根は月に枯れて其の芋がらや雪の飯 芭 蕉
芋がらが保存されて冬の頃、食事の菜に使われるのを見て、月の頃を想い起こしつつ詠むところに、天和風の詠嘆が感ぜられる。
この句、真蹟短冊にのみ見え、「芭蕉散人」と署名がある。書体・発想ともに天和頃と推定されている。
「雪の飯」は、雪の頃の飯の意と、白米の飯とを掛けている。
季語は「芋がら」で秋。「芋がら」は、芋の茎の部分のこと。生のものは芋茎(ずいき)という。乾燥して貯え、和え物にしたりして食べる。
「根の芋のところは、芋名月に月の供え物として掘りとられて枯れてしまうが、
その芋がらは貯えられて、時ならぬ雪の頃に飯の菜となることよ」
谷根千の一言多き木槿かな 季 己
芋がらが保存されて冬の頃、食事の菜に使われるのを見て、月の頃を想い起こしつつ詠むところに、天和風の詠嘆が感ぜられる。
この句、真蹟短冊にのみ見え、「芭蕉散人」と署名がある。書体・発想ともに天和頃と推定されている。
「雪の飯」は、雪の頃の飯の意と、白米の飯とを掛けている。
季語は「芋がら」で秋。「芋がら」は、芋の茎の部分のこと。生のものは芋茎(ずいき)という。乾燥して貯え、和え物にしたりして食べる。
「根の芋のところは、芋名月に月の供え物として掘りとられて枯れてしまうが、
その芋がらは貯えられて、時ならぬ雪の頃に飯の菜となることよ」
谷根千の一言多き木槿かな 季 己