浅水(あさむづ)の橋を渡る時、俗に
「あさうづ」といふ。清少納言の「橋は」
と有る一条、「あさむつの」と書ける所
なり。
あさむづや月見の旅の明けばなれ 芭 蕉
元禄二年八月、『奥の細道』の旅での作だが、『奥の細道』には「あさむづの橋を渡りて」とだけあって、句は見えない。
同行の等栽が、「裾をかしうからげて、……うかれ立つ」ような飄逸な人柄であり、名月を賞(め)でようという心のはずみのついた場合であるから、その風狂の気分から、自然と軽い即興的な発想となったものであろう。
「あさむづ」は、いま福井市。そこの浅水川(あそうずがわ)にかかっていた橋。『枕草子』に、「橋は、あさむつの橋。長柄の橋……」とあり、「催馬楽(さいばら)」にも、「安左牟川乃波之(あさむづのはし)」と出ており、古来、歌枕として名がある。アサムヅはアサミヅの転。
「あさむづ」には、時刻の朝六つ(午前六時)が掛けられているが、ちょうど夜の明けはなれる頃。
季語は「月見」で秋。福井から敦賀まではすべて、「月見」が旅の主調になっている。
「敦賀の名月を見ようというので、早朝、福井を出て浅水の橋へかかると、
ちょうど朝六つの頃で、夜もすっかり明けはなれた。全くあさむづの名の
とおりだったことよ」
冬近き風は八角燈籠より 季 己
「あさうづ」といふ。清少納言の「橋は」
と有る一条、「あさむつの」と書ける所
なり。
あさむづや月見の旅の明けばなれ 芭 蕉
元禄二年八月、『奥の細道』の旅での作だが、『奥の細道』には「あさむづの橋を渡りて」とだけあって、句は見えない。
同行の等栽が、「裾をかしうからげて、……うかれ立つ」ような飄逸な人柄であり、名月を賞(め)でようという心のはずみのついた場合であるから、その風狂の気分から、自然と軽い即興的な発想となったものであろう。
「あさむづ」は、いま福井市。そこの浅水川(あそうずがわ)にかかっていた橋。『枕草子』に、「橋は、あさむつの橋。長柄の橋……」とあり、「催馬楽(さいばら)」にも、「安左牟川乃波之(あさむづのはし)」と出ており、古来、歌枕として名がある。アサムヅはアサミヅの転。
「あさむづ」には、時刻の朝六つ(午前六時)が掛けられているが、ちょうど夜の明けはなれる頃。
季語は「月見」で秋。福井から敦賀まではすべて、「月見」が旅の主調になっている。
「敦賀の名月を見ようというので、早朝、福井を出て浅水の橋へかかると、
ちょうど朝六つの頃で、夜もすっかり明けはなれた。全くあさむづの名の
とおりだったことよ」
冬近き風は八角燈籠より 季 己