足洗うてつい明易き丸寝かな 芭 蕉
「明易(あけやす)し」とか「短夜(みじかよ)」には、『古今集』の
「夏の夜の 臥すかとすれば ほととぎす
なく一声に あくるしののめ」(紀貫之)
などが、常に発想の脈をなしている。これもその系統に属し、「足洗うて」とか「丸寝(まろね)」とかいうところに俳諧味を生かした作なのである。
「足洗うて」は、宿に到着して洗足の水を取ること。草鞋(わらじ)を脱いで足を洗うわけである。慣用句の「足を洗う」は、「賤しい勤めをやめて堅気になる」・「悪い所行をやめてまじめになる」などの意がある。
「つい」は、うっかりしているうちにもう、という気持。
「明易き」が季語で夏。夏の夜の短くて明け易いのをいう。俳句の場合、物理的な夜の短さではなく、まだ眠り足らないうちに、いつしか戸外が白んできて、何かやるせないようなわびしさが胸をよぎる、といった心持ちに重きを置いたものである。
「短夜」の語は『万葉集』に、
「ほととぎす 来鳴く五月の 短夜も
独りし宿(ぬ)れば 明かしかねつも」(巻十、作者不詳)
などと詠われている。
「宿に着いて草鞋を脱ぎ、足を洗ったが、疲れてそのまま着たなりの丸寝(まろね)を
しているうちに、もう短い夏の夜が明けてしまったことだ」
明やすし厨にひびく杖の音 季 己
「明易(あけやす)し」とか「短夜(みじかよ)」には、『古今集』の
「夏の夜の 臥すかとすれば ほととぎす
なく一声に あくるしののめ」(紀貫之)
などが、常に発想の脈をなしている。これもその系統に属し、「足洗うて」とか「丸寝(まろね)」とかいうところに俳諧味を生かした作なのである。
「足洗うて」は、宿に到着して洗足の水を取ること。草鞋(わらじ)を脱いで足を洗うわけである。慣用句の「足を洗う」は、「賤しい勤めをやめて堅気になる」・「悪い所行をやめてまじめになる」などの意がある。
「つい」は、うっかりしているうちにもう、という気持。
「明易き」が季語で夏。夏の夜の短くて明け易いのをいう。俳句の場合、物理的な夜の短さではなく、まだ眠り足らないうちに、いつしか戸外が白んできて、何かやるせないようなわびしさが胸をよぎる、といった心持ちに重きを置いたものである。
「短夜」の語は『万葉集』に、
「ほととぎす 来鳴く五月の 短夜も
独りし宿(ぬ)れば 明かしかねつも」(巻十、作者不詳)
などと詠われている。
「宿に着いて草鞋を脱ぎ、足を洗ったが、疲れてそのまま着たなりの丸寝(まろね)を
しているうちに、もう短い夏の夜が明けてしまったことだ」
明やすし厨にひびく杖の音 季 己