壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ありやなし

2011年07月19日 00時23分11秒 | Weblog
        わかたけや橋本の遊女ありやなし     蕪 村

 「橋本」は、淀川の沿岸、山城男山の麓にある宿場である。昔、対岸の山崎へ通じる山崎橋がここにあったので橋本という。昔から遊郭があって、それゆえに名高かった。
 「ありやなし」は、『伊勢物語』の業平が隅田川で詠んだ
        名にし負はゞ いざこと問はん 都鳥
          わが思ふ人は ありやなしやと
 を踏んでいる。

 「ありやなし」の語は、ただ情をやるための雅語として利用したのであって、業平のように特定の懐かしい人を念頭においているのではない。今年竹が、古竹を圧倒するばかりに生い栄えているのを見るにつけ、人間界の栄枯盛衰を、ほのかに思いやっているのである。
 事実としては、橋本の遊郭は衰微しつつも、蕪村の時代には残存していた。当時は淀川の三十石舟によって、伏見から浪華へ下るのが普通であった。したがって、この句は舟中から沿岸を望んでの述懐であろう。

 季語は「わかたけ」で夏。

    「このあたりは橋本の宿場であると聞いている。だが、打ち眺めたところ、
     藪が到る処に茂っているばかりで、ひどくさびれている。今年の若竹が
     瑞々しく伸びて競い立っているのを見るにつけて、昔あれほどまでの繁
     華さで、《橋本の遊女》の名に唱われたものであるが、今日ではせめて
     名残くらいはとどめているのかしらと、懐古の気持に誘われる」


      健診の予約破棄する医者いらず     季 己