壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

名月の

2011年09月12日 07時32分55秒 | Weblog
        名月の花かと見えて棉畑     芭 蕉

  『三冊子』に、
    「花かと見えて棉畑(わたばたけ)」とありしは新しみなり。
と述べているのは、「花かと見えて」に曲折を求め、変化を探っていることを認めているものであろう。『続猿蓑』の支考評に、「今の好む所の一筋に便あらん」とあり、軽みの句であるとの評価と思われるが、軽みというよりはむしろ即興の句というべきものであろう。

 「名月の」は、ここに休止を置いた語法。直ちに下の「花」に続くのではなく、中七・下五のまとまりを包む。「名月や」よりは柔軟な口調である。
 ただし、支考は『東西夜話』に、
    先師一とせ「光を花」の歌をとりて、……その花の地に落入りては木棉の
    花と咲きけるかと、己が作意をくはゆるなり。
と述べ、また『笈の底』には、
    「名月の花か」と云ひ出でたるは、月中の桂花に云ひなして、それにあら
    ず棉の花なりと云ふ。
とあり、共に「名月の花」という言葉つづきで解しているようである。

 季語は「名月」で秋。

    「明るく照りわたっている名月の清らかな光のもと、畠一面の棉の実の
     はじけてはみ出ているのが、しろじろと見えて、これは絮(わた)では
     なくて、花ではないかと見まごうばかりであるよ」


      みちのくに心友のゐる良夜かな     季 己