壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

微笑

2011年09月01日 00時00分05秒 | Weblog
                  作者不詳
        燈の 光に耀ふ 現身の
          妹が微笑し おもかげに見ゆ (『万葉集』巻十一・2642)

 この歌、「ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがゑまひし おもかげにみゆ」と読む。

 「おもかげに見ゆ」とは、幻影に現れたことであって、その幻影に現れた彼女の様子は、かつて作者が現実に見た時のすがたである。そのとき彼女は、饗宴において、かがやかしい光をうけて、にこやかに笑っていたのである。だからこの歌の女性も、作者との間に深い恋愛関係があった、というような仲ではないわけである。

 「燈の光にかがよふ」といった詞句は、『万葉集』には他にない。燈を詠んだ例は他にもあるが、こんなに美しく言いとった例はない。
 古典大系本『萬葉集』の注では、「かがよふ」は「普通いわれているように、かがやく、きらめくではなく、静止したものがちらちらとゆれるといった程度の意味であろう」としている。
 もし、「ちらちらと光ってゆれている」だとすれば、作者が彼女を見たその場の光景は、宴会の席で、うすい隔てのものなどのむこうにいる姿だというように、見られると思う。その点でもこの歌は、新しく繊細な感受性を発見していると言えるだろう。微笑も生き生きと揺れ動くのである。

 花が咲くのも、人が笑うのも、幸福な状態なのである。
 この歌は微笑の美しさを、花などにたとえる陳腐な表現の中にではなく、燈の光という新しい照明の中に見出した。饗宴の夜の座席から、多分その舞姿であろう、その一瞬の姿が面影に残った。その光のもとの印象だけが、いつも眼前にちらついて消えないのである。


      咳止めにモヒや奈落のほととぎす     季 己


       ※ モヒはモルヒネの略。