朝顔寝言
笑ふべし泣くべし我朝顔の凋む時 桃 青
「朝顔寝言」という前書が、そのまま発想の意図をものがたっている。「寝言」というのは眠りの中でいう言葉のことだが、ここでは朝顔に託してのたわけごとというほどの意味であろう。
『山之井』の朝顔の条に、
「あさがほは顔にたよりて、露のたまれるをゑくぼといひなし、
しぼめるをひたひのしわとも見なせり……」
とある系列の発想と思われる。どこか漢詩文にある文人的な擬態がうかがわれる。
季語は「朝顔」で秋。朝顔そのものの季感は生きていない。
「こうして目覚めてみると、すでに朝顔が凋(しぼ)んでいる。その
あわれな姿は笑うべきだが、また一方、ようやく咲いたかと思う
と一朝で凋んでゆく朝顔のはかなさには、人の世の定めもかえ
りみられて、哀れを覚えずにはいられない」
朝顔の瑠璃金剛の露今朝も 季 己
笑ふべし泣くべし我朝顔の凋む時 桃 青
「朝顔寝言」という前書が、そのまま発想の意図をものがたっている。「寝言」というのは眠りの中でいう言葉のことだが、ここでは朝顔に託してのたわけごとというほどの意味であろう。
『山之井』の朝顔の条に、
「あさがほは顔にたよりて、露のたまれるをゑくぼといひなし、
しぼめるをひたひのしわとも見なせり……」
とある系列の発想と思われる。どこか漢詩文にある文人的な擬態がうかがわれる。
季語は「朝顔」で秋。朝顔そのものの季感は生きていない。
「こうして目覚めてみると、すでに朝顔が凋(しぼ)んでいる。その
あわれな姿は笑うべきだが、また一方、ようやく咲いたかと思う
と一朝で凋んでゆく朝顔のはかなさには、人の世の定めもかえ
りみられて、哀れを覚えずにはいられない」
朝顔の瑠璃金剛の露今朝も 季 己