壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

初真桑

2010年07月28日 22時40分45秒 | Weblog
          閏五月二十二日、落柿舎乱吟
        柳行李片荷は涼し初真桑     芭 蕉

 片荷に初真桑を結びつけているということが、世の常の旅の装いと違い、道中を急がぬ気まかせな姿を感じさせておもしろい。あるいは、その日訪れた酒堂(しゃどう)が、土産に初真桑を持参したので、挨拶の心をこめて詠んだものででもあろうか。
 この連句に一座した支考は、『東西夜話』で、「なにがし実相院などいへる山伏の、旦那もどりのさまなりと見て置くべし」といって、檀家からもどる山伏が土産に真桑瓜をもらって帰るさまと見ている。
 
 「閏(うるう)」、閏年は今とちがい、閏月が一ヶ月加わった。この年は、五月の後に閏五月があったのである。
 「落柿舎(らくししゃ)」は、京都・洛西嵯峨にあった去来(きょらい)の別荘。『嵯峨日記』は元禄四年夏、ここに滞在した間の日記である。
 「乱吟(らんぎん)」は連俳用語。句順を定めず、年齢・身分などにもかかわらず、出来しだいに句を付けるのをいう。
 「柳行李(やなぎこり)」は、コリヤナギの皮をはいで乾燥させた枝を、麻糸でつづった行李で、旅道具を収める。
 「片荷(かたに)」は、振分けにした片方の荷。
 「酒堂」は浜田氏。蕉門俳人。前の号は珍碩(ちんせき)、珍夕(ちんせき)とも。膳所(ぜぜ)の医師。元禄二年ごろ芭蕉に入門。元禄六年正月を芭蕉庵で迎え、『深川集』編集。その年夏、大坂に移住。

 「涼し」も夏の季語であるが、句の中心になるのは「初真桑」で夏季。

    「柳行李と振分けに肩にかけた片方の荷は初真桑で、その新鮮な色がいかにも
     涼しげである」


 ――居るべきところに居る人がいない、妙なさびしさ……
 「死んでも入院はしたくない」と言い張っていた母を、昨日、とうとう入院させた。
 24日の夜、38度3分の熱を出した。熱中症と思われたので、とにかく冷やし、水分補給につとめた。その熱も26日には下がったのであるが、食事・トイレ・水分補給のとき以外は、ほとんど熟睡状態。(正直言うと、昏睡状態に見えた)
 27日朝は、目をしょぼしょぼさせ、「起きられない」という。もちろん朝食もとらない。そうして突然、「死相が出ているかい」と聞く。「出ていないよ」というと、「なかなか死ねないもんだね」と言って、また寝てしまった。
 「これはまずい」と思い、かかりつけの医院に電話。先生に相談したところ、「大きな病院で診てもらったほうがいい」とのこと。幸い、義弟が休みだったので、車で病院へ運んでもらう。
 CT、レントゲン検査の結果、案の定、熱中症であったが、「もう症状は治っている。しかし、熱を出したことだし、体力も落ちているので入院した方が」ということで入院させた。
 今日、昼前に顔を出したところ、点滴中で、顔色が平常に戻っていた。昼食も「おいしい、おいしい」と言って、ほとんど食べた。ふだん家で食べる以上に、だ。
 どうやら“死神”が離れてくれたようだ。今年初めて、ミンミンゼミの声を聞いた。
 明日の午後は、自分自身のCT検査……

      蟬の穴 人はなかなか死ねぬもの     季 己