壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夏行

2011年07月08日 00時01分28秒 | Weblog
        夏百日墨もゆがまぬこゝろかな     蕪 村

 陰暦四月十六日から七月十五日までの九十日間、僧が外出せず、室内で精進潔斎して読経などの修行をするのを「夏行(げぎょう)」「安居(あんご)」という。托鉢などに出ると、地上の虫けらを踏んで殺生になるからだという。
 俗家でもこの期間、お寺に同調して、酒・煙草・肉類を断つ奇特な人がある。これが「夏断(げだち)」で、仏前にあげるお経を「夏経(げきょう)」、供花(くげ)を「夏花(げばな)」という。
 この修行に入るのを「夏入り(げいり)」「夏に入る(げにいる)」といい、修行を解くのが「解夏(げげ)」である。
 古句で、「夏に入る」を四音に読ませている場合は、立夏ではなく、「安居」に入ったことなので気をつけたい。「解夏」は、秋季で、それ以外は夏季。

 さて掲句、「墨もゆがまぬこゝろ」とは、「露(つゆ)ゆがまぬこゝろ」、ひいては「露ゆるがぬこゝろ」である。
 心境だけを抽象的に述べたのでは感銘が希薄であるから、夏書(げがき)の際の、最も手近な具体物「墨」を持ってきて、「心境」を「行為」の上に具現させたのである。夏行の際、読経以外に経文を写すのが普通であって、これを「夏書」という。
 厳密に言えば九十日間であるが、それを「夏百日(げひゃくにち)」と力強く清浄の響きの語にして冒頭にすえた。
 技巧的に潤色することもなく、他の事物を配合することもなく、季題のあらわす一つの事柄のみを忠実に詠った点を見習いたい。また、数字の弾力のあるリズムを利用して成功している点も見逃せない。

 季語は「夏書」で夏。

    「夏に籠もって百日、世俗の気を断った寺の一室での信仰三昧、修行に
     精進する者の心境は、緊張したおごそかなものであって、写経のため
     にする墨一つさえ、百日間、微塵の狂い歪みも出すまいと務めるので
     ある」


      星祭り おそとであそべますように     季 己