古き世をしのびて
霜の後撫子咲ける火桶かな 芭 蕉
「霜の後」という口調には、その時節を指すだけでなく、花一つ見られないはずのところに、思いがけなく時ならぬ撫子(なでしこ)を見たという驚きを寄せていることが感じられる。
古注の多くが、藤原定家の「霜さゆるあしたの原の冬枯れにひと花咲ける大和撫子」(『拾遺愚草』)を踏まえていると見て、
イ、冬の間用いられた火桶に、今は撫子が植えられているさま。
ロ、火のはなやかにおこったさま。
ハ、俊成・定家の故事にならう意。
ニ、火桶を撫で愛しむ意。
などなどととる諸説がある。
「古き世をしのびて」というのは、古い時代の火桶には撫子の絵が描かれていることが多く、中世の絵巻や奈良絵本の類に、そのさまをうかがうことができる。けれども、元禄の頃はすでに古風のものとなっていた。
「撫子咲ける火桶」については、『住吉物語』(元禄八年刊か、清流編)に、清流の芭蕉を追悼した句に、「翁の句のはしをおもひとりて、なでしこの花もやつるる火桶かな」とある。
「火桶」は、木を丸形に刳(く)り貫(ぬ)いてつくった火鉢。内側に銅や真鍮などの金属板が張ってある。「ひびつ」ともいい、初め桐の材を使い、それに絵を描いた。『枕草子』に、「人の家につきづきしきものは竹鶯ゑがきたる火桶」などとある。これが季語で冬。「霜」も冬。「撫子」は秋。
「火桶の前にうずくまっていると、いかにも由緒ありげに撫子が描かれている。霜の後は何の
花も目に入らぬ折のこととて、ここに思いがけなく撫子が咲いているのはうれしいことだ。
この古めかしい火桶から、これを使った昔の人がおのずと思い起こされてくる」
良寛の軸や炭の炎とろとろと 季 己
霜の後撫子咲ける火桶かな 芭 蕉
「霜の後」という口調には、その時節を指すだけでなく、花一つ見られないはずのところに、思いがけなく時ならぬ撫子(なでしこ)を見たという驚きを寄せていることが感じられる。
古注の多くが、藤原定家の「霜さゆるあしたの原の冬枯れにひと花咲ける大和撫子」(『拾遺愚草』)を踏まえていると見て、
イ、冬の間用いられた火桶に、今は撫子が植えられているさま。
ロ、火のはなやかにおこったさま。
ハ、俊成・定家の故事にならう意。
ニ、火桶を撫で愛しむ意。
などなどととる諸説がある。
「古き世をしのびて」というのは、古い時代の火桶には撫子の絵が描かれていることが多く、中世の絵巻や奈良絵本の類に、そのさまをうかがうことができる。けれども、元禄の頃はすでに古風のものとなっていた。
「撫子咲ける火桶」については、『住吉物語』(元禄八年刊か、清流編)に、清流の芭蕉を追悼した句に、「翁の句のはしをおもひとりて、なでしこの花もやつるる火桶かな」とある。
「火桶」は、木を丸形に刳(く)り貫(ぬ)いてつくった火鉢。内側に銅や真鍮などの金属板が張ってある。「ひびつ」ともいい、初め桐の材を使い、それに絵を描いた。『枕草子』に、「人の家につきづきしきものは竹鶯ゑがきたる火桶」などとある。これが季語で冬。「霜」も冬。「撫子」は秋。
「火桶の前にうずくまっていると、いかにも由緒ありげに撫子が描かれている。霜の後は何の
花も目に入らぬ折のこととて、ここに思いがけなく撫子が咲いているのはうれしいことだ。
この古めかしい火桶から、これを使った昔の人がおのずと思い起こされてくる」
良寛の軸や炭の炎とろとろと 季 己