日の道や葵傾く五月雨 芭 蕉
「日の道」というものを鋭く感じとっていて、現代のように自然観察が細かくなった上でのものでないだけに驚かされる。雨中の日の道をつかんだところ、葵のいのちのかなしさが感じられるようである。
中七「あふひかたむく」と平仮名で表記する本もある。掲句は『猿蓑』に収めるので、元禄三年頃の作と思われる。
「日の道」は、太陽の通る道。黄道。
「葵傾く」は、葵が太陽の移りゆく方向に傾く意で、葵はその性質を持つものとして詠んでいる。この葵は五月雨(さつきあめ)の頃であるから、ヒマワリ(向日葵)ではなく。タチアオイ(蜀葵)であろう。葵の類はすべて向日性があって、太陽のめぐり行く方を追う。
タチアオイは現在、「立葵」と書く。人の丈以上の高さになり、白・桃・紅・紫の美しい花を下から咲かせてゆく。梅雨入りに咲きはじめ、頂上まで咲きのぼると、梅雨が明けるといわれている。
季語は「五月雨」で夏。「葵」も夏季。『猿蓑』には「五月雨」の句として掲出する。葵というものの性格に即して、「五月雨」をも生かした発想である。
「五月雨がしとしとと降り続いている中で、葵が一方に傾いている。定めし
あの傾いた方に、雨にかくされた日の通り道があるのであろう」
咲き上るあふひ点滴ちかづきぬ 季 己
「日の道」というものを鋭く感じとっていて、現代のように自然観察が細かくなった上でのものでないだけに驚かされる。雨中の日の道をつかんだところ、葵のいのちのかなしさが感じられるようである。
中七「あふひかたむく」と平仮名で表記する本もある。掲句は『猿蓑』に収めるので、元禄三年頃の作と思われる。
「日の道」は、太陽の通る道。黄道。
「葵傾く」は、葵が太陽の移りゆく方向に傾く意で、葵はその性質を持つものとして詠んでいる。この葵は五月雨(さつきあめ)の頃であるから、ヒマワリ(向日葵)ではなく。タチアオイ(蜀葵)であろう。葵の類はすべて向日性があって、太陽のめぐり行く方を追う。
タチアオイは現在、「立葵」と書く。人の丈以上の高さになり、白・桃・紅・紫の美しい花を下から咲かせてゆく。梅雨入りに咲きはじめ、頂上まで咲きのぼると、梅雨が明けるといわれている。
季語は「五月雨」で夏。「葵」も夏季。『猿蓑』には「五月雨」の句として掲出する。葵というものの性格に即して、「五月雨」をも生かした発想である。
「五月雨がしとしとと降り続いている中で、葵が一方に傾いている。定めし
あの傾いた方に、雨にかくされた日の通り道があるのであろう」
咲き上るあふひ点滴ちかづきぬ 季 己