盤斎背向きの像
団扇もてあふがん人の背つき 芭 蕉
その場のさまが目に見えるとともに、盤斎(ばんさい)の隠逸を仰ぎ慕う親しみが感じられて、即興の句としては味わい深い作品である。
『笈日記』尾張の部に、巴丈亭の画賛四幅の一つとして掲出。
「盤斎」は加藤盤斎。貞徳の門人。古典の注釈家として知られており、晩年 尾張熱田に仮寓し、世に背き、悠々自適の生活をした。延宝二年没、五十四歳。
「背向きの像」は、『泊船集』に、「盤斎うしろむきの像に賛」と前書があるので、「背向き」は「うしろむき」と読むのであろう。したがって、「背つき」は「うしろつき」と読みたい。
「団扇(うちわ)もてあふがん」というのは、風を送る意の他に、人をほめるのに、扇であおいだりするので、それを俳諧的に、‘団扇’もてあおぐとした技巧である。「仰がん」を掛けたとみる説もある。
「背つき」というのは、後向きの姿に、世外の隠士らしい風格があるのをいい、これを敬い仰ぐ気持ちを表している。
季語は「団扇」で夏。「扇もてあふぐ」という雅趣を、「団扇」に転じたところに俳諧がある。
「盤斎うしろむきの自画像を見ると、世外に悠々自適した隠士の、高風まことに
仰ぐべき風格が感じられる。後から団扇であおいであげたいような感じである」
画廊めぐり扇子一本しのばせて 季 己
団扇もてあふがん人の背つき 芭 蕉
その場のさまが目に見えるとともに、盤斎(ばんさい)の隠逸を仰ぎ慕う親しみが感じられて、即興の句としては味わい深い作品である。
『笈日記』尾張の部に、巴丈亭の画賛四幅の一つとして掲出。
「盤斎」は加藤盤斎。貞徳の門人。古典の注釈家として知られており、晩年 尾張熱田に仮寓し、世に背き、悠々自適の生活をした。延宝二年没、五十四歳。
「背向きの像」は、『泊船集』に、「盤斎うしろむきの像に賛」と前書があるので、「背向き」は「うしろむき」と読むのであろう。したがって、「背つき」は「うしろつき」と読みたい。
「団扇(うちわ)もてあふがん」というのは、風を送る意の他に、人をほめるのに、扇であおいだりするので、それを俳諧的に、‘団扇’もてあおぐとした技巧である。「仰がん」を掛けたとみる説もある。
「背つき」というのは、後向きの姿に、世外の隠士らしい風格があるのをいい、これを敬い仰ぐ気持ちを表している。
季語は「団扇」で夏。「扇もてあふぐ」という雅趣を、「団扇」に転じたところに俳諧がある。
「盤斎うしろむきの自画像を見ると、世外に悠々自適した隠士の、高風まことに
仰ぐべき風格が感じられる。後から団扇であおいであげたいような感じである」
画廊めぐり扇子一本しのばせて 季 己