壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

おどろく

2010年11月15日 20時53分38秒 | Weblog
        斧入れて香におどろくや冬木立     蕪 村

 斧を入れた木がたまたま香木であった、とする説があるが、これには従えない。斧を入れる樵夫(きこり)には、はじめから木の種類は、わかっているはずである。
 蕪村の連句中に、
        根にうつぼ木の命ありたけ
 という句があるように、冬木の外観に欺かれて、枯木を扱うに近い気持で斧を入れてみて、あまりにも激しい活力のある香に驚かされたのである。

 「おどろく」には、
   ①意外なことにびっくりする。感嘆する。
   ②はっとして目が醒める。
   ③はっとして気がつく。
 などの意があるが、ここでは①。

 季語は「冬木立」で冬。「冬木立」は、すっかり葉が落ちて裸木となった木立のこと。冬の木々を一般的に「冬木」と総称するが、「冬木立」は、その「冬木」の立ち並んだものをいう。あまり低い木には用いず、ある程度以上の高さの冬木の群立に用いる。
 この蕪村の句は、「冬木立」の概念の裏をついた句である。

    「すっかり葉を落とし、骨ばかりのようになっている冬木の一つに、
     一撃深く斧を食い込ませたところ、むせるほどに激しい生気に
     あふれた香が立って、ほとんど呆然とするほどに驚かされた。
     冬を凌ぐために葉こそ落としたが、木はその内部に盛んな生気を
     蓄えていたのである。周囲に立ち並ぶ無数の木たちも、この一本
     の木のように、ことごとくたくましく生きているのかと、今さら眺め
     回さずにはいられない気持であった」


 ――驚いた、というより感激した。
 「川口茜漣・坂本泰漣」展(銀座「画廊宮坂」)初日の今日、会場でおいしいコーヒーをいただきながら、坂本先生とボードレールの詩集『悪の華』の話をしていた。
 そこへ偶然、秋山俊幸さんが見えた。秋山さんは、アートソムリエの山本冬彦さんが「大家然とした」と評した「無題2006」の作者、秋山俊也君の父親である。

 一ヶ月の約束でお借りした「無題2006」は、文机の左側に立てかけ、眺め、ある時は穴があくほど凝視してきた。
 作品が届いたのが10月12日、それから一ヶ月たった11月12日に夢を見たのだ。紺の風呂敷に包んだ作品を返しに、霜明りの一本道をとぼとぼと歩いてゆく夢を。
 種を明かせば、11月13日の「持ちなほす紺の風呂敷 霜明り」は、夢に見たものを句にしたものなのだ。

  「お約束の期限が過ぎてしまって申し訳ありません」
 と詫びると、驚くことに
  「飽きるまでお貸ししますよ。飽きたら返して下さい。それとも、もう飽きた?」
 と秋山さん。
  「いや、飽きるどころか……」
 あとは言葉にならなかった、感激のあまりに。

      この絵愛でこの冬さぞや温からむ     季 己

頼もしき

2010年11月14日 22時36分20秒 | Weblog
          杜国が不幸を伊良湖崎にたづねて、
          鷹の声を折ふし聞きて
        夢よりも現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき     芭 蕉

 句の裏に、杜国との再会の情が寓されている。逢うまでに、いろいろ再会の情を想像してはいたが、現実にこうして語り合うと、まことに心強さを感ずる、という気持である。
 この句、どこか短歌的な気息を漂わせていることに注意したい。歌を心に描いていたものととると、『古今集』・恋三
        むばたまの 闇の現は さだかなる
          夢にいくらも まさらざりけり (詠み人知らず)
 などが、発想の契機となったものであろう。

 「杜国」は貞享二年、空米売買の罪に問われて、三河の畠村に蟄居(ちっきょ)、後に保美に移った。
 「不幸」とは、現在のその境遇をさす。

 季語は「鷹」で冬。

    「古歌に、夢と現とは、いくらのちがいもない、と詠まれているが、
     そうではない。こうしてこの地にゆかり深い鷹にも比すべき杜国を
     一目見ただけでも、何とも頼もしく感ぜられることだ」


      をしどりの来さうな池の色となる     季 己

荒れたきままの

2010年11月13日 22時34分37秒 | Weblog
          人の庵をたづねて
        さればこそ荒れたきままの霜の宿     芭 蕉

 「荒れたきままの」が実にいい。「荒れたるままの」と表現すれば無難でわかりやすい。しかし、それでは傍観者の表現にとどまる。杜国の隠棲の身の上への芭蕉の痛嘆は、そんな生ぬるい傍観者的な描写では飽き足らないほどの切実さで盛り上がって、一気に「荒れたきままの」と緊迫した発想になっていったに違いない。貞享四年(1687)十一月十三日の作。

 前書の「人」は、『笈日記』によれば、門人の杜国。
 「さればこそ」というのは、隠棲の生活がこうもあろうかと思っていたが、はたしてその通りの事実を眼前にして、驚きの衝(つ)きあげる気持を表している。
 「荒れたきままの」は、荒れたいままに荒れた、の意で、荒れ放題の、という気持である。

 季語は「霜」で冬。実在の霜のはたらきだけでなく、不幸な生活を強いられている宿という〈こころ〉をこめた使い方である。

    「杜国をたずねてやって来たが、そういう隠棲の身では、さぞかし
     こうもあろうかと思っていたまさにそのとおりに、これはまあ、荒れ
     放題に荒れてしまった霜枯れの宿に、寒々と住み堪えていることよ」


     持ちなほす紺の風呂敷 霜明り     季 己

冬庭

2010年11月12日 22時49分21秒 | Weblog
        冬庭や月もいとなる虫の吟     芭 蕉

 庭前の景をうたって挨拶としたもの。
 静かに冬さびた庭に目を放ち、その寂(さび)の中に没入しようとしている姿が見られる。虫の音にじっと耳を澄ましていると、冬の、生き残った虫の音は、糸のように細く感じられる。その虫の音が自ずと結晶したような細い月が、さえざえと空にかかっている。
 聴覚と視覚とが融合した、微妙な味わいを生み出している。ただ、巧みさが見えているあたり、寂の世界を求めながら、まだ深まりきれないところがあるといえよう

 「いとなる」は、糸のように細い、の意。上の「月も」をうけ、また下の「虫の吟」にかかり、掛詞的にはたらいている。「いと」には、絃が意識されていたのかも知れない。
 「虫の吟」は、虫の音(ね)、虫の声に同じ。造語的な新しい用い方である。

 「冬庭」が季語。ただし、当時の歳時記などには、まだ見えない。「月」・「虫の吟」は秋の季語になり得るが、ここでは「冬庭」につつまれていて、季語として働いていない。

    「この庵に招かれて、庭を眺めると、すでに冬の気配が濃い。
     空には夕月が糸のように細くかかり、虫もいよいよ鳴き細って、
     しんとした感につつまれてゆくことだ」


      水琴の音かがやける冬の庭     季 己
     

終には煮ゆる

2010年11月11日 23時02分47秒 | Weblog
        埋火や終には煮ゆる鍋のもの     蕪 村

 「終(つい)には煮ゆる」を、「結局は煮えるはずである」と解釈する説があるが、どうであろうか。これは、「終に煮えたる」と表現してもいいのであるが、それでは煮え立った事実の方が中心になってしまう。「いつまでも煮える様子もなかったのに、長い時間の後には終に」と、「終に」の気持の方を中心とするために、「終には」と強めて表現する必要があったのである。
 日常生活の些事を詠んだ句でありながら、気持の上で、いかにも「ねんごろ」なものがある。

 季語は「埋火」で冬。「埋火」は、熾(おこ)った炭火に灰をかけておくことをいう。酸素の供給が乏しくなるので、燃えにくくなり長く火を保つ。灰をかきおこすと、その中に真っ赤な炭が顔を出すのは、なんとも嬉(うれ)しいものである。

    「火鉢には乏しい火種が、灰をかけてかくまってある。家族が
     少なく食事の用意を急ぐ必要がない。
     鍋を火鉢にかけておき、その部屋で他の用事に没頭していた。
     そして忘れ去った頃に、ふと、そちらで物音がする。見れば、
     あれだけの火でも、あれだけ長く経てば、鍋の中のものは、
     ついにはめでたく、ふつふつと湯気を立て始めたのである」


     埋火や恋のひとつもしてみむか     季 己

畠の小石

2010年11月10日 22時47分05秒 | Weblog
        こがらしや畠の小石目に見ゆる     蕪 村

 「目に見ゆる」の語があるので、この景の中をたどってゆく一人の人間の感覚が、句の中心になっていることがわかる。
 「こがらし(木枯)」は、いわゆる〈空っ風〉であるから、空は晴れているのが普通である。
 「小石目に見ゆる」は、畠(はたけ)の面の、何物をも止めないような冬ざれの実景を伝えると同時に、木枯によって研がれた大気の、いやに明るく、いやに醒めきった澄明さを、実にはっきりと表している。蕪村の近代的な感覚の鋭敏さが、よく感じられる。

 この句の初案らしい
        木がらしや畑にちいさき石も見へ
 の句が、ある本に見える。(「見へ」の「へ」は「え」が正しく、「畑」は「はた」と読む。)
 「見え」の連用形での結びも、「見ゆる」に比べて緩んでおり、「畑に」の「に」、「石も」の「も」も共に、説明に流れすぎる
 「畠の小石」と、具体的に小石そのものに注意を集中させ、「目に見ゆる」と、見る人間が受け取った、印象の鮮明さを打ち出したのには及ばない。

 リズムの上からいっても、このように表現することによって、
    「こがらし」「はたいし」
 と「カ行」の音による統一が利くことになり、
    「ゆる」    
 の「マ行」の音の畳みかけも、結尾として力強くふさわしいものとなる。

 「こがらし」に「石」を配合するだけならば決して斬新とはいえない。現に蕪村にも
        こがらしや野河の石をふみわたる
        こがらしや鐘に小石を吹きあてる
        凩や小石のこける板ひさし
 などの句がある。
 この「畠の小石」の句は、これらの諸句のような、知的連想の作為の跡がほとんどなく感覚による生き生きとした直接さにおいて、ぬきんでている。

 季語は「こがらし」で冬。

    「見渡すと畑ばかりの野道、ほかに吹き当てる対象を持ち得ない木枯が、
     いやというほどに我が身の上に殺到してくる。畑の面は、作物の名残さ
     えとどめず、畝の形さえ消えて、ただ乾き切った白っぽい土が、はてし
     なく広がっている。たまさか小石一つ、その上に転がっていても、その
     姿がいやというほどはっきりと目にとまる。


      暮六つの鐘かつさらふ空つ風     季 己

家五軒

2010年11月09日 20時16分26秒 | Weblog
        こがらしや何に世わたる家五軒     蕪 村

 発想・構成ともに、
        さみだれや大河を前に家二軒     蕪 村
 の句と酷似している。
 五月雨(さみだれ)の大河の水勢と、二軒の家の姿の無力さとを対照させたように、この句では、鳴り渡る木枯(こがらし)の激しさと、五軒の家のたたずまいの儚(はかな)さとを対照させたのである。
 「大河を前に」が具体的・客観的であるのに対し、「何に世わたる」が説明的・主観的表現であることだけが相違している。具体的なだけに、「さみだれ」の句の方が一般人に理解されやすく、したがって有名になっている。

 漁業や樵夫(きこり)も成り立たないはずの、広野の一角であるという判断から、「何に世わたる」の疑問がわいてくるのである。
 「家五軒」という数の限定は、蕪村の常用手段である。「十軒」ならば一応まとまった単位となるのに、その半数であってみれば、をも形成しかねるとの感じが強いのである。

 季語は「こがらし」で冬。「こがらし」は、「木枯」あるいは「凩」と書く。初冬に吹く強い空っ風。木々の葉を吹き落として枯木のような姿にしてしまうので、「木枯」という。

    「海にも臨まず、山にも臨まず、あたりに田畑さえない荒れ地に、
     たった五軒の家がたむろしている。いったい何によって暮らしを
     立てているのであろうと、見る目にも心もとない。その心もとな
     い家が、それぞれ固く閉ざして、鳴り渡る木枯に吹きさらされて
     いる」


      冬晴や癌をかかへる人の顔     季 己

留守の間に

2010年11月08日 23時19分59秒 | Weblog
        留主の間に荒れたる神の落葉かな     芭 蕉

 初冬の荒れはてた神の祠(ほこら)を見つけた。それを神無月の俗説にもとづき、「神無月」という名辞にすがって発想したもの。季語の組み込み方にも工夫が見られる。「留主の間に」という発想には、自分も旅をつづけて留守にしていたことを、ふりかえっている心の動きが読み取れる。

 『蕉翁句集』に、貞享五年の作とするが、長旅を終えた後の感慨をこめたふしがあり、また「神の留守」を季語とする点で、
        都出でて神も旅寝の日数かな
 に類似するので、十月二十九日(または十一月一日)江戸に帰着した元禄四年の作と考えたい。
 貞享五年も『笈の小文』およびそれに引き続く『更科紀行』の旅から帰った年であるが、帰庵は八月で季が合わない。

 「留主の間に」は、下の「神」の語がかかわり、「神の留主の間に」の意と解したい。
 「神の留主(留守)」というのは陰暦十月のこと。(拙ブログ、2009/11/27「神の旅」を参照頂ければ幸いである)
 「神の落葉」は神域の落葉の意。

 「神の留守」の句で冬季。神の留守によって自分の留守をいうので、俳諧的な使い方である。「落葉」も冬の季語であるが、この句では、「神の留守」につつみこまれて使われている。

    「出雲へ旅立たれた神の祠は、神が留守の間に荒れ果てて、びっしり
     落葉が降りたまっていることだ」


      まだ楠の匂ふ表札 神の留守     季 己

落葉

2010年11月07日 23時13分00秒 | Weblog
        西吹けばひがしにたまる落葉かな     蕪 村    
 
 蕪村の作品でも有名なものの一つである。禅と結びつけて解釈するようなことさえしなければ、たしかに素直な明るい佳句である。
 落葉の、すべて風まかせな自在境をうたったものであろう。必ずしも、西と東とに限ったことはなく、北風吹けば南に溜まりもするのである。現に、この句の初案らしい
        北吹けば南あはれむ落葉かな
 の句がある。これは、
    「北から風が吹けば、落葉は南へ吹き寄せられて、そこを親しむように
     身を寄せている」
 の意である。
 東風吹く頃となれば、また、反対に西の方へ寄せられる、の意が言外に含まれている、と解する説があるが、穿(うが)ち過ぎであろう。
 西と東とを、原因と結果として照応させたのは、感興と技巧によったものと思う。

 季語は「落葉」で冬。

    「落葉は何と気軽なのであろう。ひょうひょうと風に身を任せきっている。
     強い風がしばらく西から吹きつづけると、落葉は庭の東の隅に、おとな
     しく吹きつけられて溜まっている」


      大切なこの絵かへさむ冬立つ日     季 己

生悟り

2010年11月06日 22時43分23秒 | Weblog
          ある智識ののたまはく、「生禅大疵の
          基(なまぜんおおきずのもとい)」と
          かや、いとありがたく覚えて、
        稲妻に悟らぬ人の貴さよ     芭 蕉

 生悟りの人は、自分の半端な悟りに結びつけ、その考えにしばられて、かえって事象の真相を見失うことが多い。
 悟らぬ人は、事象を事象として飾らずに見るので、その本質を感得することができる。その無心が貴いというのである。
 曲水宛の書簡には、
          此の辺やぶれかかり候へども、一筋の道に出づる事かたく、
          古き句に言葉のみ荒れて、酒くらひ豆腐くらひなどとののしる
          輩のみに候……
 と、湖南の連衆の低迷ぶりを嘆く文字に続いて出ているので、大津や膳所(ぜぜ)あたりの俳人たちが、純粋にこの一筋に立ち向かうことのない、生半可な態度を嘆いた気持ちをこめているものかと思われる。

 「智識」は、正しく教え導いてくれる指導者。善知識。ここでは高徳の僧。
 「生禅」は、生半可な禅。禅を中途半端に学んで、悟り顔をすること。

 「稲妻」が季語で秋。稲妻に触れて詠んだものではなく、観念的な作為が主になって使われている。

    「生禅の人は、稲妻を見てもそれをすぐに無常迅速に結びつけて、
     とかく悟り顔をするものだ。なまじい、そんな悟り顔をする人よりも、
     悟らない人の方が、かえって貴く思われることだ」


      スサノオの大蛇退治や草もみぢ     季 己

あさむづ

2010年11月05日 22時50分37秒 | Weblog
          浅水(あさむづ)の橋を渡る時、俗に
          「あさうづ」といふ。清少納言の「橋は」
          と有る一条、「あさむつの」と書ける所
          なり。
        あさむづや月見の旅の明けばなれ     芭 蕉

 元禄二年八月、『奥の細道』の旅での作だが、『奥の細道』には「あさむづの橋を渡りて」とだけあって、句は見えない。

 同行の等栽が、「裾をかしうからげて、……うかれ立つ」ような飄逸な人柄であり、名月を賞(め)でようという心のはずみのついた場合であるから、その風狂の気分から、自然と軽い即興的な発想となったものであろう。

 「あさむづ」は、いま福井市。そこの浅水川(あそうずがわ)にかかっていた橋。『枕草子』に、「橋は、あさむつの橋。長柄の橋……」とあり、「催馬楽(さいばら)」にも、「安左牟川乃波之(あさむづのはし)」と出ており、古来、歌枕として名がある。アサムヅはアサミヅの転。
 「あさむづ」には、時刻の朝六つ(午前六時)が掛けられているが、ちょうど夜の明けはなれる頃。

 季語は「月見」で秋。福井から敦賀まではすべて、「月見」が旅の主調になっている。

    「敦賀の名月を見ようというので、早朝、福井を出て浅水の橋へかかると、
     ちょうど朝六つの頃で、夜もすっかり明けはなれた。全くあさむづの名の
     とおりだったことよ」


      冬近き風は八角燈籠より     季 己

身に入む

2010年11月04日 23時14分08秒 | Weblog
          赤坂の虚空蔵にて、八月廿八日、奥の院
        鳩の声身に入みわたる岩戸かな     芭 蕉

 元禄二年八月二十八日、岐阜県不破郡赤坂町の金生山明星輪寺宝光院での作。
 奥の院は、岩をえぐって造ってあったものであろう。鳩は、山鳩として聞くと、「身に入(し)む」が、いっそうひきたつように感じられる。

 「身に入む」は、骨身に徹して痛切に感じられる意で、季語としては、秋気が身に冷え冷えと沁みて、あわれを感じさせるのをいう。属目の実感であろう。
 秋冷のさまざまな感じ方、表現の仕方には種々ある。変人の感じ方としては、冷気が
    
     うそ寒む→やや寒む→そぞろ寒む→身に入む→冷(すさ)まじ

 の順に強くなっていくように思われる。作句の際には、いろいろに置きかえてみて、もっとも効果的、つまり、自分の気持にぴったり合うことばを、あてはめるようにしたい。この他に秋寒む・肌寒む、という語もある。

    「虚空蔵菩薩をまつった奥の院の岩戸のところに詣でると、陰暦八月も
     末に近いこととて、木立に鳴く鳩の声までが、秋気を深く感じさせる
     ことだ」


      身にぞ入むロマングラスの銀化光     季 己

三日月

2010年11月03日 20時55分20秒 | Weblog
          三 日
        何事の見たてにも似ず三日の月     芭 蕉

 「三日の月」は、「みかのつき」と読む。この句には、初案、再案と思われるものが残っていて、次のように改案して、決定稿に至ったようである。

      (初 案)ありとあるたとへにも似ず三日の月
        ↓
      (再 案)ありとある見立てにも似ず三日の月
        ↓
      (決定稿)何事の見たてにも似ず三日の月

 言おうとするところは、三日月の趣に驚いた心で、古来、あるいは利鎌(とがま)に、あるいは眉・櫛に比べられてきたが、自分の目で見ると、既成のどの比喩でも言い表しがたい趣であったというのである。
 初案の「ありとある」という緊迫した生々しいひびきは、その点では捨てがたいものがある。
 この三日月に、自分の驚きを見出している態度そのものは、既成の情趣に甘んぜず、その底を踏み抜いてゆく探求の態度なのであるが、句としては、その新しい発見が具象化されておらず、観念的であり、解説的になって、印象が弱いようだ。 貞享五年(1688)七月三日、もと名古屋市西区替池町の地にあった円頓寺で詠まれたものという。

 季語は「三日の月」で秋。

    「三日月は、古来さまざまな形になぞらえて、その美しさが言われ、
     漢詩にも古歌にも種々な比喩が行なわれているが、いま自分の
     目で見るとそれは、そのどれにも似ていないで、全く異なった独自
     の美をそなえていることだ」


      人の道水の道にも三日の月     季 己     

鶉(うずら)

2010年11月02日 23時09分18秒 | Weblog
        鷹の目も今や暮れぬと鳴く鶉     芭 蕉

 暮色の立ちこめる中に、鶉が自分を取り戻したような声で鳴いていることから、「鷹の目も今や暮れぬ」という感じを引き出したのであろう。「鷹の目も今や暮れぬ」という把握が、なかなかおもしろい。
 鶉の声から、あたりの暮色などをえがくという常套的な手法によらず、鶉の音色を通して鶉の心に想い入っているような、自在な詠みぶりである。

 「鷹」は冬季であるが、ここでは「鶉」が季語で秋。
 鷹狩の一つに、「駈鶉(かけうずら)」といって馬上で鶉を駆りたて、鷹を合わせるのがある。ここはそれと限らなくともよいが、そうした連想があったものか。
 「鶉」はもともと野生のもので、古来、多くの歌に詠まれており、後年、声を賞したり、卵を取るため飼育されるようになった。もっともあわれふかいのは夕暮れの鳴き声で、この句もそこに発想している。

    「あたりはたそがれそめて、さだかに物を見分けかねるまでになり、今はもう
     鷹の目も利かなくなったというので、鶉があのように鳴き始めたのであろう」



      山鳩の声ひかり降る秋の川    季 己

何と鳴くのか

2010年11月01日 20時34分54秒 | Weblog
        蜘蛛何と音をなにと鳴く秋の風     桃 青(芭蕉)

 声を出さぬ蜘蛛に呼びかけたところ、また、その調子のおもしろさに工夫があったものであろう。「虫」の題のもとに出ているので、『枕草子』の「虫」はの段の、蓑虫が、逃げていった親をしたって、秋風が吹くと「ちちよ、ちちよ」と鳴くという一節を踏まえ、あらためて禅問答風に、蜘蛛に鳴く音を問うたもので、そこに談林的発想があったわけである。
 しかし、どこか戯れにひたりきれない、しみじみとした心の色が滲み出てきているところに、この頃の芭蕉の歩みが見られる。出典の『向之丘』よりみて、延宝八年(1680)以前の作。

 「蜘蛛何と」は、「鳴く」にかかるだけでなく、呼びかけの気持を持つ。つまり、「蜘蛛よどうだ」という禅問答にあるような口調をはたらかせているのである。
 「音をなにと鳴く」は、その鳴く音にどういう意味をこめて鳴くのか、の意。

 『向之丘』には虫の題のもとに出ているが、「蜘蛛」は、『滑稽雑談』に四月とするが、当時はまだ季語の意識が薄く、表現上からは「秋の風」を季語と認めたい。

    「蜘蛛よ、どうだ。お前は、他の虫どもがそれぞれ鳴きかわしているのに、
     ただひとり黙りこくっているが、この秋風の寂しさの中で、いったい何と
     鳴くのか」


 ――台風のため行けなかった「日展」にやっと行ってきた。あまりの作品の多さに、疲れだけがどっと残った。どの作品も甲乙つけがたいほど上手いし、力作もある。それなのになぜ疲れるのだろうか。芸術作品は疲れるために見るのだろうか。
 明鏡止水の境地で、心の色が滲み出ている作品が一点もなかったのが、非常に残念。「心の色が滲み出ている」という点で評価すれば、例の秋山俊也君の「無題2006」を超えた作品は皆無。
 今日は日本画と洋画を中心に、工芸美術と彫刻は駆け足で見て、そして三階の書は後日ということに。
 では、変人の心に残った作者は次の通り。図録も購入しないし、メモも取っていないので、思い出すままに書く。したがって、お名前に間違いがあるかも知れないので、あらかじめお許し願いたい。また、犬・猫が嫌いなので、それらはパス。(敬称略)

    [日本画] 川島睦郎 川崎麻児 岸野圭作 北野治男 遠藤隆稔 武田登志子
          大矢真嗣 久保嶺爾 間瀬静子 
    [洋 画] 木原和敏 松田 茂 田野 功 小間政男 西田 亨 守屋順吉
    [七 宝] 佐藤育子
    [ 木 ] 高橋本榮


      若き娘と肩ふれあひて美術展     季 己