壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

侘びてすめ

2011年09月23日 22時47分19秒 | Weblog
          月を侘び、身を侘び、拙きを侘びて、
          「侘ぶ」と答へむとすれど、問ふ人も
          なし、なほ侘び侘びて、
        侘びてすめ月侘斎が奈良茶歌     桃 青

 自分の生活の侘びしさに堪えかねている気持が前書に述べられ、その侘びしい気持に徹し入って、そこに生きてゆこうとする気持が句で詠われている。自分を風狂の茶人に仕立てて、それをいとおしみながら語りかけている趣がある。興ずる態度が全体に濃厚で、いわゆる風狂の体と称すべき句姿である。

 前書の心は、
        月を侘び、身を侘び、我が身の拙いことを侘びながら日を
       送っていて、もし誰かが問うてくれたら、「侘びている」と
       答えたいと思うけれども、その侘びしさを問うてくれる人も
       いない。それでひとしお侘びしさに堪えず次の句を詠んだ。
の意。

 「侘ぶと答へむとすれど」は、在原行平の
        わくらばに とふ人あらば 須磨の浦に
          もしほたれつつ わぶとこたへよ (『古今集』・雑下)
を踏まえたもの。
 「侘びてすめ」は「住め」の意であるが、月の縁で「澄め」の意を意識した表現。自分に言い聞かせているような響きがある。
 「月侘斎」は「ゲツタクサイ」と読むか「ツキワビサイ」と読むか、また実在の人名か、仮構の名か問題がある。前書が「侘」という語を中心としているのに照応させて「ツキワビサイ」と読み、茶人めかした仮構の名に自分自身を託しているものと見たい。月に侘びて住んでいる世捨人というほどの意であろう。
 「奈良茶歌」は、酒を飲んで賑やかにうたう歌に対して、奈良茶飯を食いながら侘びしく口ずさむ歌の意で、芭蕉の造語であろう。奈良茶飯は、奈良の東大寺・興福寺などではじめたもので、茶飯に豆・栗などを入れたもの。

 季語は「月」で秋。

    「月を侘びつつその侘びしさに住して、奈良茶飯を食いながらひそかに
     歌を口ずさむ月侘斎の侘びしい歌声は、その名にふさわしく侘びしく
     澄めよ」


      流れ星 母には言へぬこと一つ     季 己