夜やいつの長良の鵜舟曾て見し 蕪 村
事実は簡単であって、普通の正常な順序で表現すれば、
曾ていつの夜にか長良の鵜舟見し
であって、何の変哲もないはずのものである。
それなのに、「夜や」と夜に中心を置き、さまざまの部分を倒置して、このように変化をつけて表現すると、幼年時代の思い出でもあるかのような、しっとりとした懐かしさの情が全体に添ってくるから不思議である。
しかし、いたずらに奇を好んで無秩序に表現を乱したのではない。その証拠に、この一句を意味の上から区分づけてみると、
よや(2)・いつの(3)・ながらの(4)|うぶね(3)・かつて(3)・みし(2)
と、前部後部が整然としたシンメトリーの態をなしている。
言葉と表現の魔術師めいた蕪村の真骨頂が、ここにも明らかである。
季語は「鵜舟」で夏。「鵜舟」は鵜飼をする舟。鵜飼と関係づけて季語とする。
「ああ、確かにそういう夜があったなあ。いつの年のいつの夜とも今では
定かに記憶していないが、あの長良の鵜飼舟が篝火を掲げて往来する
さまを見たことが、確かにあった」
獅子頭ひとのきげんの中にあり 季 己
※ 獅子頭(ししがしら)は金魚の一変種。「らんちゅう」が
老成し、頭部全体に紅色のこぶを生じたもの。夏の季語。
事実は簡単であって、普通の正常な順序で表現すれば、
曾ていつの夜にか長良の鵜舟見し
であって、何の変哲もないはずのものである。
それなのに、「夜や」と夜に中心を置き、さまざまの部分を倒置して、このように変化をつけて表現すると、幼年時代の思い出でもあるかのような、しっとりとした懐かしさの情が全体に添ってくるから不思議である。
しかし、いたずらに奇を好んで無秩序に表現を乱したのではない。その証拠に、この一句を意味の上から区分づけてみると、
よや(2)・いつの(3)・ながらの(4)|うぶね(3)・かつて(3)・みし(2)
と、前部後部が整然としたシンメトリーの態をなしている。
言葉と表現の魔術師めいた蕪村の真骨頂が、ここにも明らかである。
季語は「鵜舟」で夏。「鵜舟」は鵜飼をする舟。鵜飼と関係づけて季語とする。
「ああ、確かにそういう夜があったなあ。いつの年のいつの夜とも今では
定かに記憶していないが、あの長良の鵜飼舟が篝火を掲げて往来する
さまを見たことが、確かにあった」
獅子頭ひとのきげんの中にあり 季 己
※ 獅子頭(ししがしら)は金魚の一変種。「らんちゅう」が
老成し、頭部全体に紅色のこぶを生じたもの。夏の季語。