壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

かりそめに

2011年07月16日 00時00分06秒 | Weblog
        かりそめに早百合生ヶたり谷の房     蕪 村

 「かりそめに さゆりいけたり たにのぼう」と読む。

 「かりそめ」は、「一時的な間に合わせ」「おろそかで軽々しい」の意である。
 「かりそめにも」は、「ほんの少しでも」「けっして」の意である。
 だが、「かりそめに」は、手元の辞書には立項されていない。
 おそらく蕪村は、「なほざり」に意味はちかく、「何に役立てるともなく」「誰に見せるともなく」の気持で用いたものと思う。
 同時に、禅寺ででもあるらしく、僧の手で、「無造作に」「手軽く」百合が生けられたことをも表している。
 わずかの人家からさえ、遠く隔たった谷間にただ一軒ある寺なのであろう。「谷間の百合」という語があるが、一句全体がいかにも清々(すがすが)しい気分である。

 「谷の房」は、谷間の僧坊。
 「早百合」は、「小百合」とも書き、「ゆり」のこと。「さ」は接頭語。ただし、「小百合」は「かわいらしい」の意を、「早百合」は「他に先がけて咲く」の意を含んでいる場合が多い。夏の季語である。

    「谷底に一軒の禅寺がある。あたりには、よそに先がけて百合の花が
     たくさん咲いた。めったに訪ねてくる人もないのだが、寺の一室には、
     その百合を手折って無造作に生けてある」


      山百合の言はぬが花とぱっと咲く     季 己

「俳句は心敬」を書き終えて

2011年07月15日 00時00分14秒 | Weblog
      完と書く蜜柑一つが色づいて     季 己

 「俳句は心敬」を、やっと書き終えた。この1月7日から書き始め、7月14日の午前零時過ぎに、ようやく「完」と入力し、ほっと一息ついた。
 六ヶ月余りで書けたのは、大学院時代のノート、および以前、「水の歌びと」と題して書いたブログがあったおかげである。
 「水の歌びと」の第一回は2004年9月12日で、最終回の第五十回は2007年7月23日となっている。三年近くもかかっている。

 パソコンに向かっているときは、渾身の力を振りしぼったつもりなのだが、出来上がったものを見ると、かなり不満足な部分がある。そこで、後日、ちょこちょこと手直しをした部分もある。
 また、全体的に統一がとれておらず、心苦しい思いをしている。
 「俳句は心敬」は、自費出版する予定はない。先立つ物がない、読む価値がない等の、ナイナイ尽くしであるからだ。この「壺中日月」は、ずっと残しておくので、興味のある方はこちらを利用していただきたい。印刷して読むという、ご奇特な方のために、当分の間テンプレートも変えません。
 今後は、『去来抄』、『万葉集』、『枕草子』、『徒然草』、そして最後に『藤原隆信』、と電信柱(目標)は立てるのだが、これらをすべて書き終えるには、九十歳まで元気でいなければならない計算になる。ということで、今後も勝手気ままに書かせていただく。
 「俳句は心敬」を辛抱強くお読みくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
 このブログ(壺中日月)自体は、今後も続けますので、毎日、のぞきにきてください。私の生きる大きな励みになりますので、どうぞ応援してやってください。よろしくお願いします。

「俳句は心敬」 (121) 人間完成の道③

2011年07月14日 00時30分30秒 | Weblog
 ――こうして最後まで、表現されたもの(作品)ではなしに、表現の背後にあるもの(心の修養)を重視する心敬の立場から見ていくと、「諸々の苦しみが生まれる原因は、貪欲が根底にあるからである。直ちに破り捨て給うべきである」との言は、別に唐突でも何でもないのです。
 渾然たる精神状態が破綻に瀕したとき、表現されたものは、一見いかに整然とした外形をとっていようとも、もうそれ自身で何らの価値を担うことは出来ません。それは本体の投げかける影に過ぎないのですから。

 結局、心敬が望んでいた歌というのは、移り変わる世界、つまり、無常の世界を直視したものでした。和歌・連歌を詠むに際して、不退転の真心が目指されるゆえんです。
 心敬は、菩薩の境地に立つよう説き、さらに法身仏の境地に至れ、と説きます。それが人間の望むべき有り様であると確信しているからです。形としての出家や、僧形を求めているのではありません。どこまでも境地が問われているのです。
 「“この世は無常”ということを腹に据え、“ほとけさま”のような清澄な心で、対象を凝視し、対象と一体となったような作品を生みだせ」
 というのです。
 心敬の作品には、多く人間や事物の無常・景物の無常といった、現象的無常が詠まれています。
 それは、「肉体のはかなさや人生のはかなさ、あらゆる存在が必然的に持つ有限性」に文学的価値を見出し、執着していたことによるものではありません。
 執着のない真心に、映っては消え、消えては映る情景に、「そのものになりきる」ほどに即しながら、現象の裏に存在する真理をとらえ、述懐しつづけようとしたのです。
 そこには、心敬自身の「念々の無常(一瞬一瞬にすべてが消滅してはあらわれつづけていて、無常であることを常に理解していること)」を知る菩薩の自覚があったと考えられます。それだからこそ、移ろう世界の様相が、積極的に果敢に詠まれたのです。

 変化してやまない世界を述懐しつづけることに、人生の意義を見出すとき、仏道と歌道とは両翼となって、真理世界を飛翔するのです。
 心敬の無常詠は、絶えず変化しつづける世界を見つめ、それを絶えず詠みつづける。この態度が、仏者であると同時に歌人である者の有り様と考えられていたことは明らかでしょう。 (完)


      こほろぎの天に堕ちゆく壺中かな     季 己

「俳句は心敬」 (120) 人間完成の道②

2011年07月13日 00時07分22秒 | Weblog
 ――十徳はふつう、連歌十徳などの功徳をいいます。ここでは連歌師の持たねばならない、言葉をかえれば、諸々の道の指導者が持たねばならない十の徳目を列挙しています。
 「堪能」は、「かんのう」と読み、深くその道に通じていること、の意です。
 「年老」は、「ねんろう」と読み、年をとっていることです。しかし、ただ単に年をとっているだけではなく、修行年数の多い年寄り、あるいは、長年修行して野心欲望のない者とも考えられます。
 「利根」は、利口・利発と同じ意。特に仏教では、宗教的素質・能力がすぐれていることを言います。
 歌道の宝の「道心」は、仏道を修めようとする心のことですが、ここでは、風雅の心を極めようと修行し専念する心、と解釈するのがよいでしょう。
 「独り合点」は、生半可(なまはんか)に理解、会得したと思うことで、本当は何にもわかってはいないのです。


 心敬は最初、『ささめごと』は一巻で完結させるつもりでした。しかし間もなく、補遺としての下巻を書き連ねたので、その最後に今度は、上下両巻を一つにする意味の跋文を付記したものと思われます。それが、前回の部分です。
 こうして、これまで連歌について、長々と書き続けてきた心敬は、筆を擱(お)くにあたって、「この二冊のつまらぬ文章は、まことにとりとめもないことなどである」と言っています。
 つまり、これまで記しつづけてきたことを、真実だと信じ込むのは迷妄なので、それは真実の影に過ぎない、というのです。
 真実の歌道は、「太虚」つまり「おおぞら、虚空」のごときものだ、と言うのです。
 太虚とは、宇宙の本体、つまり、大自然に没入し、それと一体となった自己の精神を意味するので、そうした宇宙の本体を窺い得てはじめて真実の歌道を体得したことになるのです。

 人はそれぞれの本性にしたがって、宇宙の本体に参入します。その体得の仕方も各々異なっていて、それぞれの本性のままに自己を完成させていきます。
 そして偉大な詩人にあっては、ついに大宇宙と渾然一体となってしまう場合もありえます。
 しかし、その境地は、自分の力で一歩一歩進めて行くほかに方法はないのです。
 また、どの程度、修行が進んだかということも、自分で自覚するよりほかありません。
 ですから、そうした一つの渾然たる宇宙は、筆舌に尽くしがたいものなので、これを表現したとたんに、その真髄は失われてしまいます。つまり「無常」ということです。

 それは無為自然の大道が行なわれなくなって、聖人が仁義を説き始めたのにも似ていて、言語に表したときには、もとの真実はもうすっかり失われてしまっているのです。
 そういうことを認識するのが歌道の根本なので、これを忘れて是非を論ずるのは、夢の中で是非を論じているのと同じで、「いたずらごと」に過ぎないのです。
 つまり、詩人の至り得た心境そのものが真実の相(すがた)なので、そのほかには真実は存在しないのです。


      暑気払とて賜りし卵たち     季 己 

「俳句は心敬」 (119) 人間完成の道①

2011年07月12日 07時23分21秒 | Weblog
        ――先人は言っている。
          「おおよそ、十の徳を備えた指導者こそ、まことの明聖という
         べきである」と。
          十徳とは、
            堪能  稽古  修行  求道心  手蹟  年老
            閑人  明匠に逢う  利根  身の程
          のことである。
          まことに、これらをわきまえた指導者を見つけることは、非常
         に困難である。それゆえ、賢人とか聖人は、五百年か千年に
         一度しか出現しない、といわれるのだ。
          大国(中国)でも我が国でも、諸道において、聖人賢人に生ま
         れ逢うことだけは難しい、といわれる。

          昔の書物にも七徳をあげている。
            賢徳  文徳  武徳  慈徳  業徳  応徳  聖徳
          また言う。
            仁  義  礼  智  信  (がい)  諦(てい)

          仏教にも、仏法の宝、仏法の賊として七つをあげている。それ
         なら歌道にも、必ずそうした宝があるはずである。
          仏法の宝、
           信  戒  悲  懺(くい)  多聞  知恵  捨離
          歌道の宝、
           数寄  修行  執心  道心  閑人  稽古  利根
          歌道の賊、
           無数寄  睡眠  談話  大酒  早口  独り合点
           有財


          この二冊のつまらぬ文章は、まことにとりとめもないことなど
         である。真実の歌道は、太虚に等しく、一人ひとりの人間完成
         の上のことである。もとより、悟りをひらくことは、他から強制す
         るものではない、といわれる。

          迷っている時に判断した是非は、ことごとく非であり、
          悟りをひらく前に判断した有無は、ことごとく無である。
          究極の真理である諸法実相以外は、ことごとく迷妄の魔障であ
         る、といわれる。
          諸々の苦しみが生まれる原因は、貪欲が根底にあるからである。
         直ちに破り捨て給うべきである。

          寛正四年五月上旬、紀州田井の庄の八王子社に参籠している間、
         その近辺の田舎者たちが、連歌を稽古する用心に、指南書を懇望
         するので、無視するわけにもゆかず、勤行の暇にあわただしく心に
         浮かぶまま、愚案を筆にまかせて書き記したまでだ。まったくお粗末
         なことだ。一覧の後は、ぜひとも火にくべて燃やしていただきたい。
         決して他人には洩らさないで欲しい。
                                   釈 心敬 (花押)
                          (『ささめごと』歌道の徳と宝、跋文)


      牡丹の照る日くもる日 画家の妻     季 己

        ※ 牡丹(ぼうたん)

いつくしま

2011年07月11日 00時01分29秒 | Weblog
             宮 島
        薫風やともしたてかねついつくしま     蕪 村

 前書の「宮島」は、完全に蛇足である。現代俳句では、わたしは前書を好まない。ただし、慶弔俳句は別である。
 個展会場などで、こちらが何も聞かないのに、絵の説明を得々とする作家がいる。作家が説明をしなければならない作品は、未完の作品だ。そんな作品は発表すべきではない。本物の作品は、こちらが凝視すればするほど、いろいろと語ってくれるものだ。
 これと同様、前書に頼らず、作品自体に語らせるのが俳句である。ましてや句中に「いつくしま」とあるのに、なぜ宮島などとわざわざ前書をつけたのか理解できない。

 「ともしたてかねつ」は、いっせいに点じられた千万の燈火が、ことごとく水に映じつつ激しく風に瞬く美観を誇張していったのである。
 蕪村が実際の厳島(いつくしま)を知っていたとしても、これは彼の詩の世界にあってさらに理想化された厳島の夜景なのである。

 季語は「薫風」で夏。「薫風」は、青葉などを吹き渡ってくる夏の風の薫るように爽快なのをいう。

    「厳島神社の殿塔は、夜に入ってからも、満々と薫風が吹き寄せ吹き抜いて
     いく。海水に脚を沈めて建てられている廻廊の軒には、無数の鉄の燈籠が
     吊り並べられている。それにいっせいに灯を入れようとするのに、炎は片端
     から風にあおられて打ち消され、灯ともすことはまったく断念しなければなら
     ないかと思われるほどである」


      炎昼の電信柱天をつく     季 己

2011年07月10日 00時00分41秒 | Weblog
        雷に小家は焼かれて瓜の花     蕪 村

 「小家」は、
        瓜小家の月にやおはす隠君子     蕪 村
 の句もあるように、「こや」と読む。
 掲句の初案らしい「雷に小屋は焼かれて瓜の番」が残っているので、この句の表面には出ていないが、小家の主は命だけは助かっていたものと思う。今は、しかたなしに畝に腰を下ろして、膝を抱えた格好で、瓜の番をしているのであろう。「小家の主」を隠君子と興じているように、軽い暢気なユーモアが基調をなしている。
 以前、「地震」を素材とした句があったが、それまで人の顧みなかった落雷を採り上げたところに、蕪村の積極性がある。
 この句も、「静」の中に「動」を点じて、結局、「静」を強調しているのである。

 季語は「瓜の花」で夏。現在は、「雷」も夏の季語であるが、当時は、季題として認められていなかったかもしれない。いずれにしても、一句に季語が二つある場合、わたし自身は、下五にどっかと据えたほうを季語と考えている。

    「小さな番小屋であるが、このあたりには、これ以上の高いものがなかった
     ためか、落雷して完全に焼けてしまった。小屋がなくなり、なおさら平坦
     になった瓜畑には、天災のあったことも知らぬげに、暢気なようすで瓜の
     花が咲きつづけている」


      病葉の力つきずよ今朝もまだ     季 己

松島

2011年07月09日 00時06分37秒 | Weblog
       島々や千々に砕けて夏の海     芭 蕉

 おもしろみのない、説明的な句にとどまっている。そうした点が不満で、『奥の細道』にもとられなかったものであろう。
 土芳編の『蕉翁文集』に、「松島前書」として載せた次の文章の末尾に掲出し、「此の前書・句、細道になし。別而しるされ侍るか、いかが。反故書捨の中より見出でて、此に出だし侍る」と付記する。
    「松島は好風扶桑第一の景とかや。古今の人の風情、此の島にのみ思ひ
     寄せて、心を尽くし、巧みをめぐらす。およそ海の四方三里ばかりにて、
     さまざまの島々、奇曲天工の妙を刻みなせるがごとし。おのおのの松
     生ひ茂りて、うるはしきはなやかさ、いはむかたなし」

 芭蕉が松島を訪れたのは、元禄二年五月九日。『奥の細道』には、「予は口をとぢて眠らんとしていねられず」とあり、句がなかったことになっており、『三冊子』にも、「師、松島に句なし」とある。

 季語は「夏の海」で夏。

    「見渡すと、松の生い茂った美しい島々が、自然の妙を刻んだように、
     夏の海の紺青の中に砕け散っていて、まことにみごとな眺めだ」


      漱石を読む文机の眠草     季 己

夏行

2011年07月08日 00時01分28秒 | Weblog
        夏百日墨もゆがまぬこゝろかな     蕪 村

 陰暦四月十六日から七月十五日までの九十日間、僧が外出せず、室内で精進潔斎して読経などの修行をするのを「夏行(げぎょう)」「安居(あんご)」という。托鉢などに出ると、地上の虫けらを踏んで殺生になるからだという。
 俗家でもこの期間、お寺に同調して、酒・煙草・肉類を断つ奇特な人がある。これが「夏断(げだち)」で、仏前にあげるお経を「夏経(げきょう)」、供花(くげ)を「夏花(げばな)」という。
 この修行に入るのを「夏入り(げいり)」「夏に入る(げにいる)」といい、修行を解くのが「解夏(げげ)」である。
 古句で、「夏に入る」を四音に読ませている場合は、立夏ではなく、「安居」に入ったことなので気をつけたい。「解夏」は、秋季で、それ以外は夏季。

 さて掲句、「墨もゆがまぬこゝろ」とは、「露(つゆ)ゆがまぬこゝろ」、ひいては「露ゆるがぬこゝろ」である。
 心境だけを抽象的に述べたのでは感銘が希薄であるから、夏書(げがき)の際の、最も手近な具体物「墨」を持ってきて、「心境」を「行為」の上に具現させたのである。夏行の際、読経以外に経文を写すのが普通であって、これを「夏書」という。
 厳密に言えば九十日間であるが、それを「夏百日(げひゃくにち)」と力強く清浄の響きの語にして冒頭にすえた。
 技巧的に潤色することもなく、他の事物を配合することもなく、季題のあらわす一つの事柄のみを忠実に詠った点を見習いたい。また、数字の弾力のあるリズムを利用して成功している点も見逃せない。

 季語は「夏書」で夏。

    「夏に籠もって百日、世俗の気を断った寺の一室での信仰三昧、修行に
     精進する者の心境は、緊張したおごそかなものであって、写経のため
     にする墨一つさえ、百日間、微塵の狂い歪みも出すまいと務めるので
     ある」


      星祭り おそとであそべますように     季 己

「俳句は心敬」 (118) 至高の和歌・連歌④

2011年07月07日 00時03分02秒 | Weblog
 ――仏門に、智門と悲門の二つがあるといます。
   智門は、自ら悟りに至ろうとする自力門を指し、他力門である悲門と対になる仏教語です。
 ことに、前回の段は仏教語のオンパレードで、ほとんどの方は初めの数行で投げ出したのではないかと思います。今回はそれの解説ですから至難の業ですが、なるべくわかりやすく書くつもりですので……。

 歌道においても、ただ歌を詠むことが目的の歌詠と、学問修業を重んじる歌詠とが、他力の念仏門と、自力の観心門とに配されています。
 心敬は、和歌を詠むことを、勘案と単なる詠吟とに分け、これを観心と口ずさみとに理解し、早詠みの傾向を批判する中で、観心なき詠吟を念仏に相当させながら排斥しています。
 つまり、心敬にとって和歌連歌は、観心修行(自己の心を観察することによって心を錬磨し、真理に到達しようとする観法)そのものであり、その中で、理想の境地を悟りの境地に見出すと同時に、その境地から生まれる和歌連歌を、綺語(きご=巧みに飾って美しく表現したことば)ではない真言(しんごん=真理を表す言葉。真実の語)としてとらえていたのです。

 さらに心敬は、究極の心と和歌との関係を明確に述べます。
    「さまざまの、対象をめぐる分別や対象にとらわれた誤った想念が、
     心に波風を立ち騒がせるのは、第八識の世界までのことである。
     十識の真心(しんしん=まことの心)に到達してこそ、善悪の判断
     に惑わされない不動の心が得られるのだ」と。

 八識というのは、具体的な個物を直感的に知覚する五つの感覚機能(眼・耳・鼻・舌・身の五識)、五識に伴ってはたらき、五識の知覚した内容を概念化して判断を下し、また五識から独立してはたらいて、さまざまな思考をめぐらす(意識)、無意識的な自我執着心である(末那識・まなしき)、自己の心や肉体、さらには自然界を生み出す根源的な心である(阿頼耶識・あらやしき)の八つをいいます。
 この八識までの心の状態でいるから、是非妄想が起こり、安心立命(あんじんりゅうめい=心を安らかにして身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと)の世界には入れないのです。
 修行を重ねて、心を十識まで高めれば、不動の心、つまり安心立命の世界に遊ぶことが出来る、というのです。
 心敬は、第九識については触れていません。けれども、第八識と第十識の間に第九識が置かれていることは、「十識の真心に到達してこそ」とあるので、明らかです。
 心敬は、煩悩を離れた自性清浄心(九識)を本来的な心と考え、その真如としての面を、究極の到達点(十識)として希求する立場である、と考えられます。
 それでは、妄動する八識から不動の十識の真心に至るには、具体的にどうすればよいのでしょうか。わかりやすく言えば、つぎのようなことだと思います。

 禅語に「両忘(りょうぼう)」ということばがあります。
 人は何かにつけ、良いとか悪いとか判断します。判断しようとするから、悩み、迷います。
 その弱みにつけ込むように、「勝ち組・負け組」とか「頭のいい人悪い人」とかいう本が次から次へと出版されています。
 苦楽を忘れる。貧富を忘れる。生死を忘れる。このような二元的な考え方から抜け出せ、というのが「両忘」の教えだと思います。
 禅僧が言います。
    「生きているときに、死んだらどうしようなどと、くよくよ考えるな。
     生きることに徹せよ。さすれば、死を忘れることが出来る。さらに、
     死ぬことも生きていることも、両方とも忘れると、心に静寂が得ら
     れる」

 たしかにその通りです。自分の好きなことに没頭しているときには、貯金通帳の残高、命の残高などはまったく頭にありません。日々、生きることに徹すればいいのです。感謝の心を持って。
 さまざまな物事を対立させて見ていると、迷いに惑わされ、高い次元の絶対の境地に到達できません。
 自他、左右、是非、善悪などというのは、われわれが勝手に作った判断基準です。
 全宇宙に、自他も左右もなく、是非、善悪もありません。
 末那識、つまり、自我執着心から脱却すれば、純粋な自分の心(自性清浄心・九識)が見えてきます。
 末那識から次第に離れることにより、ついには対象へのこだわり・とらわれがなくなります。こだわり・とらわれがなくなれば、心が広くなり、主客の相対も超越されます。
 そして、もはや一体となった主客が、真実として存在する。それは「無縁慈悲心」であり、「無相の境」であります。また、「無差別平等の境」でもあります。簡単に言えば「仏の境地」です。

 心敬は、明らかに心の清浄を目指しています。虚飾のない清らかな心を、すべてに優先する根源的なものとして据えています。
 本来的な真心、すなわち自性清浄心を、観心修行の行程において求めるのと一致します。
 主体の澄みきった靜かな心で、自然の景物に対峙することを志向していたのです。
 究極において、詠作は観照でなければならないのです。これは、美術の世界でも同じだと思います。その点においても、風貌からしても、日本画家の中嶌虎威先生は《平成の心敬》であると、勝手に思っております。

 湧き水のように澄みきった心で、万象が無常であると観て、無常であるがゆえに「あはれ」と観えてくるような境地で、仏眼をもって自然を凝視し、対象と一体となり、対象になりきれたときに、思わずこぼれることば、これが「至高の俳句」ではないかと思います。


      「惜命」の波郷 七夕竹のなか     季 己
  

「俳句は心敬」 (117) 至高の和歌・連歌③

2011年07月06日 00時00分20秒 | Weblog
        ――仏教でも、智門の理想は、菩提を望み求めるのでできるだけ
         高く、悲門の目標は、衆生を救おうと志すので低いのが妙理で
         ある。
          歌道においても、ただ単に歌を作るだけの、悲門に属する作
         家がいる。念仏のみにすがる、念仏宗徒のようなものであろう。
         無知愚鈍の輩が、学問修業の苦行をせず、ただひたすら南無阿
         弥陀仏と唱えて信仰する類である。
          智門に相応する歌人は、いわば天台止観などを実践する修行
         者に当たるのであろう。悲門の低級で愚鈍な教えといえども、
         仏法の真実である点では、智門と何ら変わりはない。

          たとえて言えば、寒い夜に、綾錦のりっぱな着物を着ても、
         また、粗末な麻の綴れや紙の衾(ふすま)を重ねても、寝入っ
         た後はどちらも同じである。かたよらず、こだわらず、とらわ
         れない、人間本来が持っている純粋な心は、それ自身清浄であ
         り、一切空無の涅槃真如の境地に等しい。
             西方浄土無為楽  畢竟逍遥離有無
           (西方の極楽浄土には、寂静無為の楽しみがあり)
           (そこに心を遊ばせ、悩みや迷いから解き放たれる)

          さまざまの、対象をめぐる分別や対象にとらわれた誤った想
         念が、心に波風を立ち騒がせるのは、第八識の世界までのこと
         である。
          十識の真心に到達してこそ、善悪の判断に惑わされない不動
         の心が得られるのだ。
          幻化(げんけ)、つまり、この世の事象は幻人の幻や仏の通
         力による変化(へんげ)であると見抜く叡智を起こし、幻妄の
         事象を排除して後、はじめて対象(境)も主体(智)もともに
         幻妄でないことが明瞭になるという。
          平等無差別の仏の慈悲心で、空の境地に向かって働きかける
         のみ。夢幻のこの世の現実の是非は、ことごとく非である。開
         悟寸前の者の有無の判断は、つまるところ無である、と。
             有為報仏夢中権果  無作三身覚前実仏
         (さまざまな因縁により生じた報身仏は、夢幻に生じた仮初めの因)
         (不生不滅の存在である三身仏は、開悟直前の実仏)
                             (『ささめごと』至極の歌連歌)


      はがき絵の喰らひつきたき甜瓜     季 己              

「俳句は心敬」 (116) 至高の和歌・連歌②

2011年07月05日 00時02分57秒 | Weblog
 ――「どのような形をまことの仏、どういう風体を至極の和歌・連歌というのか」という問に対し、心敬は、「この世のすべての存在には、きまった姿や形はない」と答えております。般若心経で有名な「色即是空 空即是色」の、あの「空」であるというのです。
 「空」は、“からっぽ”ということではありません。私たちの身の回りの一切のものが、縁という細い細い糸をたどり、偶然を重ねて、われわれの眼の前に現れる、ということです。
 すべてのものは実体を持たず「空」ですけれども、それは縁をつむぐ「空」でもあるのです。

 一口に“子ども”といっても、これが“子ども”というきまった姿や形はありません。縁つまりもろもろの条件により、みんな違うのです。
 「見えないけれどもあるんだよ」「みんな違ってみんないい」、耳にたこができるほど聞かされたこれらの言葉も、「空」の考えが根底にはあるのです。
 人を喜ばすものも、悩ませるものも、人を取り巻く一切のものは、「空」なのです。

 奈良・薬師寺の前管長、故高田好胤師は、
    「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、
     広く、ひろく、もっと広く、これが般若心経‘空’の心なり」
 と、説いておられました。
 かたよったり、こだわったり、とらわれたりしているうちは、「まことの仏、至極の和歌・連歌」は、わからない、と心敬は言っているのです。

 行く雲のごとく、何ものにもとらわれずに無心に、また、流れる水のように、きまった形にこだわることなき自由を体得することを「行雲流水」といいます。
 水は行く手を阻む大きな岩があっても、なんなく流れていきます。こだわりなく、とらわれることなく海に向かって……。
 水にきまった形はありません。丸いものに入れられれば丸く収まり、四角いものに入れられれば四角におさまり、その場、その場に充実して生きます。
 大空に浮かぶ雲も、きまった形などありません。形を変え、姿を変え、一ヵ所にとどまることなく、自由にどこまでも流れて行きます。ときには峰に止まって山の風光を添え、添えたことも忘れていずこかに去って行きます。
 このように、無心無相に、そのときそのところに生き、そのときそのところを生かしていく生き方が「行雲流水」なのです。
 「行雲流水」は、また無常の相(すがた)でもあります。しかし、自然のたたずまいだけに無常を感じるだけでは不十分です。自分自身の無常を観じるよすがとして、「行雲流水」を凝視しなければなりません。
 どこへでも縁に流れて、流れつづければよいのです。そして、その場、その場の風光を自由に味わえばよいのです。心の眼さえ開けるなら、花も水も雲もすべて真如(一切存在の真実のすがた)を語っているのがわかるはずです。その真如をとらえるのが作家なのです。
 心敬は、「行雲流水」の境地に立つ作者だけが、物事を正しく見通すことが出来る、というのです。

 「庭前の柏樹子」は、庭先にある柏の木、という意味ですが、有名な禅問答の一つです。
 「達磨大師は、どうして印度から中国へやって来たんですか」と、一人の僧が尋ねました。
 すると、趙州(じょうしゅう)和尚は、「庭前の柏樹子」と、答えたのです。きっと寺の境内にある柏樹を思い起こしたのでしょう。
 普通に考えたら、答えになっていません。では、趙州和尚の意図はどこにあるのでしょうか。
 「一つのことにこだわりすぎると、自分を見失うぞ。広く全体を見よ」
 「日々の生活における知覚そのものが、《仏法の究極》であることに気づかせる」
 などなどが考えられます。

 けれども、心敬の意図は少し違うようです。
 「庭前の柏樹子」のすぐあとに、「森羅万象即法身 是故我礼一切塵」とありますので、
    「庭前の柏樹子も仏、お前さんも仏。この世に存在するものはすべてが仏。
     つまり、仏というきまった形はないのだ。すべては空なのだ」
 と言いたいのでしょう。


      蛍見や身のぬくもりをいとほしみ     季 己
 

「俳句は心敬」 (115) 至高の和歌・連歌①

2011年07月04日 10時17分27秒 | Weblog
        ――仏法を修行して、まことの仏の教えを探り求めたり、歌道を
         一心に精進努力して、その奥義をきわめるにしても、どのよう
         な形をまことの仏、どういう風体を至極の和歌・連歌と決めて
         よいのか、はっきりわからないのですが……。

        ――この世のすべての存在には、きまった姿や形というものはな
         い。そう、すべては「空(くう)」なのじゃ。
          ただ折々の時節により、あるいは、さまざまな縁の働きかけに
         応じて、しみじみとした深い趣を現わし、真理を積極的に表すだ
         けである。仏にしても和歌にしても、つまるところは、天地が森
         羅万象を現わし、法身の如来が、思いのままに無限の形相に変化
         するような、生起することが思いのままの縁起自在の境地である。
         その境地が縁にしたがってさまざまな形相として現われる。これ
         を等流身(とうるしん)の仏とも言っている。
          その法身仏にしても等流身の仏にしても、きまった形相がある
         わけではない。ただ一ヵ所にとどまることなく、行雲流水の境地、
         すなわち縁起自在の境地に立つ作者だけが、真理を体現しつつ
         変化しつづける存在を、正しく見通すことが出来るのである。
          だから、古人が「いかなるがこれ仏」と問うたところ、僧は、
         「庭前にある柏樹子(はくじゅし)」と答えた。そのわけを弟子に
         尋ねると、「師は何もおっしゃらなかった。だからといって師を
         誹謗なさらないでください」と言った。
           森羅万象即法身  是故我礼一切塵
           (宇宙に存在するあらゆるもの一切は、即ち、法身仏
            そのものである。だから自分は、塵泥に等しいもの
            でも、仏として拝礼する)


      沙羅の花 若きカップル足組んで     季 己

うつぼ柱

2011年07月03日 22時19分17秒 | Weblog
        さみだれのうつぼ柱や老が耳     蕪 村

 「さみだれのうつぼ柱」と「老(おい)が耳」とが、同格のようにいいあらわしてある。
 憑(つ)きもののように老人の耳から空柱(うつほばしら)の音が去らないありさまが、これによって偲ばれるのである。
 この句の制作年代はよくわからない。あるいはそう晩年の作ではないのかも知れない。たしかに一応さびしい情景が描いてある。しかし、陰鬱・寂寥といったような気分は、一句のリズムからは察することが出来ない。むしろ、老境に自ら満足して、これまた一興と、雨樋(あまどい)の奏でる音に耳を貸しているような自然さがある。

 「うつぼ柱」は、「空柱」と書き、雨水を通すために中を空(うつ)ろにした柱。家角に立てた雨水の落ちる箱形の雨樋のこと。

 季語は「さみだれ(五月雨)」で夏。

    「老人の眠りは浅い。ことに、五月雨の頃とて寝床まで冷え冷えと覚えるので、
     いつの間にか目が覚めてしまった。雨はなお降りつづいているらしく、雨樋は
     かすかながらもはっきりと音を立て続けている。なす事もなくものさびしいので、
     夜の天地の間にただ一つあるような、その雨樋の単調な音にいつまでも耳を
     貸していることだ」


      団扇持つ五体八方破れかな     季 己

草いきれ

2011年07月02日 20時20分14秒 | Weblog
        草いきれ人死に居ると札の立つ     蕪 村

 「草いきれ」と上五にすえたので、「人死に居る」も、今でいう熱中症などのために倒れたのであることがすぐわかる。ぐずぐずしていれば、新たな犠牲者が出そうだとの恐怖心を覚えさせるほどに、草いきれが猛威をふるっているのである。
 極度に醜悪な素材をもって読者の注意を喚起し、一挙に季語の含む激しい「気」に、読者を直面させる。蕪村特有の積極的作句法である。
 ただ、「草いきれ」の感じよりもむしろそれが含む「意味」を、いやが上にも強調しようとしているところに、例の「季題概念化」の危険をはらんでいる句である。

 季語は「草いきれ」で夏。「草いきれ」は、夏草が高く茂って、そこから真昼の蒸れいきれた気が通行人の呼吸を圧するほどに立ちのぼるのをいう。

    「夏野の一角に、粗末な制札が立っている。近寄ってみると、このあたりに
     行き倒れの者があって、その死骸は身元がわかるまで某所に置いてあるか
     ら、心当たりの者は申し出るように、との旨が書かれている。屍(しかばね)
     そのものは目に映らなくとも、あたりは胸を没する程に草が茂っていてもの
     すごく、これを読んでいる間さえ呼吸が止まるほど激しい草いきれである」


      階登る汗の手形をおばしまに     季 己