壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

十六夜は

2011年09月14日 00時00分07秒 | Weblog
        十六夜はわづかに闇の初かな     芭 蕉

 あたりまえの理屈のようであるが、明るい十六夜の月ではありながら、どこか十五夜とちがったかすかなさびしさが感じられる。それが闇への第一歩であることが予感され、一脈のさびしさを覚えているのである。
 初案と思われる
        十六夜はとり分け闇の初かな
の形であると、欠けはじめたことがほとんど分からない十六夜の月に、かえって闇の兆しがはっきり感じられる意味になるが、少しことばが際立つので、「わづかに」と改めたものであろう。

 「闇の初」は、十五夜に満ちた月が十六夜から少しずつ欠けはじめ、やがて晦日の闇に向かうものをいったもの。ただし、「いざよひ」の名のごとくに月の出がやや遅れ、その間にわずかに闇が存することを目していったものとする説もある。

 季語は「十六夜」で秋。十五夜で満ちた月が欠けはじめる夜である。

    「十六夜の月が冴え冴えと照りわたっている。昨夜の仲秋名月にくらべると、
     わずかではあるが、さびしいところがある。やはりこれが闇へ向かうはじめ
     なのだという気がしてくることだ」


      十六夜の忍辱像に浄められ     季 己