名月の花かと見えて棉畑 芭 蕉
『三冊子』に、
「花かと見えて棉畑(わたばたけ)」とありしは新しみなり。
と述べているのは、「花かと見えて」に曲折を求め、変化を探っていることを認めているものであろう。『続猿蓑』の支考評に、「今の好む所の一筋に便あらん」とあり、軽みの句であるとの評価と思われるが、軽みというよりはむしろ即興の句というべきものであろう。
「名月の」は、ここに休止を置いた語法。直ちに下の「花」に続くのではなく、中七・下五のまとまりを包む。「名月や」よりは柔軟な口調である。
ただし、支考は『東西夜話』に、
先師一とせ「光を花」の歌をとりて、……その花の地に落入りては木棉の
花と咲きけるかと、己が作意をくはゆるなり。
と述べ、また『笈の底』には、
「名月の花か」と云ひ出でたるは、月中の桂花に云ひなして、それにあら
ず棉の花なりと云ふ。
とあり、共に「名月の花」という言葉つづきで解しているようである。
季語は「名月」で秋。
「明るく照りわたっている名月の清らかな光のもと、畠一面の棉の実の
はじけてはみ出ているのが、しろじろと見えて、これは絮(わた)では
なくて、花ではないかと見まごうばかりであるよ」
みちのくに心友のゐる良夜かな 季 己
『三冊子』に、
「花かと見えて棉畑(わたばたけ)」とありしは新しみなり。
と述べているのは、「花かと見えて」に曲折を求め、変化を探っていることを認めているものであろう。『続猿蓑』の支考評に、「今の好む所の一筋に便あらん」とあり、軽みの句であるとの評価と思われるが、軽みというよりはむしろ即興の句というべきものであろう。
「名月の」は、ここに休止を置いた語法。直ちに下の「花」に続くのではなく、中七・下五のまとまりを包む。「名月や」よりは柔軟な口調である。
ただし、支考は『東西夜話』に、
先師一とせ「光を花」の歌をとりて、……その花の地に落入りては木棉の
花と咲きけるかと、己が作意をくはゆるなり。
と述べ、また『笈の底』には、
「名月の花か」と云ひ出でたるは、月中の桂花に云ひなして、それにあら
ず棉の花なりと云ふ。
とあり、共に「名月の花」という言葉つづきで解しているようである。
季語は「名月」で秋。
「明るく照りわたっている名月の清らかな光のもと、畠一面の棉の実の
はじけてはみ出ているのが、しろじろと見えて、これは絮(わた)では
なくて、花ではないかと見まごうばかりであるよ」
みちのくに心友のゐる良夜かな 季 己