完と書く蜜柑一つが色づいて 季 己
「俳句は心敬」を、やっと書き終えた。この1月7日から書き始め、7月14日の午前零時過ぎに、ようやく「完」と入力し、ほっと一息ついた。
六ヶ月余りで書けたのは、大学院時代のノート、および以前、「水の歌びと」と題して書いたブログがあったおかげである。
「水の歌びと」の第一回は2004年9月12日で、最終回の第五十回は2007年7月23日となっている。三年近くもかかっている。
パソコンに向かっているときは、渾身の力を振りしぼったつもりなのだが、出来上がったものを見ると、かなり不満足な部分がある。そこで、後日、ちょこちょこと手直しをした部分もある。
また、全体的に統一がとれておらず、心苦しい思いをしている。
「俳句は心敬」は、自費出版する予定はない。先立つ物がない、読む価値がない等の、ナイナイ尽くしであるからだ。この「壺中日月」は、ずっと残しておくので、興味のある方はこちらを利用していただきたい。印刷して読むという、ご奇特な方のために、当分の間テンプレートも変えません。
今後は、『去来抄』、『万葉集』、『枕草子』、『徒然草』、そして最後に『藤原隆信』、と電信柱(目標)は立てるのだが、これらをすべて書き終えるには、九十歳まで元気でいなければならない計算になる。ということで、今後も勝手気ままに書かせていただく。
「俳句は心敬」を辛抱強くお読みくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
このブログ(壺中日月)自体は、今後も続けますので、毎日、のぞきにきてください。私の生きる大きな励みになりますので、どうぞ応援してやってください。よろしくお願いします。
「俳句は心敬」を、やっと書き終えた。この1月7日から書き始め、7月14日の午前零時過ぎに、ようやく「完」と入力し、ほっと一息ついた。
六ヶ月余りで書けたのは、大学院時代のノート、および以前、「水の歌びと」と題して書いたブログがあったおかげである。
「水の歌びと」の第一回は2004年9月12日で、最終回の第五十回は2007年7月23日となっている。三年近くもかかっている。
パソコンに向かっているときは、渾身の力を振りしぼったつもりなのだが、出来上がったものを見ると、かなり不満足な部分がある。そこで、後日、ちょこちょこと手直しをした部分もある。
また、全体的に統一がとれておらず、心苦しい思いをしている。
「俳句は心敬」は、自費出版する予定はない。先立つ物がない、読む価値がない等の、ナイナイ尽くしであるからだ。この「壺中日月」は、ずっと残しておくので、興味のある方はこちらを利用していただきたい。印刷して読むという、ご奇特な方のために、当分の間テンプレートも変えません。
今後は、『去来抄』、『万葉集』、『枕草子』、『徒然草』、そして最後に『藤原隆信』、と電信柱(目標)は立てるのだが、これらをすべて書き終えるには、九十歳まで元気でいなければならない計算になる。ということで、今後も勝手気ままに書かせていただく。
「俳句は心敬」を辛抱強くお読みくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
このブログ(壺中日月)自体は、今後も続けますので、毎日、のぞきにきてください。私の生きる大きな励みになりますので、どうぞ応援してやってください。よろしくお願いします。