鷹の目も今や暮れぬと鳴く鶉 芭 蕉
暮色の立ちこめる中に、鶉が自分を取り戻したような声で鳴いていることから、「鷹の目も今や暮れぬ」という感じを引き出したのであろう。「鷹の目も今や暮れぬ」という把握が、なかなかおもしろい。
鶉の声から、あたりの暮色などをえがくという常套的な手法によらず、鶉の音色を通して鶉の心に想い入っているような、自在な詠みぶりである。
「鷹」は冬季であるが、ここでは「鶉」が季語で秋。
鷹狩の一つに、「駈鶉(かけうずら)」といって馬上で鶉を駆りたて、鷹を合わせるのがある。ここはそれと限らなくともよいが、そうした連想があったものか。
「鶉」はもともと野生のもので、古来、多くの歌に詠まれており、後年、声を賞したり、卵を取るため飼育されるようになった。もっともあわれふかいのは夕暮れの鳴き声で、この句もそこに発想している。
「あたりはたそがれそめて、さだかに物を見分けかねるまでになり、今はもう
鷹の目も利かなくなったというので、鶉があのように鳴き始めたのであろう」
山鳩の声ひかり降る秋の川 季 己
暮色の立ちこめる中に、鶉が自分を取り戻したような声で鳴いていることから、「鷹の目も今や暮れぬ」という感じを引き出したのであろう。「鷹の目も今や暮れぬ」という把握が、なかなかおもしろい。
鶉の声から、あたりの暮色などをえがくという常套的な手法によらず、鶉の音色を通して鶉の心に想い入っているような、自在な詠みぶりである。
「鷹」は冬季であるが、ここでは「鶉」が季語で秋。
鷹狩の一つに、「駈鶉(かけうずら)」といって馬上で鶉を駆りたて、鷹を合わせるのがある。ここはそれと限らなくともよいが、そうした連想があったものか。
「鶉」はもともと野生のもので、古来、多くの歌に詠まれており、後年、声を賞したり、卵を取るため飼育されるようになった。もっともあわれふかいのは夕暮れの鳴き声で、この句もそこに発想している。
「あたりはたそがれそめて、さだかに物を見分けかねるまでになり、今はもう
鷹の目も利かなくなったというので、鶉があのように鳴き始めたのであろう」
山鳩の声ひかり降る秋の川 季 己