣工時のプランを確認しました。現在の状態と比べるとやはり中庭が大きくつくり替えられています。予想したとおり中庭には建設当初、駐車場はありませんでした(歩車分離)。おそらく総合団地環境整備事業等によるつくり替えの結果だと思われます。駐車スペースの不足や広場の老朽化を理由に行われたもので、住民も合意の上の再整備だったはずです。とはいえ、造り替えられる前は相当に豊かなグリーンがデモーニッシュな建築のボリュームに対峙していたはずです。ランドスケープの貧困にはやはり理由があったわけです。

'histroic'補記

2006-09-19 | Japan
’歴史的'とは、ただたんに古いだけではなく、ある時代の特徴をよく表していることに価値が求められるのであって、現代の価値観や利用形態に適合していることは(適合しているにこしたことはないが)、必ずしも具備すべき条件とはならない点に留意すべきである。このことから、いま、使い勝手が悪いからといって、それを破壊(再整備)するにはあたらないということが言える。むろん、月並みな公園であれば再整備は免れないが、'歴史的である'というまさにそのことによって再整備を免れ得るし、今日的なレベルから見て必ずしも十分な空間性能を満足していない、ということが許されるのである。これは例えば、「桂離宮」をバリアフリー化せよ、とか、姫路城にエレベーターを付けよ、などというバカなことは誰も言わない、ということを想起すればよいだろう。

'historic'の条件

2006-09-19 | Japan
連休中に息子にせがまれて久しぶりにおっぱい公園(川萩公園、松戸市三矢小台)に行ってきた。昭和40年開園の齢41歳を迎える古い公園だ。イギリスでは歴史的(historic)庭園・公園と称される基準を最低でも開園後30年を経過していることと定めている。あの歴史が積層したような国イギリスを思い浮かべた時、これは決して多い数字とは言えない。むしろ、たった30年でいいのか、という感じだ。しかし、これは、戦後の作品、近代の作品も歴史的遺産として積極的に評価していこうとする姿勢の表れであり、変化の速度の速い現代社会にあってむしろ妥当な数字と言えるかもしれない。

翻って、我が国はどうか。公園の歴史の浅い我が国ではあるが、デザイン、事跡ともに歴史的遺産と呼んでよい公園は数多く存在すると僕は確信する。それが、再整備という名の下にどんどん失われている。実に驚くべきことである。再整備時に評価されるものはせいぜい成長した樹木がいいところである。もちろん、拙いデザインは修正されなければならない。しかし、維持管理の不備とデザインの善し悪しの問題を取り違えているケースが実に多いような気がする。その陰で、数多の歴史的公園が姿を消していく。

公共事業が先細りを見せる中、公園の再整備は公共造園業界にとって重要な活路の一つといえるが、過去のデザインをいとも簡単に変更するのは自らがやってきたことを否定するようなものである。住民の言いなりにならないで、むしろ歴史的なデザインの重要性に気づかせ、説得するくらいの気概が欲しいと思う。歴史的公園を評価する基準やしくみづくりも研究レベルでほとんど未着手であり、自分も遅ればせながら取り組み始めたところである。

野菊野団地(松戸市)

2006-09-17 | Japan
近所の野菊野団地(UR都市機構)に行ってきた。旧日本住宅公団による面開発市街地住宅(746戸)で1975年の建設。今年で築31年目を迎えたことになる。完全な囲み型の住棟配置で囲み内部には公園がつくられている。この時代の公団がよく採用したスキップフロアの住棟ファサードは何というかとても無骨。というか公団デザインというのは基本的に無駄な装飾を排した無骨なものだ。囲み内部には公園に隣接して駐車場があるが、おそらく後になって整備されたもの。以前はもっと公園もしくは植栽地が広かったとみた。南側のプレイロットも最近建設された介護施設に敷地のかなりの部分をぶんどられてちっちゃくなっている模様。それにしても賃貸というのは寄る年波を隠せないというか、隠そうとしないというか。建築もランドスケープもストックになり得ていない。特にこの団地の場合はランドスケープが悪い(ふつうはランドスケープは良いんだけど)。これだけの規模の中庭だというのに、でかい樹木の一本すらも見あたらない。

3Dレイヤーを装備した新版のGoogle Earthを早速試してみました(写真)
その他の写真はこちら

つくばセンター地区周辺のオープンスペース

2006-09-15 | Japan
筑波研究学園都市センター地区周辺のオープンスペースの写真をアップします。都市全体を南北に貫くペデゾーンとそれにぶらさがる学校、病院、そして公園。時間の都合で、つくばセンタービルの広場、中央公園、松見公園しかまわれませんでしたが、センター地区のオープンスペース群は非常に建築的テイストが濃厚な印象を受けました。磯崎さんのつくばセンタービルの広場は僕はあんまり好きじゃないけれども、あれはあれで時代の空気(ポストモダン)を感じさせてくれる重要な物件でしょう。中央公園はもう「これぞ公団の公園」としかいいようのない公園。2~3日前に本ブログでも書いたように個人的には松見公園(1976年開園)が好きです(上のGoogle Earthの写真)。日本庭園を近代的に再構成したような公園で、非常に丁寧につくってあり、維持管理のレベルも高いです。隣接して病院や薬局などもあり、看護婦さんが車いすを押して患者さんを連れてきたり、平日でも常に人影が絶えません。既存のマツ林のなかにプレイロットがつくられていて、子供連れにも利用価値は高いでしょうが、冬場は寒くて使い勝手が悪そうです。そして何よりもこの公園を特徴づけるのが、菊竹清訓氏設計のレストハウスと展望塔です。展望塔はその形状から通称「栓抜き」と称され、口の悪い人は「蠅たたき」とも言うそうです。ただ、この建築とランドスケープの関係は見事だと思います。賛否あるでしょうが、ある意味でこの建築のための庭園としての公園というとらえ方もできます。ラ系諸氏はこの点を不満に思うやもしれませんが、しかし、それゆえに建築とランドスケープの一体感が生まれていることもまた事実です。

日本造園学会関東支部大会関連情報

2006-09-14 | Japan
関東支部主催の恒例の学生ランドスケープデザイン・ワークショップ、「ランドスケープ・コンバージョン~風景の転換~」の中間講評会が下記により開催されますので気軽に足をお運び下さい。

日時:9月16日(土)13:30より
場所:東京農業大学(世田谷キャンパス)11号館にて

最終発表会は9月30日、千葉大学園芸学部松戸キャンパスにて開催の関東支部大会にて行われます。↓↓↓
ランドスケープ・コンバージョン~風景の転換~

関東支部大会全体の情報は→平成18年度 日本造園学会関東支部大会のご案内

長崎出張(日中韓国際ランドスケープ専門家会議)

2006-09-05 | Japan
Sunday, August 27, 2006
標記会議出席のため長崎に向けて出発。

Monday, August 28, 2006
JR九州の車両デザインは内装も含めてとてもクールだ。カラーリングだけでなく、車両の基本設計自体がJR東日本/西日本とはどこか根本的に異なる。非常に大陸的な雰囲気(シックさ)を感じ、JR東日本の新幹線のグリーン車などよりもよほど高級感がある。というより、おそらく東日本や西日本ではああいったデザインは受け入れられないんじゃないかとさえ思う。

九州旅客鉄道株式会社

東山手及び南山手の外国人居留地跡を見学。両者の違いは、前者が生活の中で昔の町並みが守られているの対して、後者はグラバー園に代表されるようにかなり施設化または観光地化される中で町並みが守られている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、どうしても歴史的建造物自体やインテリアに目が行きがちだが、注目すべきは建造物のロケーションだ。地形と建造物の配置を重ねてみれば、例えば旧グラバー邸なんてこれ以上ないという良いところに建っている。長崎湾を望む小さく張り出したゆるやかな尾根の突端部に位置し、視界の広がり、開放感、高度感において他の洋館群を凌駕している。建築としては旧グラバー邸は確かに良いのだが、重厚さや豪華さという点では石造りの旧オルト邸のほうが勝っている。しかし旧オルト邸や旧リンガー邸はロケーションでグラバー邸に劣る。この点がグラバー邸の価値を高めているのだと思う。

参考:[PDF] 伝統的建造物群保存地区内文化財の維持管理のための画像データベースの開発

長崎ちゃんぽん発祥の店、四海楼で夕食。食後、復元なった出島へ。さるく博のパスポートを買っておいたので、1000円で、グラバー園、出島を見学することができた。お得! 出島は夜9時半までやっているのが旅人には嬉しい。出島は現在は周囲が埋め立てられ、完全に内陸化している。おなじく新地(中華街)もかつては島だったそうだ。面白いのは出島の東端を流れる中島川が明治時代に河川改修されて流路が付け替えられるのだが、その時に扇形の出島の「先行形態」(中谷礼仁)に従って河川が付け替えられている点だ。埋め立て後にできた道路も同様に出島の先行形態に従って緩やかな湾曲を描いている。

長崎さるく博:出島ワールド

Tuesday, August 29, 2006
「日韓中のランドスケープ教育」をテーマとする学生フォーラムのコメンテータを勤める。司会はイチノセさん(兵庫県大)。ランドスケープの学習状況について日本・中国・韓国の学生さんがそれぞれ概要を説明したのだが、日本のデザイン教育が手薄であることを再確認したほか、伝統的空間や古典庭園等の歴史文化を現代の空間造形、環境形成に活かすという教育の視点が中国と韓国ではとても強いことを実感。日本のランドスケープ教育は明らかにこの点が手薄だ。

学生フォーラム終了後、ポスターセッションを抜け出して、平和公園、原爆公園(爆心地)、国立長崎原爆死没者追悼祈念館を見学。唯一、祈念館のランドスケープデザインにより、祈念館と爆心地が象徴論的に構造化されたことを除けば、平和公園、原爆公園、原爆資料館、祈念館等がバラバラに存在している印象を拭えない(それぞれ別々に建設されたから当然ではあるが)。特に原爆資料館周辺は個々の建築デザインが個性的でまとまりに欠けるなかで、祈念館だけが水盤の中に完全に姿を隠し、ヴォイド=広場(資料館の前庭的性格)を現出した点が救いだ。通り一遍のデザインであればここにまた建物がドンと建てられていたことであろう。水盤に映る周囲の山並みが美しい。S字にカーヴしたクルマのアプローチ道路も◎。

原爆資料館周辺
国立長崎原爆死没者追悼祈念館

会場のブリックホールに戻り、昼食後、シンポジウム。基調講演は「港町・長崎の都市形成と景観」、シンポのテーマは「都市のポテンシャルと景観・みどり・まちづくり」。シンポ終了後、交流会。大学時代の同級生クボタ君に偶然会う。イチノセさんと3人で連れだってディープな夜を過ごす。

Wednesday, August 30, 2006
テクニカルツアー。バスで吉野ヶ里歴史公園(国営公園)、旧円融寺庭園(国指定名勝)、古賀・植木の里(クボタくんのガイドによる)などを見学。吉野ヶ里のデザインは保護と利用のバランスが中途半端な印象(もっと保護に徹してもいいのでは!)。古代という、我々の想像の時間的スケールを逸脱している風景を再現するというのは、ある意味で新しい風景を創造する以上に難しい、というか創造的なことである。単に「景観」を復元するのではなく、「風景」として見せなくてはならない点が、公園デザインの難しいところでもある。古代の景観を復元しなおかつ風景としても見せる、という難題に取り組んだ数少ない事例の一つであり、様々な新しい技術が導入されている点は評価したい。円融寺庭園は手入れが行き届いておらず、ダメ。これでは国指定の名勝が泣く。改めて指定文化財(制度)の限界を実感。文化庁は独法化したほうがよいかもしれない。古賀・植木の里は◎。また、ちゃんぽんの夕食後、夜行で帰路に着く。

吉野ヶ里歴史公園公式サイト
旧円融寺庭園(国指定名勝)
古賀植木園芸組合
長崎さるく博:四百年の歴史を誇る植木技術と庭園~古賀・植木の里散策~

都市公園の〈保存〉

2006-08-23 | Japan
Mon.-Wednesday, August 14-16, 2006
お盆休みで静岡の実家に帰省。花火に虫とり、魚とりと、父母と弟、5歳の息子と夏休みを満喫した3日間。静岡なんて東京から新幹線で1時間だけど、それでも夜空の星は千葉よりもよほど多いし、空は青く澄みわたり、水道水も冷たくて美味い。かき氷はもちろん、お茶やコーヒーを入れると味の差が歴然とする。数分も歩けば一面の田んぼと連なる山々。やはり夏休みはふるさとにかぎる。このアウラを息子は感じ取ってくれたであろうか。

Thu.-Friday, August 17-18, 2006
● 大学院前期課程入学試験
試験監督。初日は英語と専門科目の筆記試験。二日目は口頭試問。ここ数年、他大学からの入学(希望)者が増えているのは嬉しいことだ。特に建築や林学、農学一般からランドスケープへの転向が目立つが、生態学や人文社会系からも毎年ぽつぽつではあるが受験生がいる。僕が学生の頃には決してなかったことだ。
● 会議会議会議
夏休みということで教師も長期の調査旅行や海外出張に出かけることが多いこの時期だが、さすがに大学院入試の日だけはみんな集まるのでここぞとばかり会議が集中する。大学院の会議と学部(講座)の会議、改組後の新プログラムの会議と、もうわけわからん。

Saturday, August 20, 2006
前期の成績報告の締め切りが迫っており、休日ではあったが大学に出向いた。数年前からWeb入力できるようになったのだが、セキュリティのため学外からの入力は不可。じつに不便。結局、事務サイドが便利になっただけで我々教員にとっては、Web入力になったことでのメリットというのはさほど感じられない。また、最近は試験の答案やレポート類は厳格に採点し、複製・保存しておかなければならない。学生からの情報開示請求やJABEE認定審査のためのエヴィデンスとして必要になる可能性があるからだ。教授と囲碁を一戦交えて単位をもらったとか、徹夜で酒に飲み勝って単位をもらったとか、僕らが学生時代に聞いた諸先輩の武勇伝はもはや遠い昔の逸話である。

Monday, August 21, 2006
東アジアのランドスケープ関連施策の比較に関する共同研究の打合せで兵庫県大のイチノセさんとツマと3人で秋葉原で打合せ。遅ればせながら、秋葉原の変貌ぶりにびっくり。アキバへはいつもクルマで行くことが多いので気づかなかった。新装なったダイビル1階のEXCELSIOL CAFFで打合せしたのだが、かつて駐車場だったところが駅の改札から続くすっきりとした広場になり、UDXへと続いている。あのごちゃごちゃした独特の雰囲気がすっかり失せてしまい、どこにでもある乾いたランドスケープが出現しているが、それでも区画道路を挟んで間口数件の狭小ビルがぎっちりと建ち並んでいてそのギャップに驚かされる。

でも一度こうなってしまうと、前からあった狭小ビル群のほうが肩身が狭い(早く立て替えてこぎれいになれ、という無言の圧力を受けている)感じに見えてしまうのは非情なできごとである。まあオタクのアキバは同時に世界のアキバでもあるわけで、こうした空間は必要だ。さすがに外国人は秋葉原デパートのカレー屋さんには行けないしな。。。それにしても、線路挟んでそびえたつヨドバシカメラのファサード(のキャラクターをあしらったどでかい看板)、なんとかならないものか。いやキャラクターは百歩ゆずるとしてもそのデザインがさ。。。

Tuesday, August 22, 2006
「公園緑地第67巻第4号 都市公園法施行50周年特別企画 公園法50年に寄せる-未来編-」の原稿を締め切りを一日過ぎて提出。拙稿のタイトルは「都市公園の〈保存〉」。社会資本の維持管理に関わる財政が先細りを続ける少子高齢化・人口減少社会において、残す公園を選別する必要性と歴史的公園の保存の必要性について言及。50周年で盛り上がってる場合じゃないぞ。

学部改組タスクフォース会議。会議でこれほどもめたのも久しぶり。他者(といっても同じ学部の教員)を説得する(どころかこちらの意図を理解してもらう)のがこれほど難しいこととは。いやそれが他者たるゆえんなんだけど。他者は身近にいる。継続審議! 会議終了後、今夏からインドネシアに1年間派遣留学する学生さんと打合せ。いいなぁ。

Friday, August 25, 2006
夕方、ツジノ(修景社)さんと五反田ですがもグリーンアートフェスタの打合せ。その足で、ヨシムラ(プレイスメディア)さんの日本造園学会賞受賞記念パーティに出席。足かけ15年にわたって関わってこられた城西国際大学のランドスケープデザインが評価されたもの。