壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

木の葉

2010年11月29日 20時58分12秒 | Weblog
          大津にて
        三尺の山も嵐の木の葉かな     芭 蕉 

 大津あたりの実景に即しての吟であろう。
 「大きな山々はもちろん、小さな三尺ほどの山も」というほどの気持であって、「三尺の山も」という把握の働きが生きている句である。

 「三尺の山」は、小さな低い山を強調していったもの。
 「嵐」は、木枯(こがらし)のことで、初冬に吹く強い風。木を吹き枯らすということから「木枯」という。「凩」は国字で、「風」を意味する「几」と「木」を組み合わせたものである。

 季語は「木の葉」で冬。「木の葉」は「のは」と読む。「のは」といったら、季節に関係なく一般的な樹木の葉を意味することになる。

 美しく紅葉していた木々は冬になって、はらはらと葉を落とすようになる。紅葉・黄葉・褐色の葉・白茶けた葉……。地上に散り敷き、あるいは水面を彩り、冬の深まりとともに消えてゆく。枝を離れて散ってゆく葉、すでに落ちている葉、どれも落葉である。
 短い間にことごとく葉を落とすもの、ゆっくりと時をかけて散ってゆくものなど、木によってさまざまな様相を呈する。桜落葉・柿落葉・銀杏落葉・朴落葉などと樹名をを冠すると、その姿が、まざまざと浮かびあがる。
 降り積もった落葉を踏んで歩くときの感触、音、香りに、冬の訪れを実感する。しきりに葉を落とすさまを、雨や時雨になぞらえて落葉雨(おちばあめ)、落葉時雨(おちばしぐれ)という。落葉風(おちばかぜ)は、落葉を誘う風をいう。

 散ってゆく木の葉、散り敷いている木の葉のみならず、落ちようとしてまだ梢に残っている木の葉も含めて「木の葉」という。
 「木の葉」は確かに「落葉」と同義に使われてきた。しかし、より抽象的なことばであり、描写はより動的に、散りかかり、かすかに鳴り、風にひるがえるさまなどに向いている。
 俳句は短詩である。一~二音の利きが勝負になる。「木の葉」・「落葉」の句が出来たら、どちらがよいかよく吟味することが大切

    「どの山も今、木枯が吹きすさんで、数にも入らぬような
     この三尺ほどの低い山にも、嵐で吹き散らされた木の葉が、
     飛び乱れていることだ」
 

        浄閑寺(投込寺)にて
      吹きだまりまで来し落葉 幸(さき)くあれ     季 己