壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夏の月

2011年07月22日 00時00分15秒 | Weblog
          五月六日大来堂興行
        堂守の小草ながめつ夏の月     蕪 村

 この句の初案かと思われるものに、
        殿守のそこらを行くや夏の月
 がある。
 明るいけれども余情がなく、つつぬけにひらけているさまの夏の月の特性は、これらの主人公のくつろぎつつも孤独なやり場のない有様には、ふさわしい配合物であろう。
 「小草(おぐさ)」というのは、猫じゃらし・カヤツリグサの類であって、それが丈の高くない穂を月に白く光らしているのである。
 芭蕉にも、
        昼顔に米搗きすゞむあはれなり
 の句があって、似通った情景を扱っている。しかし、蕪村は芭蕉にくらべ、より傍観的な態度を持している。

 季語は「夏の月」で夏。

    「それほど大きくもない御堂の番人が、昼間はそれでも何人かの参詣人が
     あって気が紛れていたが、夜に入るとともに、することは一切なく、話相手
     もなくて、退屈なあまりに涼みがてら端居をしている。堂のあたりには、踏
     み固められた庭の一隅にわずかに伸び出ている草があって、夏の月の光を
     受けて輝いている。それを、堂守は所在なげに眺めるともなく眺めている」


      まだ書けるまだまだ書けと夏の月     季 己