雷に小家は焼かれて瓜の花 蕪 村
「小家」は、
瓜小家の月にやおはす隠君子 蕪 村
の句もあるように、「こや」と読む。
掲句の初案らしい「雷に小屋は焼かれて瓜の番」が残っているので、この句の表面には出ていないが、小家の主は命だけは助かっていたものと思う。今は、しかたなしに畝に腰を下ろして、膝を抱えた格好で、瓜の番をしているのであろう。「小家の主」を隠君子と興じているように、軽い暢気なユーモアが基調をなしている。
以前、「地震」を素材とした句があったが、それまで人の顧みなかった落雷を採り上げたところに、蕪村の積極性がある。
この句も、「静」の中に「動」を点じて、結局、「静」を強調しているのである。
季語は「瓜の花」で夏。現在は、「雷」も夏の季語であるが、当時は、季題として認められていなかったかもしれない。いずれにしても、一句に季語が二つある場合、わたし自身は、下五にどっかと据えたほうを季語と考えている。
「小さな番小屋であるが、このあたりには、これ以上の高いものがなかった
ためか、落雷して完全に焼けてしまった。小屋がなくなり、なおさら平坦
になった瓜畑には、天災のあったことも知らぬげに、暢気なようすで瓜の
花が咲きつづけている」
病葉の力つきずよ今朝もまだ 季 己
「小家」は、
瓜小家の月にやおはす隠君子 蕪 村
の句もあるように、「こや」と読む。
掲句の初案らしい「雷に小屋は焼かれて瓜の番」が残っているので、この句の表面には出ていないが、小家の主は命だけは助かっていたものと思う。今は、しかたなしに畝に腰を下ろして、膝を抱えた格好で、瓜の番をしているのであろう。「小家の主」を隠君子と興じているように、軽い暢気なユーモアが基調をなしている。
以前、「地震」を素材とした句があったが、それまで人の顧みなかった落雷を採り上げたところに、蕪村の積極性がある。
この句も、「静」の中に「動」を点じて、結局、「静」を強調しているのである。
季語は「瓜の花」で夏。現在は、「雷」も夏の季語であるが、当時は、季題として認められていなかったかもしれない。いずれにしても、一句に季語が二つある場合、わたし自身は、下五にどっかと据えたほうを季語と考えている。
「小さな番小屋であるが、このあたりには、これ以上の高いものがなかった
ためか、落雷して完全に焼けてしまった。小屋がなくなり、なおさら平坦
になった瓜畑には、天災のあったことも知らぬげに、暢気なようすで瓜の
花が咲きつづけている」
病葉の力つきずよ今朝もまだ 季 己