壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

草いきれ

2011年07月02日 20時20分14秒 | Weblog
        草いきれ人死に居ると札の立つ     蕪 村

 「草いきれ」と上五にすえたので、「人死に居る」も、今でいう熱中症などのために倒れたのであることがすぐわかる。ぐずぐずしていれば、新たな犠牲者が出そうだとの恐怖心を覚えさせるほどに、草いきれが猛威をふるっているのである。
 極度に醜悪な素材をもって読者の注意を喚起し、一挙に季語の含む激しい「気」に、読者を直面させる。蕪村特有の積極的作句法である。
 ただ、「草いきれ」の感じよりもむしろそれが含む「意味」を、いやが上にも強調しようとしているところに、例の「季題概念化」の危険をはらんでいる句である。

 季語は「草いきれ」で夏。「草いきれ」は、夏草が高く茂って、そこから真昼の蒸れいきれた気が通行人の呼吸を圧するほどに立ちのぼるのをいう。

    「夏野の一角に、粗末な制札が立っている。近寄ってみると、このあたりに
     行き倒れの者があって、その死骸は身元がわかるまで某所に置いてあるか
     ら、心当たりの者は申し出るように、との旨が書かれている。屍(しかばね)
     そのものは目に映らなくとも、あたりは胸を没する程に草が茂っていてもの
     すごく、これを読んでいる間さえ呼吸が止まるほど激しい草いきれである」


      階登る汗の手形をおばしまに     季 己