壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

三井寺

2011年07月27日 00時00分12秒 | Weblog
        三井寺や日は午にせまる若楓     蕪 村

 「午にせまる」が実にいい。「午にちかき」であったら、時間の説明に過ぎない。「午にせまる」なので、旺盛な日の光が、直接に目に映ってくるのだ。
 三井寺そのものが、琵琶湖に近い高みにあるので、正午の日は今、真上からただこの三井寺のみを直射しているような感じを受ける。
 初夏の日を真上に掲げることによって、あたりの建物の豪壮感を倍加せしめたのである。その上、三井寺は歴史上しばしば戦の中心地となったこともあって、その連想もこの句に力を与えるゆえんとなっている。
 若楓は、肉が薄く黄色に富み、葉脈なども消え果てるほどに、よく光を通す明るさの点では無類である。

 季語は「若楓」で夏。

    「琵琶湖の大景を俯瞰し、堂塔伽藍の壮大を極めた三井寺の境内。初夏の日は
     中天に近づき、今や刻んでいって正午、盛んな光が真上から若楓を打つように
     激しく照らしている。壮大なるがゆえに、やや暗い堂宇の側面などを背景として、
     若楓は、まるで青い焰のように明るく澄んで輝いている」


      窯元のものごし氷白玉か     季 己