壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

凋む

2011年09月25日 20時25分09秒 | Weblog
           朝顔寝言
        笑ふべし泣くべし我朝顔の凋む時     桃 青

 「朝顔寝言」という前書が、そのまま発想の意図をものがたっている。「寝言」というのは眠りの中でいう言葉のことだが、ここでは朝顔に託してのたわけごとというほどの意味であろう。
 『山之井』の朝顔の条に、
        「あさがほは顔にたよりて、露のたまれるをゑくぼといひなし、
         しぼめるをひたひのしわとも見なせり……」
とある系列の発想と思われる。どこか漢詩文にある文人的な擬態がうかがわれる。

 季語は「朝顔」で秋。朝顔そのものの季感は生きていない。

    「こうして目覚めてみると、すでに朝顔が凋(しぼ)んでいる。その
     あわれな姿は笑うべきだが、また一方、ようやく咲いたかと思う
     と一朝で凋んでゆく朝顔のはかなさには、人の世の定めもかえ
     りみられて、哀れを覚えずにはいられない」


      朝顔の瑠璃金剛の露今朝も     季 己