壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋の色

2011年09月15日 09時32分07秒 | Weblog
          庵にかけむとて句空が
          書かせける兼好の絵に
        秋の色糠味噌壺もなかりけり     芭 蕉

 句空に頼まれて、兼好像の画賛として詠んだもの。兼好の境地への共感が発想を支えており、それが「秋の色」という季感と浸透しあって一句をなしている。句空に対する挨拶の心も一筋生き、それがまた芭蕉の心境にも通じていることになろう。

 「句空」は金沢の俳人。中年にして退隠剃髪。元禄二年『奥の細道』旅中の芭蕉に入門。
 「兼好」は吉田兼好。『徒然草』の著者。
 「秋の色」は、秋に入って自然がすべて清澄なる色を帯びること。いわゆる秋色。
 「糠味噌壺もなかりけり」は、『徒然草』の
    「尊きひじりの云ひ置きける事を書き付けて、『一言芳談』とかや名づけたる
     草子を見侍りしに、心にあひて覚えし事ども。……一、後世を思はん者は、
     じんだ瓶一つも持つまじきことなり。……」(九十八段)
を心に置いた発想。「じんだ瓶」は糠味噌壺のこと。なお、「後世を思はん……」は俊乗坊の語である。

 季語は「秋の色」で秋。もともと、秋の草木の紅葉を意味したもののようである。この句では、澄明・清爽の気を強く意識した新しい感覚のつかみ方が見られる。

    「天地ものみな清澄な秋気がみなぎっている。兼好法師は感銘を受けた
     ものとして、〈じんだ瓶一つも持つまじきことなり〉ということばを
     書き留めているが、そのことば通り、糠味噌壺一つ持たないこの秋色
     のようなすがすがしい生涯を貫かれたことだった」


      忍辱と彫られし像の秋の影     季 己

十六夜は

2011年09月14日 00時00分07秒 | Weblog
        十六夜はわづかに闇の初かな     芭 蕉

 あたりまえの理屈のようであるが、明るい十六夜の月ではありながら、どこか十五夜とちがったかすかなさびしさが感じられる。それが闇への第一歩であることが予感され、一脈のさびしさを覚えているのである。
 初案と思われる
        十六夜はとり分け闇の初かな
の形であると、欠けはじめたことがほとんど分からない十六夜の月に、かえって闇の兆しがはっきり感じられる意味になるが、少しことばが際立つので、「わづかに」と改めたものであろう。

 「闇の初」は、十五夜に満ちた月が十六夜から少しずつ欠けはじめ、やがて晦日の闇に向かうものをいったもの。ただし、「いざよひ」の名のごとくに月の出がやや遅れ、その間にわずかに闇が存することを目していったものとする説もある。

 季語は「十六夜」で秋。十五夜で満ちた月が欠けはじめる夜である。

    「十六夜の月が冴え冴えと照りわたっている。昨夜の仲秋名月にくらべると、
     わずかではあるが、さびしいところがある。やはりこれが闇へ向かうはじめ
     なのだという気がしてくることだ」


      十六夜の忍辱像に浄められ     季 己

残 暑

2011年09月13日 00時15分57秒 | Weblog
          残 暑
        夏かけて名月暑き涼みかな     芭 蕉

 即興風な詠みぶりであるが、閉関のこころの余波といったものが感じられる。この前後の書簡中に見える
    「当年めきと草臥れ増さり候」(十月九日付許六宛)、

    「夏中甚暑に痛み候ひて、頃日まで諸縁を絶ち、初秋より閉関、病閑保養にかか
     づらひ、筆をも執らず候故、心外に打ち過ぎ申し候」(十一月八日付荊口宛)、

    「当夏暑気つよく、諸縁音信を断ち、初秋より閉関、……夏中は筆をもとらず、
     書にむかはず、昼も打ち捨て寝暮したるばかりに御座候」(十一月八日付曲翠宛)

などの、心身の疲労を伝える文字は、この句の背景を理解する上で参考になる。元禄六年(1693)八月十五日の作。

 「夏かけて」は、夏を心にかけて、夏を思わせての意。ただし、夏を兼ねてと解する説もある。あるいはまた、夏をふくめての意で、夏このかたずっと今にまで引き続いてほどの意か。

 季語は「名月」で秋。前書の「残暑」も秋の季語。「暑さ」・「涼み」は夏。

    「今年の仲秋名月は、残暑なお去りやらず、まるで夏を思わせるような
     暑さである。この月見の座も、一方で納涼の趣があることだ」


      名月や絵志野の皿に栗おこは     季 己

名月の

2011年09月12日 07時32分55秒 | Weblog
        名月の花かと見えて棉畑     芭 蕉

  『三冊子』に、
    「花かと見えて棉畑(わたばたけ)」とありしは新しみなり。
と述べているのは、「花かと見えて」に曲折を求め、変化を探っていることを認めているものであろう。『続猿蓑』の支考評に、「今の好む所の一筋に便あらん」とあり、軽みの句であるとの評価と思われるが、軽みというよりはむしろ即興の句というべきものであろう。

 「名月の」は、ここに休止を置いた語法。直ちに下の「花」に続くのではなく、中七・下五のまとまりを包む。「名月や」よりは柔軟な口調である。
 ただし、支考は『東西夜話』に、
    先師一とせ「光を花」の歌をとりて、……その花の地に落入りては木棉の
    花と咲きけるかと、己が作意をくはゆるなり。
と述べ、また『笈の底』には、
    「名月の花か」と云ひ出でたるは、月中の桂花に云ひなして、それにあら
    ず棉の花なりと云ふ。
とあり、共に「名月の花」という言葉つづきで解しているようである。

 季語は「名月」で秋。

    「明るく照りわたっている名月の清らかな光のもと、畠一面の棉の実の
     はじけてはみ出ているのが、しろじろと見えて、これは絮(わた)では
     なくて、花ではないかと見まごうばかりであるよ」


      みちのくに心友のゐる良夜かな     季 己

九(ここの)たび

2011年09月11日 00時05分45秒 | Weblog
        九たび起きても月の七つかな     芭 蕉

 秋の夜は眠りがたく、目覚めがちな気持が、発想の契機になっている。
 夜明け近い七つ時に対して、九度という数を配したところに興味を覚えているのである。ほとほと長い秋の夜をひとり嘆ずる思いと、それをかすかに興じている寂しさが感じられる。

 「九(ここの)たび」は何度もの意。
 「七つ」は時刻をあらわす。寅(とら)の刻で午前四時頃にあたる。「月の七つ」というのは、月の更け具合が七つごろだというので、夜の明けきっていない様子をいったのである。

 季語は「月」で秋。月光を主とせず、一夜の月の動きを中心とした発想である。

    「秋の夜長はまことに眠りがたく、何度目覚めてもなかなか明けそうにもない。
     月の様子を見るとまだ七つごろで、夜明けにはまだまだ間があるようだ」


      天と地のあはひ大好き秋茜     季 己

 

尾上

2011年09月10日 00時01分31秒 | Weblog
          宇治行
        鮎落ちていよいよ高き尾上かな     蕪 村

 「宇治行」(天明三年:1783)の文章中に出ている句である。その文のこの句に関係のある部分だけを引く。
        最高頂上に人家見えて高尾村といふ。汲鮎を業として世わたる
       たよりとなすよし。茅屋雲に架し、断橋水に臨む。かゝる絶地に
       もすむ人有やと、そぞろに客魂を冷す。

       〈 山(喜撰ヶ岳)の一番天辺に人家のあるのが見え、それを高ノ尾
        村という。村中がすべて汲鮎を生業としているそうである。雲に近
        いほどの高い所に粗末な家が建てられていたり、半ば朽ちた橋が
        渓流に高々とかかっていたりする。こんな人界ならぬ所にでも住む
        人があるのかと、旅に出て初めてこんな景に接する自分にはいか
        にも心細い気持がした。〉

 鮎が落ちてしまえば頂上のこの村は、渓流とは無関係になり、ほとんど仕事らしい仕事がなく、ひときわ死んだように静かになる。その頃には、水の量もまた、事実において減じてしまう。それらを総括して、尾上そのものが水と離れて、ひときわそびえ立ってきたようだ、というように、地勢全体の晩秋の景観として表現したのである。

 季語は「落鮎」で秋。落鮎は下り鮎ともいう。鮎は秋に川の水草の間に子を産んで、後、流れを下る。

    「この流れの水とともに鮎も落ちつくした今、そうでなくてさえも高い頂上が、
     いよいよ高まさってきたように思われる」


      爽やかや織部が好きで人好きで     季 己

菊の奴

2011年09月09日 00時00分06秒 | Weblog
        菊作り汝は菊の奴かな     蕪 村

 ――菊の世話に没頭している者を、表面では誇張して揶揄しながら、裏面では菊作りを品位ある趣味としてその姿を慈しんでいる――とするのが、これまでの大方の解釈である。
 もちろん、その解釈が危なげないものであることは明らかである。しかし、変人は一歩進めて、菊の世話に心身をとらえられている人が、ふと自身の姿に気づいて、自身に呼びかけるように心中で独語したものとしたい。その方が、一句の興が倍加するように思われる。現に元禄時代の句に、
        けふ菊の奴僕となりし手入かな     粛 山
の先例がある。
 薄暗くなるまで菊の世話をする。夜は燭の明かりでなおそれを続ける。一夜過ぎれば、また直ちに菊の前へ立たねば不安でいたしかたがない。こうして寸暇もなかったあげく、ふと、「これでは俺は菊にこき使われているようなものだ」と独語すると、おかしさが急にこみ上げてくると同時に、ひとしお強く菊と自分との因縁の深さを、楽しく意識せずにはいられなかったのである。

 季語は「菊」で秋。

    「菊を作っている者よ。一事に執するのもいいが程度があるぞ。そんなに
     まで菊の世話にうつつを抜かしてしまっては、汝はもはや菊に顎で使わ
     れている、菊の奴僕(どぼく)と同じではないか」


      院展は花びらうすき白芙蓉     季 己

翌(あす)も有

2011年09月08日 00時37分56秒 | Weblog
        身の秋や今宵をしのぶ翌も有     蕪 村

                     清輔朝臣
        ながらへば 又このごろや しのばれん
          うしと見し世ぞ 今は恋しき (『新古今和歌集』)
に示された感慨を、過去と未来との逆関係にして、俳句に作り替えたように思える。
 例の、時間をその連続の相においてとらえ、かつ、一点において裁断した性質の句である。
 ただ、この句は未来から裁断点の方向がとられているのが珍しい。また、衰えゆく肉体と同様、なすすべなく朽ちようとする生涯の上へ投げかけられた詠歎でもある。
 「今宵(こよい)」といい「翌(あす)」というのも、「現在の日々」といい「未来の日々」というに等しい。

 秋雑の句。「身の秋」は「秋の身」というに等しい。秋には草木が凋落するように、人間の身の衰えることをいう。ただし、「身」は同時に境遇の意味にも通じ、その不遇を歎ずる気持がこめられている。

    「秋とともに次第に身が衰えてゆき、落魄の感が深まってゆく。今宵しずかに
     考えてみると、一日前の昨日の方が、まだ今の身よりも頼もしかったように
     さえ感じられる。すると沈滞しきった気持である今宵のこの現在さえ、翌日
     の晩には、またより恋しいものとして偲ばれるのかも知れないのである。
     かくては――後々の自分は一体どうなってゆくのであろう」


      来年もまた被るぞとパナマ帽     季 己


 ――「もう、あなたに効果のある抗癌剤はありません」と、主治医から引導を渡されてから三ヶ月近くになる。西洋医学が駄目なら、ということで代替治療を探した。アンテナを立てたとたん、「末期癌でもあきらめるな」という新聞広告が目に飛び込んできた。早速その講演会に参加し、講演終了後、そのS先生に相談した。
 S先生は、「Fという飲料を三ヶ月飲みなさい。必ず元気になります」と言って、飲み方を事細かく書いてくれた。指示通りに飲み始めてから、間もなく一月半になる。
 おかげさまで、「身の秋や」の句とは反対に、昨日よりは今日と、体調は戻りつつあると確信している。だが、癌のヤツはどうなっているかはわからない。ただ、先月の血液検査では、腫瘍マーカーが若干ではあるが下がっていた。抗癌剤治療を受けていても上昇しつづけた腫瘍マーカーが、抗癌剤を止め、Fを飲み始めて一月で下がったのだから、良しとせねばならないだろう。
 もちろん、このことは主治医の先生にも話してある。「Fを飲むことにより悪くなった数値はないので、このまま続けなさい」ということで、次の診療と血液検査は9月30日となった。
 この2年で、体重が62.5㎏から52.5㎏まで減少したので、体力が落ちたことは痛感している。しかし体調は、元気なころに限りなく近づいているように思う。
 多くの皆様にご心配いただき、ありがたく感謝申し上げます。 季己 拝

湯の名残

2011年09月07日 00時00分42秒 | Weblog
        湯の名残今宵は肌の寒からむ     芭 蕉

 温泉の名残を、季語と絡ませて詠み生かしたもの。
 句としては、この句の初案かともみられている、
        湯の名残幾度見るや霧のもと
の方が景に即して近代の句風に近いが、この句の方が微妙な孤独感を漂わせてずっとおもしろい。季語も、初案?の句の「霧」が近代風によく働いてはいるが、ひろがりの少ないのに対して、この句の「肌の寒からむ」は、季感と心裡のうごきとが浸透しあってずっと微妙である。
 元禄二年山中温泉出立の時の作。『随行日記』によれば八月五日。

 季語は「肌寒」で秋。肌寒という季に別れの心のさびしさをこめたもの。

    「長く逗留したこの山中温泉を後にし、心あたたかなこの湯の主人とも別れて
     今再び旅に立つが、いつまでも名残は尽きないことだ。湯でのあたたかいも
     てなしを受けたあとでは、今宵の宿りはさだめし肌寒さがひとしお感じられる
     ことだろう」

    「(初案?)心あたたかなこの出で湯の人々と別れて、今旅立とうとするに
     あたって名残は尽きそうもない。この立ち込めた霧の下に佇んで見送って
     くれているに違いない人々を幾度もふりかえって見ずにはいられない」


      虫鳴いてゲリラ豪雨の過ぎ行けり     季 己

愚に暗く

2011年09月06日 00時06分49秒 | Weblog
        愚に暗く棘をつかむ螢かな     桃 青

 「愚に暗く」という言い方の面白さに加えて、そこに人生一般のことを暗に含めた作意である。こういう寓意的な手法は、荘子の寓言にもとづくものであって、談林の主流をなす手法であった。

 「愚に暗く」は、愚かで思慮の足りない意。夜の暗さを掛けている。

 季語は「螢」で夏。

    「夜の暗さに、ただ蛍をとりたい一心で、深い思慮もなしに手を伸ばして、
     愚かしくも、螢ならぬ手に痛い棘(いばら)をつかんでしまった」


      泣きやまぬ子にてんと虫とびかねて     季 己 

はやはや咲け

2011年09月05日 00時04分03秒 | Weblog
          左柳亭
        はやはや咲け九日も近し菊の花     芭 蕉

 九月九日の重陽の節句が近い頃、庭前の菊の莟(つぼみ)に呼びかけた即興風の発想。そこに俳諧の味わいが生かされた作である。
 「はやく咲け」よりは、「はやはや咲け」の方が、呼びかけの対象と重陽を待つ心の気息に則しており、親しくうながしている感じがよく出るように思う。
 『随行日記』によれば、大垣出立は九月六日のことなので、「九日も近し」は、九日も近い、わがこの亭を立ち去るのも近いの意ともとれる。なお、左柳亭(さりゅうてい)での会は、元禄二年九月四日のことである。

 「九日」は九月九日の重陽の節句をさす。菊の節句とも。
 「左柳」は大垣藩士、浅井源兵衛。

 季語は「菊の花」で秋。重陽とのかかわりにおいて見られている。

    「菊の節句といわれている九月九日も近くなった。庭前の菊のつぼみよ、
     この日に遅れぬように急いで咲けよ」


      世界新ねがふ大邱いま虫の声     季 己

友切丸

2011年09月04日 00時44分36秒 | Weblog
        鞘走る友切丸やほとゝぎす     蕪 村

 「友切丸」は、源氏重代の宝剣で、はじめ「獅子の子」と称せられていた。この太刀よりも長い「小烏」の名刀に添えて置いたところ、自ら鞘走って「小烏」の、わが寸法よりも勝っただけの部分を斬り落としてしまった。それより「友切丸」と呼ばれるようになった。

 『平家物語』剣巻に誌してある伝説では、「友切丸」も「小烏」も最初から抜いて障子(今日の襖)に寄せかけてあったことになっているが、そういう穿鑿はどうでもよい。
 この句は、ほととぎすの写実ではなく、ほととぎすの特性、つまり、鋭いその声の気勢を極度に強調して、一種の理知的詩画を描こうとしたものである。
 「鞘走る友切丸」が、鋭い「ほととぎす」の叫び声の形容として働いていることは事実である。しかしそうかといって、前者が後者の完全な属性なのでは決してない。映画のモンタージュ手法のように、常識的にはほとんど無関係のような二個の事物を突然に衝撃させて、双方各自の存在に度を超えた活力と意義とを与えあうように計ったのである。
 この句の感じを言い表せば――友切丸が突如自ら鞘走る。その一刹那、ほととぎすという鳥が、この世の闇の中に生を得て叫び声をほとばしらせるのである。
 
 季語は「ほとゝぎす」で夏。

    「名刀友切丸は、闇中一閃、他の名刀の先端を斬って落とそうと鞘走る。
     ほととぎすもまたこれに似て、闇中一声、つんざくごとくに鳴き渡る」


 ――久々に新涼のような気持ちのよい個展を観てきた。銀座和光の本館6階和光ホールで3日から開かれている『東田茂正 陶展』のことである。
 3年ぶりに和光で個展をすることになった今回は、DM、図録、会場構成、ショーウインドウのデザインなどすべて、東田先生の意向で組み立てられたとのこと。
 会場内を何度も廻らせていただいたが、東田先生らしく「見て戴く」ことに主眼を置かれているように感じた。「買って欲しい」という媚びがまったく見られないのが、非常に素晴らしい。
 事前に図録を戴いたので、日に何度も開いて楽しんだ。〈身辺整理〉を最優先でしなければならない我が身、ああ、それなのに事前に和光に電話をして、一点押さえてもらったのだ。
 実物はどれも図録より格段に佳い。もちろん購入することにした。東田先生は、「もうたくさんお持ち戴いているので、ご覧いただくだけで結構です」とおっしゃられたが、実はこういう事情もあるので、ということで納得いただいた。
 この展覧会が終わると、しばらく暇になるから、かねてからの「志野茶碗」作りに来て下さい、と何度もおっしゃって下さった。また、電信柱を立てることができる。有難い。感謝の気持ちでいっぱいである。


      新涼の香器 白兎のぬくもりも     季 己

針立

2011年09月03日 00時19分38秒 | Weblog
        針立や肩に槌うつ唐衣     桃 青

 雅の世界である砧(きぬた)を、卑俗な鍼按摩のしぐさに二重写しにした手法で、談林的な特色をかなり顕著に示している。このような手法は、当時流行の見立てであった。 

 「針立(はりたて)」は鍼医のこと。ここでは按摩を兼ねた鍼按摩であろう。小槌で鍼を打つ。
 「唐衣」は、砧といえばすぐ連想されるもので、衣を美しくいったもの。謡曲「山姥(やまうば)」にも、「世を空蝉(うつせみ)の唐衣……千声万声の砧の声」などとある。

 砧の句で秋。季語としては「衣うつ」。

    「鍼按摩が客の肩に鍼を槌で打ちつづけているが、そのさまは、あたかも
     唐衣――空衣を肩の上で打つ砧ともいえよう」


      山の水あつまり浅間秋めきぬ     季 己

時鳥

2011年09月02日 00時28分54秒 | Weblog
        時鳥鰹を染めにけりけらし     芭 蕉

 時鳥(ほととぎす)は俗に、八千八声鳴いて血を吐くと言い慣わしており、それを契機とした句に、「岩躑躅染むる泪(なみだ)やほととぎす」という句が寛文期にあった。山口素堂の、「目には青葉山ほととぎす初鰹」という句もあるように、時鳥と鰹とは、初夏の風物として密接な関係にある。

 「染めにけりけらし」は、「染めにけり」と言って、もう一度、推量する意味の「染めにけらし」を「けらし」だけであらわしたものと思う。

 季語は「時鳥」で夏。「鰹」も夏だが、表現上、時鳥に重点が置かれている。

    「鰹を切ると、その身の色は血のように赤い。これは鳴いて血を吐く
     という時鳥が血で染めたものである。多分そうらしいよ」


      自愛せよとハガキ絵 野分そるるかな     季 己

微笑

2011年09月01日 00時00分05秒 | Weblog
                  作者不詳
        燈の 光に耀ふ 現身の
          妹が微笑し おもかげに見ゆ (『万葉集』巻十一・2642)

 この歌、「ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがゑまひし おもかげにみゆ」と読む。

 「おもかげに見ゆ」とは、幻影に現れたことであって、その幻影に現れた彼女の様子は、かつて作者が現実に見た時のすがたである。そのとき彼女は、饗宴において、かがやかしい光をうけて、にこやかに笑っていたのである。だからこの歌の女性も、作者との間に深い恋愛関係があった、というような仲ではないわけである。

 「燈の光にかがよふ」といった詞句は、『万葉集』には他にない。燈を詠んだ例は他にもあるが、こんなに美しく言いとった例はない。
 古典大系本『萬葉集』の注では、「かがよふ」は「普通いわれているように、かがやく、きらめくではなく、静止したものがちらちらとゆれるといった程度の意味であろう」としている。
 もし、「ちらちらと光ってゆれている」だとすれば、作者が彼女を見たその場の光景は、宴会の席で、うすい隔てのものなどのむこうにいる姿だというように、見られると思う。その点でもこの歌は、新しく繊細な感受性を発見していると言えるだろう。微笑も生き生きと揺れ動くのである。

 花が咲くのも、人が笑うのも、幸福な状態なのである。
 この歌は微笑の美しさを、花などにたとえる陳腐な表現の中にではなく、燈の光という新しい照明の中に見出した。饗宴の夜の座席から、多分その舞姿であろう、その一瞬の姿が面影に残った。その光のもとの印象だけが、いつも眼前にちらついて消えないのである。


      咳止めにモヒや奈落のほととぎす     季 己


       ※ モヒはモルヒネの略。