ミツバチと人間の調和は?

2008-06-13 | 社労士日記
今週は仕事の都合上、月曜と今日は1時間早めのひとりサマータイム実施中です

まぁ今日などは暑くなる前に、さくら坂の緑を見ながら気持ちよく出社できました
日中の外出が思いやられますけど



昨日のクローズアップ現代はミツバチの「大量失踪」の話

自分たちが口にする食物の多くがミツバチの受粉に頼っていることを実感するとともに、自然の調和を乱している人間のエゴというかなんというか・・・

働きバチをさらに働かせようとか・・・昆虫にも命があるはずなのに

とはいえ、食料の恩恵も受けていて

「昔はミツバチなんていう昆虫がいて、食料の恩恵を受けたり、ミツバチ社会の調和から学ぶこともできたんだよ」

「でも、ミツバチと人間の調和がなくて・・・」なんて歴史の授業があったりして


***** 日経夕刊(5/13)「Nipponビジネス戦記」より ここから *****
『ミツバチに学ぶ調和の大切さ』

私は長年、趣味で養蜂を楽しんでいる。米国の自宅のりんごの木々から他に何か生み出せないかと始めた。そこで人生における貴重な教訓を得た。「調和」の大切さだ。

蜂の巣ではすべてのハチが役割を担い、巣全体の利益のために貢献する。女王バチや働きバチなどのほか、年老いて飛べなくなったハチも巣の清掃や幼虫の世話など重要な責任を負っている。全員が力を合わせ大量のミツを集め、広範囲にわたり受粉を行う。

蜂の巣は天候やクマなどから、あるいは殺虫剤や時には私のような養蜂家の影響を受けるが、常に調整がなされ、調和が保たれている。例えば暑いに日は羽で風を起こし、巣内を適切な温度に維持するといったように。

ハチの巣と人間社会、特に日本社会には多くの類似点がある。長年にわたり日本と米国を行き来しているうちに日本の目覚ましい発展はその「調和」のおかげではないかと気付いた。日本では、協力や奉仕の精神、責任感や敬意の心が、家族間でも地域社会でも企業においても行き渡っている。多くの日本人はこうした調和を特別なことと思わず当然のこととして生活しているが、多くの国では調和の欠如により、成功や達成の機会が失われている。

調和がユートピアをもたらすわけではないし、日本も他の国々同様、様々な問題を抱えている。だが日本人の調和の精神は脈々と機能しており、世界が学ぶべき美徳であると私は思う。春が来て巣が新たな生命に沸き返る時期が来た。ミツバチの羽音を耳にし、日本で学んだ調和の大切さを改めて思い起こす日々を迎えている。
(グレゴリー・ボイコ ハートフォード生命保険会長)
***** 日経夕刊(5/13)「Nipponビジネス戦記」より ここまで *****


エコとか環境を守るとかも難しい・・・地球のながいスパンから見れば些細なことかもしれない

どの時代の自然に戻すかを考えるのも人間だから、それ自体ナンセンスな部分もあるけれど

それでも壊したと省みるなら、壊さないようにと頑張るのも人間の良いところかな

些細なことでも自然環境について考えたり、食べ物にもより感謝して味わいたいと思う今朝の気分であります



・・・ぅ~ん、バランスが崩れちょっと弱いなぁと実感しつつ、今日も

コメント
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