壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

己が火を

2010年07月16日 21時00分16秒 | Weblog
        己が火を木々の蛍や花の宿     芭 蕉

 弟子の支考が『東華集』にいうように、「錯綜顚倒之法(さくそうてんとうのほう)」によった作で、倒置法の一種であるといわれる。これは、『句選年考』に「蛍は己が火を花として木々に宿す」の意とするのに従うほかないであろう。
 一度受け取った感動を、自分の思いを通して表現する――すなわち、木の枝に蛍火のちりばめられた美しさを直観的に詠まず、己が火を花として、その花の宿に泊まっているのであろうと興じた発想で、その‘はからい’の混入している点が、致命的な句の曇りとなっている。

 季語は「蛍」で夏。「花の宿」も春の季語だが、ここでは季語として働かない。

    「蛍は己が光を花として木々の枝に灯して、その中に宿り、まさに‘花の宿’に
     宿っているともいえるようなみごとさだ」


 ――好中球の不足で延び延びになっていた抗ガン剤治療。今日やっと基準値の1500を越え、1820まで回復したのでGOサインが出た。うれしいような、うれしくないような複雑な気分のまま、抗ガン剤治療を受けた。
 2時間45分の点滴時間中、2時間余りは夢も見ずに熟睡していたようである。気がついたら、看護師さんが掛けてくれたのであろう、タオルケットがしっかり掛けてあった。駒込病院の看護師さんは皆、「看護師の鏡」のような立派な方ばかりである。感謝! 感謝! 感謝!

 先日のCT検査の結果、現在の治療法は功を奏して、ガンをしっかり押さえ切っているとのこと。うれしいことに、大腸・肺・副腎すべてに治療の効果が現れていた。
 副作用の鼻水ダラダラも、前回よりはずっと少なくなったような気がする。手足のしびれも、ずっと楽になった。脱毛については、もう抜ける毛もほとんどないので……。
 どうやら「身辺整理」は少々早過ぎたようで、だいぶ後になりそうな気がする。しかし、作品の前に立ったら、「身辺整理、身辺整理」の呪文を止めるつもりはない。
 そんな変人に、「ぜひ売ってください」と言わせるような作品を、作家の先生方に強くお願いしたい。身体全体が、あたたかいものにつつまれるような作品を!

      看護服 聖金曜の蛍とぶ     季 己

宵涼み

2010年07月15日 20時37分16秒 | Weblog
        皿鉢もほのかに闇の宵涼み     芭 蕉

 挨拶の心のこもった作として味わいたい。
 もてなしの席で、灯もつけずに宵涼みをしているさまで、すべてが闇に沈んでゆく中に、皿鉢だけがわずかに白を保って見え、そこに宵涼みの微妙な季節の感じがつかまれているのである。
 この句の眼目は、「皿鉢もほのかに」にあり、そのほとりに二、三の黙りがちな人が、ほどよく坐している感じである。

 季語は「宵涼み」で夏。「夕涼み」に対して、暮れきってからの納涼をいう。当時の歳時記類には見当たらない季語である。「宵闇」は、十五日を過ぎた月が上る前の闇をいう季語なので、この句にも遅い月の出を待つ心があるのかも知れない。

    「もてなしの皿鉢が、宵闇の中に溶け込みながらも、ほのかに白く浮いて見える。
     そのほとりで、宵涼みを心ゆくまで楽しんでいることだ」


 ――七月も半ばだというのに、玄関に掛けてある絵は、花岡哲象先生の「六月の屈斜路湖」のまま。そう、六月に掛け替えたまま、横着を決め込んでいたのだ。6月生まれの変人にとっては、非常に愛着のある作品なので、なかなか替えられないでいる。だが、入谷の朝顔市も終わったことなので、明日、花岡先生の「朝顔」に掛け替えることにしよう。

 その花岡先生から今日、お電話を頂いた。
 先日あるパーティーの席上で、絵の見方についてボソッと言ったことが、とても素晴らしく、絵描きとしてうれしかった、とのこと。こちらは恐縮しっぱなし。ちなみに、ボソッと言ったことは次の通り。
 「自分は名前で作品を購入したことはない。感動しなければ決して買わない。その感動の仕方は、作品の前に立ったとき、①身体全体があたたかいものにつつまれる、②足下からあたたかくなる、③頭からあたたかくなる、の3通りある。①の作品に出逢ったら無理をしてでも買う。②③の場合も、たいていは遣り繰りして買う」
 つまり、現在手元にある作品は、すべて感動して購入したもので、義理やしがらみで購入したものはゼロということ。花岡先生の作品は、みな①であることは言うまでもない。   

      絵の湖(うみ)に吸ひ込まれゆく夕涼み     季 己

瓜の花

2010年07月14日 22時45分47秒 | Weblog
        夕にも朝にもつかず瓜の花     芭 蕉

 朝顔とか、夕顔とかいうような、朝なら朝、夕なら夕の花の落ちついた感じと違って、瓜の花は、何かよりどころなげな味のもので、その微妙なところをつかんだもの。

 「夕(ゆうべ)にも朝にもつかず」は、瓜の花の咲くときが、朝とも、夕ともどちらつかずであることをいったもの。

 季語は「瓜の花」で夏。「瓜の花」は、真桑瓜(まくわうり)の花をさす場合が多い。「瓜の花」の実際よりも咲くときの方に心を置いたとらえ方。

    「瓜の花が、朝ともつかず、夕べともつかず、どちらつかずで咲いている感じは、
     まことに落ちつかない感じだ」


      室町も昭和も同じ胡瓜咲く     季 己

さゐさゐしづみ

2010年07月13日 22時26分30秒 | Weblog
                   柿本人麻呂
        珠衣の さゐさゐしづみ 家の妹に
          もの言はず来にて 思ひかねつも  (『萬葉集』巻四)

 難解な歌である。この歌、下の句は特にすぐれていて、理解も出来る。だが、上の句の方は、今風な感じ方からは無内容にしか思えない。それは、この語句を形成してきた背後の長い宗教的な生活が、今の我々とは全く断絶してしまっているので、この語句が、なんら実感として映ってこないのだから仕方がない。
 「珠衣(たまぎぬ)」は、霊的な美しい衣をいう。魂を肉体に鎮め宿らせるには、鎮魂法を行なう。その時、空になった状態の肉体に衣をかぶせるわけだが、その人から言えば、衣を頭からかぶって、じっとしているわけだ。すると、呼び迎えられた魂によって、魂が寄りついて来たしるしに、ひっかぶっている衣が、神秘なさわだちの音を立てるのだ。その神秘なさわだちが「さゐさゐ」という音なのだ。そのさわだつ声を聞きながら、じっと心を沈めている、鎮魂の神秘な宗教的経験の積み重なりがあって、それから「心をひたすらにひそめている」といったことの序歌として、「たまぎぬのさゐさゐしづみ」という類型が出てきたのだ。そうして、「たまぎぬの」は、「さゐさゐ」にかかる枕詞となったのであろう。
 こうした知識によって内容の裏付けを行なえば、この歌の上の句も、特殊なよさを感じさせる。「珠衣のさゐさゐしづみ」という表現は快い語感を持っている。「さゐさゐ」という音のひびきに、寄り来る霊魂による衣服のゆらぐ音が感じ取れる。

    「じっと心をひそめていて、妻にやさしい言葉もかけないでやって来てしまった。
     それを今にして思えば、とてもたまらない気になってしまう」


 ――『木原和敏 水彩・素描画展』(東京・銀座「画廊宮坂」)へ行ってきた。あまりにも気持ちのよい空間なので、ついつい長居をしてしまった。作品をじっくり鑑賞したあと、コーヒーとお菓子をいただきながら、木原先生・宮坂ご夫妻・画家のTさん・検察庁のIさん等と話がはずんだ。
 夜、このブログを書こうとして、真っ先に浮かんだのが上掲の歌なのである。

      女来とさゐさゐしづむ濃紫陽花     季 己

涼し

2010年07月12日 21時23分47秒 | Weblog
        松風の落葉か水の音涼し     芭 蕉

 水の音の涼しさによって、松の落葉を感じているのである。
 「か」は疑うこころであるが、耳を傾けて、松落葉の音と聞きなされる水音の涼しさを、感じとっている趣である。「か」の「涼し」にひびいてゆくはたらきが大切である。ここをしっかり学びたい。

 「涼し」が夏季で、ごく素直に生かされている。「松落葉」も夏の季語であるが、「涼し」がはたらく。

    「松風にはらはらとこぼれる松落葉の音か――ふと、そう聞きまごうばかりに、
     水の音が涼しくひびいてくることだ」


 ――‘暑さ’の裏には‘涼しさ’がある。暑いものとあきらめている夏のひととき、思いがけなく、さあっと風が吹いて風鈴を鳴らしてゆく。
 風の音・水の色・雲の翳など、暑さを感じさせるものが、みな涼しさを寄せてくれる。暑さと涼しさは、光と影のような関係にあり、照りつける太陽の下から木蔭などに入ると、ほっとする涼しさを覚える。
 人は、暑さを忘れようと海や山へ出かけたり、あるいは、水を打つなど、さまざまな工夫を凝らす。その涼しさを求める行為が「涼み」であり「納涼」である。夏の暑さを忘れることを、古来、「夏のほか」「夏のよそ」などともいっている。
 さてこの夏は久しぶりに、とっておきの隠れ家、信州・茅野の「白寿庵」にお世話になるとしようか。そうして、名人Uさん作の御柱人形をじっくり拝見させていただこう。
 ちなみに、六年前にUさんから頂いた御柱人形は、我楽多を積んである部屋の一隅に、四六時中、楽しめるように飾ってある。直射日光を避けているので、今でも新品同様である。

      人形のこみあふ庵の涼しさよ     季 己

日の道

2010年07月11日 23時07分01秒 | Weblog
        日の道や葵傾く五月雨     芭 蕉

 「日の道」というものを鋭く感じとっていて、現代のように自然観察が細かくなった上でのものでないだけに驚かされる。雨中の日の道をつかんだところ、葵のいのちのかなしさが感じられるようである。
 中七「あふひかたむく」と平仮名で表記する本もある。掲句は『猿蓑』に収めるので、元禄三年頃の作と思われる。

 「日の道」は、太陽の通る道。黄道。
 「葵傾く」は、葵が太陽の移りゆく方向に傾く意で、葵はその性質を持つものとして詠んでいる。この葵は五月雨(さつきあめ)の頃であるから、ヒマワリ(向日葵)ではなく。タチアオイ(蜀葵)であろう。葵の類はすべて向日性があって、太陽のめぐり行く方を追う。
 タチアオイは現在、「立葵」と書く。人の丈以上の高さになり、白・桃・紅・紫の美しい花を下から咲かせてゆく。梅雨入りに咲きはじめ、頂上まで咲きのぼると、梅雨が明けるといわれている。

 季語は「五月雨」で夏。「葵」も夏季。『猿蓑』には「五月雨」の句として掲出する。葵というものの性格に即して、「五月雨」をも生かした発想である。

    「五月雨がしとしとと降り続いている中で、葵が一方に傾いている。定めし
     あの傾いた方に、雨にかくされた日の通り道があるのであろう」


      咲き上るあふひ点滴ちかづきぬ     季 己

相撲

2010年07月10日 23時06分59秒 | Weblog
        むかし聞け秩父殿さへ相撲とり     芭 蕉

 発想の場が明らかでないので、解釈の決定に困難を感ずる句である。
 いかめしい武人を相撲取りと言ったところに俳意があったもので、自由闊達な‘むかし’を偲ぶ心を、一座の人々への呼びかけとして働かせているのであろう。芭蕉の
       「景清(かげきよ)も花見の座には七兵衛(しちびょうえ)」
 の句と似通った発想である。
 支考の『俳諧古今抄』に「景清も花見の座には七兵衛」とともに「即興体」として掲げ、「一座の談笑して、……殿の字の慇懃(いんぎん)を崩」したところに俳意の存したものという。

 「秩父殿」は畠山重忠のこと。源頼朝に仕えた武将、秩父の人で庄司次郎と称した。『古今著聞集』に、長居という「東八か国」随一の大力の力士を取りひしいで気絶させ、その肩の骨をくだいたことが伝わっている。

 「相撲」は、相撲の節(すまいのせち)が七月であったことにより、秋とされる。「相撲とり」が季語で秋。

    「まあそうかたくしないで、くつろごうではないか。昔の話でも、あの勇猛な秩父殿
     までが、いつも謹厳実直な武人であったわけではなく、時には相撲を取ったとい
     うではないか」


 ――むかし、陰暦七月に「相撲の節」という宮廷行事があった。野見ノ宿祢(すくね)が當麻ノ蹴速(たいまのけはや)と力闘したのが起こりで、狩衣姿の力士が、帝の前で格技を行なったのである。
 民間でも、秋収めの慰安を兼ねた「草相撲」や「子供相撲」が、産土(うぶすな)の社に奉納されるようになったので、「相撲」の用語すべてが秋季のものとされた。極端なのは、
        「大腰に掛けて投げけり石地蔵    許 六」
        「今年またきやつに勝たれな腹くじり   几 董」
 など、技の名や著名な力士名が詠み入れてあったりして、「相撲」のことだな、とわかる句はすべて秋季として容認されてきた。
 本職力士による「相撲」も秋季で、
        「負けまじき角力(すもう)を寝物語かな    蕪 村」
 をはじめ、古典をふまえた周到な名作・力作も多かったが、現在では、プロの相撲を秋季とするには少し無理があろう。やはり、「秋場所・九月場所」と詠むのがいいと思う。

      荒梅雨や鼻毛抜きをる相撲とり     季 己   

吹き落せ

2010年07月09日 22時50分06秒 | Weblog
        五月雨の空吹き落せ大井川     芭 蕉

 「吹き落せ」という措辞は、風に対してのことばのようにもとれ、やや問題を残す。しかしここは素直に、大井川に呼びかけた発想として理解したい。
 大井川の増水の豪壮さを詠じて、
        五月雨を集めて早し最上川
 を想起せしめる力強さをもっている。
 句形としては、「雲吹き落せ」であると、穏当であるが、景が主になり、「空吹き落せ」であると、一見誇張のようであるが、心の勢いが主になってくると思う。

 大井川の出水のために、芭蕉は島田滞留を余儀なくされ、焦燥感も次第にたかまり、晴天をこいねがっていたのでもあろう。閏五月二十一日付曾良宛書簡には、この時を回想して、
        「大雨風一夜荒れ候ひて、当年の大水、三日渡り留り候。さのみ俳諧の
         相手にもならざるほどのものども、先にもよく合点いたし、俳諧ばなし
         のみにて、近所草庵のある所など見歩き……」
 とある。元禄七年五月島田での作。

 季語は「五月雨」で夏。「五月雨」の勢いの面がよく生かされた発想である。

    「五月雨のために増水した大井川は、濁流が滔々(とうとう)と流れ下っている。
     いっそのこと大井川よ、このいつ晴れるともない五月雨の空を、濁流もろとも
     一気に吹き落し流してしまってくれよ」


 ――先週に引き続き、今日も例の「好中球」の数値が回復せず、抗ガン剤治療は延期となった。どうすればよいのか尋ねたところ、気長に回復を待つしかない、とのこと。おかげで時間が出来たので浅草へ。
 七月九・十の両日は、浅草寺の「鬼灯市(ほおずきいち)」。子どもの虫封じ、女の癪に効くとして鉢植えの鬼灯が、境内で売られる。また、十日の観世音菩薩の結縁日に参詣すると、平日の四万六千日分、つまり126年分に相当する功徳・御利益を授かるといわれている。
 ここ数年、欠かさず四万六千日(しまんろくせんにち)にお参りしている変人には、いったいどんな御利益が授かるのだろう。もしかすると「極楽行き超特急券」かも。非常に楽しみである。

      ガン治療のびて四万六千日     季 己

塩鯨

2010年07月08日 22時53分18秒 | Weblog
        水無月や鯛はあれども塩鯨     芭 蕉

 単に水無月の食物として、塩鯨を賞しているのではなかろう。そこに自らの境涯を匂わせているのだ。塩鯨は、鯛の豪華さなどと違って、きわめて庶民的で侘びたものである。それが水無月の季感と調和することをうたいあげたところには、江戸市民の生活から生まれる風趣を、新しい感覚で生かす眼が光っていよう。
 『葛の松原』の
        「水無月の塩鯨といふものは、清少納言もえ知らざりけむ、いとめづらし。
         風情の動かざるところは、みづから知り、みづから悟るの道ならむかし」
 は、芭蕉のこの態度に対する、よき理解に導かれた発言である。

 「鯛はあれども」は、鯛はたしかにそれなりによいけれどの意。『古今集』東歌
        「みちのくは いづくはあれど 塩釜の
           浦漕(こ)ぐ船の 綱手(つなで)かなしも」
 を、踏まえているのではなかろうか。
 「塩鯨(しおくじら)」は食物の名。鯨の皮の脂肪の厚い部分を塩につけて、これを薄く刻み、熱湯をかけて脂を抜き、ちぢれて歯切れのよくなったものを、冷やして酢味噌などで食べる。

 「水無月」が旧暦の六月で夏。季感と境涯とを融合させた発想である。

    「水無月にあっては、魚の最もこの時季にふさわしいものとして、人々に賞美される鯛、
     それはそれとして美味であるが、その鯛よりも自分には、あのあっさりした塩鯨の風味
     が、もっとふさわしく思われる」


      水無月の放ち孔雀が屋根の上     季 己

昼寝せうもの

2010年07月07日 23時26分43秒 | Weblog
          東武吟行のころ、美濃路より
          李由が許へ文のおとづれに
        昼顔に昼寝せうもの床の山     芭 蕉

 李由(りゆう)へのたよりで、近くの歌枕 床(とこ)の山の縁で、「昼寝せうもの」と発想し、「昼顔」・「昼寝」と音を重ねて興じているわけである。
 「東武」は、武蔵またはその東部の称。また、江戸の別称でもある。
 「吟行(ぎんこう)」は、作句・作歌などのため、同好者が野外や名所旧跡に出かけて行くこと。
 「床の山」は、いま問題の床山ではなく、滋賀県犬上郡にある歌枕「鳥籠(とこ)山」のこと。
 「李由」は、滋賀県彦根にある光明遍照寺(明照寺)の住職。

 季語は「昼顔」で夏。「昼寝」は、現在では夏の季語であるが、当時はまだ季語として意識されていなかったようである。貞享五年六月七日の作と考えられる。

    「床の山に近い、あなたのおられる明照寺の庭には、いまごろは昼顔がさだめし
     盛りだと思われます。その昼顔を見ながら、ゆっくり昼寝などしたいものですが、
     お立ち寄りできなくて、とても残念です」


       板橋は滝の雨とよ夏ゆふべ     季 己

明易し

2010年07月06日 20時23分01秒 | Weblog
        足洗うてつい明易き丸寝かな     芭 蕉

 「明易(あけやす)し」とか「短夜(みじかよ)」には、『古今集』の
        「夏の夜の 臥すかとすれば ほととぎす
           なく一声に あくるしののめ」(紀貫之)
 などが、常に発想の脈をなしている。これもその系統に属し、「足洗うて」とか「丸寝(まろね)」とかいうところに俳諧味を生かした作なのである。

 「足洗うて」は、宿に到着して洗足の水を取ること。草鞋(わらじ)を脱いで足を洗うわけである。慣用句の「足を洗う」は、「賤しい勤めをやめて堅気になる」・「悪い所行をやめてまじめになる」などの意がある。
 「つい」は、うっかりしているうちにもう、という気持。

 「明易き」が季語で夏。夏の夜の短くて明け易いのをいう。俳句の場合、物理的な夜の短さではなく、まだ眠り足らないうちに、いつしか戸外が白んできて、何かやるせないようなわびしさが胸をよぎる、といった心持ちに重きを置いたものである。
 「短夜」の語は『万葉集』に、
        「ほととぎす 来鳴く五月の 短夜も
           独りし宿(ぬ)れば 明かしかねつも」(巻十、作者不詳)
 などと詠われている。

    「宿に着いて草鞋を脱ぎ、足を洗ったが、疲れてそのまま着たなりの丸寝(まろね)を
     しているうちに、もう短い夏の夜が明けてしまったことだ」


      明やすし厨にひびく杖の音     季 己

酔うて顔出す

2010年07月05日 22時42分57秒 | Weblog
        夕顔や酔うて顔出す窓の穴     芭 蕉

 「酔うて顔出す窓の穴」という語調には、興じている呼吸とともに、自己を客観視しているまなざしが感じられてならない。窓から首を出している姿は、どこかおかしみがあるが、そのおかしみは夕顔の黄昏の色調によって、深々と包み込まれているのである。
 初案は、上五「夕顔に」であったらしいが、それでは単なる説明になってしまう。「夕顔や」と句を切ることにより、‘驚き’‘発見’が感じられるのだ。

 「窓の穴」は、障子の破れの穴ではなく、窓そのものをさしているのであろう。おそらく円窓で、それがまた小さいものだったから、酔中に興じてこのように言ったものであろう。

 季語は「夕顔」で夏。『源氏物語』夕顔の巻の、

        「寄りてこそ それかとも見め たそかれに
           ほのぼの見つる 花の夕顔」
        (もっと近寄って、誰だかはっきり見たらどうでしょう、夕暮れ時に
         ほのかにご覧になった美しい夕顔を)
     ※近寄って確かめてみないか、親しく付き合ってみないか、と源氏が誘いかけた歌。

 などを意識しているところがあるかも知れないが、そんな感じが気にならない。まことに軽やかな発想である。

    「庭前は夕闇が濃くなってきたが、いささか酔うた顔を、窓からひょいと出してみたら、
     はからずもそこに、夕顔がほのかに花を付けていた」


      夕顔や病み臥す人も はよ癒えよ     季 己

馳走

2010年07月04日 19時58分44秒 | Weblog
        わが宿は蚊の小さきを馳走なり     芭 蕉 

 『芭蕉庵小文庫』掲出の句であるが、次のような形も伝えられている。
          秋之坊を幻住庵にとどめて
        わが宿は蚊の小さきを馳走かな  (『泊船集』他)
        わが宿は蚊の小さきも馳走かな  (『芭蕉翁発句集』)
        わが宿は蚊の小さきも馳走なり  (『蕉翁句集』)

 何度も声に出して味わうと、句としては、口を出たままの勢いを生かした頭掲の『小文庫』の形が最も良い。
 
 秋之坊を迎えての作とすれば、当意即妙に戯れたものということになる。
 いずれにせよ、相手を意識した一種の挨拶として味わいたい。
 
 「わが宿」は、義仲寺無名庵木曾塚草庵と仮に考えている。
 「馳走(ちそう)」は、もと字のように「走り回ること」から、「あれこれ走り回って世話をすること」の意となる。中世から、その用意に奔走する意から、「ふるまい、もてなし」の意を持つに至ったことばである。現在では、「ごちそう」として、「豪華な食事、うまい食べ物」の意で用いられる。
 なお、「ごちそうさま」は、「ごちそう」になったのを感謝する意の挨拶語であるが、日常の食後の挨拶にも使う。また、男女の仲を見せつけられたとき、からかっていうのにも用いる。

 季語は「蚊」で夏。蚊のうるさいところを踏まえて、その小さいという山家の情感を、挨拶に生かした使い方である。

    「わたしの家では何のおもてなしもできないが、蚊の小さくてあまりわずらわしくない
     ということが、せめてもの馳走ですよ」


      蚊のこゑの闇に目と耳とがらせて     季 己         

団扇

2010年07月03日 22時39分02秒 | Weblog
          盤斎背向きの像
        団扇もてあふがん人の背つき     芭 蕉

 その場のさまが目に見えるとともに、盤斎(ばんさい)の隠逸を仰ぎ慕う親しみが感じられて、即興の句としては味わい深い作品である。
 『笈日記』尾張の部に、巴丈亭の画賛四幅の一つとして掲出。

 「盤斎」は加藤盤斎。貞徳の門人。古典の注釈家として知られており、晩年 尾張熱田に仮寓し、世に背き、悠々自適の生活をした。延宝二年没、五十四歳。
 「背向きの像」は、『泊船集』に、「盤斎うしろむきの像に賛」と前書があるので、「背向き」は「うしろむき」と読むのであろう。したがって、「背つき」は「うしろつき」と読みたい。
 「団扇(うちわ)もてあふがん」というのは、風を送る意の他に、人をほめるのに、扇であおいだりするので、それを俳諧的に、‘団扇’もてあおぐとした技巧である。「仰がん」を掛けたとみる説もある。
 「背つき」というのは、後向きの姿に、世外の隠士らしい風格があるのをいい、これを敬い仰ぐ気持ちを表している。

 季語は「団扇」で夏。「扇もてあふぐ」という雅趣を、「団扇」に転じたところに俳諧がある。

    「盤斎うしろむきの自画像を見ると、世外に悠々自適した隠士の、高風まことに
     仰ぐべき風格が感じられる。後から団扇であおいであげたいような感じである」


      画廊めぐり扇子一本しのばせて     季 己

魚飛ぶ

2010年07月02日 21時21分18秒 | Weblog
        吹く風の中を魚飛ぶ御祓かな     桃 青(芭蕉)

 ひきしまった中に、一脈の楽しさが感じられる。『新勅撰集』の、
        「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
           御祓ぞ夏の しるしなりける」(藤原家隆)
 を心に置いているのであろうが、極めて写生的な感じのする句だ。画賛として、原画の図柄に即しつつ、楽しく詠み据えた作である。

 季語は「御祓(みそぎ)」で夏。陰暦六月晦日(みそか)、身の穢(けが)れを祓(はら)うこと。「名越の祓(なごしのはらえ)」ともいい、川で御祓をすること。「川祓(かわばらえ)」ともいう。「御祓川(みそぎがわ)」は、御祓をする川。

    「川の水で御祓をしていると、涼しい川風が起こって、その中に魚が跳ね上がる。
     身のひきしまる御祓であるが、なかなか楽しい感じがする」


      飛魚のかなしきときは飛び跳ねて     季 己