壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夕顔

2010年07月18日 22時26分28秒 | Weblog
        夕顔の白く夜の後架に紙燭とりて     芭 蕉

 『源氏物語』の夕顔の巻の話を心に置いている。源氏が大弐の乳母(めのと)を見舞ったとき、夕顔の咲いている垣から女の顔がのぞく。その女から扇をもらい、見舞いをすまして、「出で給ふとて、惟光(これみつ)に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば」、その扇に、「心あてにそれかとぞ見る白露のひかり添へたる夕顔の花」という歌が書かれていたという話である。
 この話は後年しきりに謡曲などにも採られており、芭蕉はそれを「後架(こうか)に」と俳諧化したのであるが、句全体は物語的な雰囲気に包むようにしてある。口調のみならず、原点の表記には漢文的な感じを生かそうとしたあとがうかがわれ、かつ、切れをもたない表現をあえてとっているところなど、この時期の特色である。
 『武蔵曲(むさしぶり)』(天和二年三月刊・千春編)に「芭蕉」名で所収。延宝九年(天和元年=1681)以前の作。

 「後架(こうか)」は、禅家で、僧堂のうしろに架(か)け渡した洗面所。後に便所。かわや。
 「紙燭(しそく)」は、脂燭に同じ。昔、室内照明にした灯り。松の木を一尺五寸(約45センチ)、太さ三分(直径約1センチ)に切り、先を炭火で焦がし、その上に油を引きかわかし、手元を紙屋紙で巻いたもの。また、‘こより’を油に浸して点火するもの。王朝的なものである。

 季語は「夕顔」で夏。

    「夕顔がほのかに白く闇に浮かんでいるのが、紙燭を手にして厠(かわや)に
     立とうとする目にさっと入ってきた」


      夕顔をはなれ光陰人を待たず     季 己